2008年7月3日

健康週間

アート制作用の机を購入しました。基地内のThrift shop(中古品屋さん)で$12でした。DANSK Designのかなり大きいやつなので、使いやすそうです。日本からの荷物第二陣が7月中旬頃に届く予定で、そのなかに大量のアクリル絵の具やら筆やらがあるため、お絵描きはいましばらくおあずけ状態なんですが。

ツバメさんの巣に、おそらく小さい雛がいると思われます。まだ見えないのですが、ふわふわした感じの毛が少しだけ巣から覗いています。まだ産まれたてなのでピーピー餌を求めている様子もなく、はやく育って顔をだしてくれないかねえ、とダニーと言っています。親鳥は相変わらずせっせと何か運んできているので、ひな鳥たちが顔を出す日も近いはず!

今週のMcKittrick家は「Eating healthy week」です。要するに、「健康な食生活をしよう週間」ってところでしょうか。日曜日のお昼に教会のおじいちゃん、おばあちゃんたちに招待されて、古き良きアメリカン・ビュッフェを食べにいったのですが、それがとても美味しく、思わず大量に食べてしまったところ、(ローストビーフ、ハム、ターキー、フライドチキン、コールスローサラダ・マッシュドポテト・レモンパイなどなど)どうやらものすごい油や砂糖の量だったらしく、翌朝までまったくお腹が減りませんでした。「これを毎日食べていたら確実に太るね」とダニーと確認しあい、今週はもっぱら家でなるべくノン・オイル、野菜たっぷり手料理を食べています。

そんな雑談はさておき、今日は詩編の32から。

1-4
いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜もわたしの上に重く わたしの力は夏の日照りにあって衰え果てました。

Blessed is he whose transgression is forgiven, whose sin is covered. Blessed is the man unto whom the LORD imputeth not iniquity, and in whose spirit there is no guile. When I kept silence, my bones waxed old through my roaring all the day long. For day and night thy hand was heavy upon me: my moisture is turned into the drought of summer. Selah.

5
わたしは罪をあなたに示し 咎を隠しませんでした。わたしは言いました「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦してくださいました。

I acknowledged my sin unto thee, and mine iniquity have I not hid. I said, I will confess my transgressions unto the LORD; and thou forgavest the iniquity of my sin. Selah.

6-7
あなたの慈しみに生きる人は皆 あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも その人に及ぶことは決してありません。あなたはわたしの隠れ家。苦難から守って下さる方。救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方。

For this shall every one that is godly pray unto thee in a time when thou mayest be found: surely in the floods of great waters they shall not come nigh unto him. Thou art my hiding place: thou shalt preserve me from trouble; thou shalt compass me about with songs of deliverance. Selah.

8-9
わたしはあなたを目覚めさせ 行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。

I will instruct thee and teach thee in the way which thou shalt go: I will guide thee with mine eye. Be ye not as the horse, or as the mule, which have no understanding; whose mouth must be held in with bit and bridle, lest they come near unto thee.

10-11
神に逆らう者は悩みが多く 主に信頼する者は慈しみに囲まれる。神に従う人よ、主によって喜び踊れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。

Many sorrows shall be to the wicked: but he that trusteth in the LORD, mercy shall compass him about. Be glad in the LORD, and rejoice, ye righteous: and shout for joy, all ye that are upright in heart.


この詩は、ダビデ王によるものですが、とても美しく救いの奇跡が表現された詩ですね。初めの1-4節目は、自分の中にある罪を神様に告白して、赦していただいた後の心の喜びを現しています。後半部「わたしは黙し続けてー」からは自分の罪を心に隠している重さが描かれています。友人や家族に嘘をついていて、それを隠しつづけたりするのって心が重いですよね。また、自分でも間違っているという罪の意識に常にさいなまれて、暗くなったりしがちです。けれど、それを告白すると、案外もめごとにもならず仲直りできたりします。神様は私たちの心の中までいつでもお見通しです。神様に、自分の罪を告白して、赦していただいた者は、なんと幸いなことだろう、とここでは歌われています。

5節目は、神様に赦していただくために、罪を告白しようと決意し、過ちが赦されたといっています。これはまさに、イエス様が十字架にかかり、私たち一人一人の罪を肩代わりしてくれたことによる救いにつながります。イエス様に罪を告白することで、彼はあなたの罪も肩代わりしてくれて、神様とあなたの間の関係を、再び繋げてくれるのです。

6-7節を見ると、神様に赦され、その安息の中に憩う様子が描かれています。8-9節は神様からの教えで、救われた者たちは、どのようにしてその行く道を神様が整えてくださるか、ということ。10-11節は以上の確認として、いかに主=イエス・キリストに信頼をおき、その喜びのなかに生きることは幸せかと歌っているんですね。

ローマ章 3:23—24 人は皆、罪を犯して神の栄光をうけられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
For all have sinned, and come short of the glory of God; being justified freely by his grace through the redemption that is in Christ Jesus.

これが、神様からの人間への「永遠の命」の贈り物です。よくオカルト系の人たちは本気で永遠にこの肉体を持って生きられる、というような解釈をするようですが、そんなわけはなく、「永遠の命」というのはあくまでもSpirit, 魂の話。死んでから自分の魂が悪魔につかまって地獄に落ちるのではなく、神様の元に帰って天国で安らぎたいですよね。死ぬ間際になってから決めればいいや、と考える人がたくさんいるのですが、実際自分がいつ死ぬかなんて私たちには知る由もないので、まだ神様と仲直りしていない人は、是非イエス様に罪を赦してくれるように頼んでみてください。

ローマ章 10:13 主の名を呼び求める者はだれでも救われるのです。 
For whosoever shall call upon the name of the Lord SHALL BE SAVED.

「救われる」ということ自体は、決して難しいことではないんですよ!!

出典:聖書 新共同訳 日本聖書教会2003
KJV Bible Thompson Chain reference Study Bible, Kirkbridge, 1998