2008年7月30日

ベイビー・シャワー☆

週末にお友達をたくさん招いたホームパーティがありました。ダニーも小さい頃から教会で仲良くしているご家族の皆様が約40人くらい来ましたよ。みんなでアメリカン・カントリー・ホームクッキングを持ちよりで、とっても美味しかったです。ついでに、ダニーのママとお友達たちが、産まれてくる子供のためのベイビー・シャワーをしてくれました。これは、要するに子供が生まれる前に、皆が贈り物をくれる会なんですが、いまだにベビー用品を何も購入していなかったので、とてもありがたく頂戴しました。すでにベビー服が10着以上そろってしまいました。嬉しいですね。こういう暖かいファミリーとクリスチャン・コミュニティーに嫁がせてくれた神様に本当に感謝です☆

さてさて今日はとっても可愛いメロディの歌をご紹介。といってもコピーライトがかかっている関係で、ネット上からメロディが見つけられませんでした。そのうち弾き語りでも録音して載せられればいいのですが。機材がないので無理かも。

I'll Tell the world (That I'm a Christian)
By Baynard L.Fox 1958 copyright Fox Music Publications

1
I'll tell the world that I'm a Christian
I'm not ashamed His name to bear
I'll tell the world that I'm a Christian
I'll take Him with me anywhere.

I'll tell the world how Jesus saved me
And how he gave me a life brand new
And I know that if you trust Him
That all He gave me He'll give to you

I'll tell the world that He's my Savior
No other one could love me so
My life my all is His forever
And where He leads me I will go

2
I'll tell the world that He is coming
It may be near of far away
But we must live as if His coming
Would be tomorrow or today

For when He comes and life is over
For those who love Him there's more to be
Eyes have never seen the wonders
That He's preparing for you and me

O tell the world that you're a Christian
Be not ashamed His name to bear
O tell the world that you're a Christian
And take Him with you everywhere

(意訳)
1. 世界中に私はクリスチャンと伝えよう
イエス様の名を負うことを恥としない
世界中に私はクリスチャンと伝えよう
彼の名をどこにでも広めよう

イエス様がどうやって私を救って下さったか伝えよう
そして新しい人生をくださったことを
そしてあなたも、彼を信じれば
同じように新しい人生を与えて下さることを知っている

世界中にイエス様が私の救世主だと伝えよう
彼のように私を愛してくれる方はいない
私の人生とすべては彼のもの
彼の導くところへ私は進む

2. 世界中に、イエス様が戻ってこられることを伝えよう
それはすぐかもしれないし、ずっと後かもしれない
けれど私たちは今日にでも明日にでも
イエス様が戻ってこられるかのように生きなければ

彼が戻ってきて、人生が終わると
彼を愛する者たちにはそこから先がある
誰も見たことのない、神様の準備なさっている
世界が広がる

世界中にあなたはクリスチャンだと伝えよう
イエス様の名を負うことを恥としないで
世界中にあなたはクリスチャンだと伝えよう
彼の名をどこででも広めよう

メロディがお聞かせできないのが残念なのですが、いたってシンプルな内容の曲です。1番はイエス様の救済を信じて、救われてからの新しい人生に対する感謝と、クリスチャンとしての誇りを歌っていますね。

これは、新約聖書のマルコの福音書にかかれていることに基づいています。
聖書が手元にある人は一緒に開いてみてください。マルコの16章です。ちょうど、イエスが十字架にかけられて死に、3日後に生き返って弟子たちの前に現れたシーンです。

マルコ16:15-16 イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を述べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。」
And he said unto them, " Go ye into all the world, and preach the gospel to every creature. He that believeth and is baptized shall be saved; but he that believeth not shall be damned."

イエス様による罪からの救済を信じて救われ、洗礼を受けた者は天国にいけるけれど、信じない者は地獄に行く、ということをいっているんですね。

2番は、キリストの再臨について歌っているのですが、 For when He comes and life is over; For those who love Him there's more to be; Eyes have never seen the wonders; That He's preparing for you and me の部分はキリストが再臨した時、何が起こるかということを歌っています。ヨハネの黙示録をみてみましょう。全部読んでいただくのが1番いいのですが、かなり抜粋すると、キリストが地上に再臨するとき、救われている人たちは皆天にあげられます。まず、既に死んでいる者から、そして次に地上にいる者たちが天にあげられ、千年の間キリストと共に統治すると書かれています。

ヨハネの黙示録 20:4-6 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。
And I saw thrones, and they sat upon them, and judgment was given unto them: and I saw the souls of them that were beheaded for the witness of Jesus, and for the word of God, and which had not worshipped the beast, neither his image, neither had received his mark upon their foreheads, or in their hands; and they lived and reigned with Christ a thousand years. But the rest of the dead lived not again until the thousand years were finished, This is the first resurrection. Blessed and holy is he that hath part in the firs resurrection: on such the second death hath no power, but they shall be priests of God and of Christ, and shall reign with him a thousand years.

そのあと、サタン(悪魔)が火の池に投げ込まれ、敗北をきすそうです。そのあとに、死者たちにたいする最後の裁きがあります。これが私たち一人一人に関係してくるところです。

20:12-15 わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。いくつかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。海は、その中にいた死者を外にだした。死と陰府もその中にいた死者を出し、彼らはそれぞれの行いに応じて裁かれた。死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。
And I saw the dead, small and great, stand before God; and the books were opened: and another book was opened, which is the book of life: and the dead were judged out of those things which were written in the books, according to their works. And the sea gave up the dead which were in it; and death and hell delivered up the dead which were in them: and they were judged every man according to their works. And death and hell were cast into the lake of fire. This is the second death. And whosoever was not found written in the book of life was cast into the lake of fire.

これらは、あくまでもSpiritの話しをしています。肉体はアダムの犯した罪によって、人間に死が運命づけられた瞬間から滅びることが決まってしまいましたが、魂は滅びません。しかし、最後の審判が行われる時、そのゆく道は天国か、地獄かの二択です。いろいろな宗教や、あるキリスト教宗派でも「善い行い」をすれば天国にいける、と間違った教えを説いていることが多いですが、聖書ははっきりと語っています。

ヨハネの福音書17:3 
永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。

And this is life eternal, that they might know thee the only true God, and Jesus Christ, whom thou hast sent.

3:36 御子(キリスト)を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。
He that believeth on the Son hath everlasting life: and he that believeth not the Son shall not see life; but the wrath of God abideth on him.

14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
Jesus said unto him, I am the way, the truth, and the life: no man cometh unto the Father but by me.

使徒言行録4:12
ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名(イエス・キリスト)のほか、人間には与えられていないのです。

Neither is there salvation in any other: for there is none other name under heaven given among men, whereby we must be saved.

16:31 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
Believe on the Lord Jesus Christ, and thou shalt be saved, and thy house.

この救いの大切さについては、このブログでも何回も書いていますが、これだけ強調しているのは、それだけ皆さん個人個人にとって大切だということです。私自身、救われてから、イエス様に心から依り頼むように成長していくうちに、人生がまったく変わりました。いつも心に感じていた穴というか、空虚感というのが神様の愛によって満たされただけでなく、無駄な焦燥感や競争心、嫉みなどというものがまったく無くなりました。これは、本当に自分で努力して得られるものでも、なんとかセラピーで得られるものでも、巨大な財産によって得られるものでも、善の行いによって得られるものでもありません。イエス様は何も私たちに強制しません。神様は人間に自由意志を与えられたからです。ですから、選択はみなさん一人一人にゆだねられています。もし、信じたい人がいたら、下のような内容で心からお祈りしてみてください。救われることが、初めの一歩ですよ!

「イエス様、私はいろいろな罪を犯して、あなたと離れて歩んできました。けれど、いま心から貴方に許しをお願いします。私は貴方が十字架で血を流して死に、私の罪を肩代わりしてくださり、3日後に生き返ったことを信じます。これからの私の1歩1歩を、あなたが導いて、あなたと共に歩ませて下さい。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」


2008年7月25日

カウンティー・フェア

昨日はダニーの実家のそばで1週間開かれている、カウンティー・フェアにママと弟君と4人で行ってきました。カウンティー・フェアとはつまりダブリンという町のあるPulaski郡のフェアーです。移動遊園地がきて、Pulaski中の農家や畜産業の方々が自分たちのヤギ、馬、牛、野菜などを自慢する会です。目玉行事として、Horse Pullという馬たちの力比べがあるのですが、それは重量別にクラス分けされていて、小さい馬から、ものすごい巨大な馬まで勢ぞろいしていました。懐かしい味、コーンドッグとファンネルケーキをたべましたよ。ファンネルケーキは、溶いた小麦粉を油で揚げたものに粉砂糖がまぶしてあるもので、小さい頃家でドーナツなんか作ったりしたときによく食べた覚えがあります。まさに油を飲んでる感じなんで、私は一口でやめましたが、ダニーも弟君も美味しそうに食べていました。雨が降り出したので小一時間しかいなかったと思うのですが、なんとも田舎らしい一時を過ごしました。


さて、今日は箴言の23章を読んでいて、なぜお酒は良くないか。ということが詳しく書かれている場所があったのでご紹介します。うちは家族がもともとあまり飲めない性質なので、「お酒なんか体に毒!」的なアイデアで育ったので、お酒に対して執着がまったくないのですが、クリスチャンでも、たくさんお酒を飲んでいる人もいるし、毎日飲まないとやっていられないみたいな知りあいもたくさんいます。仕事だから飲まなきゃいけない、といった風潮も色濃いですよね。でも、一般的な「常識」って本当に人によって違うので、今日は聖書はお酒を飲むことについて何て言っているか見てみましょう。


箴言23:29-35

不幸な者は誰か、嘆かわしい者は誰か いさかいの絶えぬ者は誰か、愚痴を言う者は誰か 理由なく傷だらけになっているのは誰か 濁った目をしているのは誰か。それは、酒を飲んで夜更かしする者。混ぜ合わせた酒に深入りする者。

Who hath woe? Who hath sorrow? Who hath contentions? Who hath babbling? Who hath wounds without cause? Who hath redness of eyes? They that tarry long at the wine; they that go to seek mixed wine.

酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが、後になると、それは蛇のようにかみ 蝮の毒のように広がる。 目は異様なものを見 心に暴言を吐き始める。海の真ん中に横たわっているかのように 綱の端にぶら下がっているかのようになる。「打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。酔いが醒めたらまたもっと酒を求めよう。」
Look not thou upon the wine when it is red, when it giveth his colour in the cup, when it moveth itself aright. At the last it biteth like a serpent, and stingeth like an adder. Thine eyes shall behold strange woman, and thine heart shall utter perverse things.Yea, thou shalt be as he that lieth down in the midst of the sea, or as he that lieth upon the top of a mast. They have stricken me, shalt thou say, and I was not sick; they have beaten me, and I felt it not: when shall I awake? I will seek it yet again.


お酒って、コマーシャルとかでものすごく良い物として宣伝されてるけど、実際飲んだ後って、どんなに飲める人でも誰もが具合悪くなったり、事故を起こしたり、道で寝ころんでいたり、医者騒ぎになったり、大変ですよね。私は心から救われる前は、一応クリスチャンにはなったものの、ロンドン大学のクラスの人たちなどとまわりに合わせてパブに行ったりしていました。当時はちゃんと聖書を読んでいなかったので、お酒について神様は何ていってるか、なんて考えもしなかったんですね。ただ、もともと「酒=悪」的なアイデアを父にインプットされて育てられていたので、心から飲むことを楽しんだことって、なかったですね。いつも誰かしらが恐ろしく酔っぱらって、その人たちの面倒を誰かがみなきゃいけなかったり、酒乱になっている人たちがものすごく吐いたりしてる姿を見て、嫌だなあと思っていました。それと、小さい頃から鼻がいいので、お酒とタバコと珈琲の匂いが漂っている人って苦手で、とくに中央線で学校まで通わなければいけなかった頃なんかは、朝はやくから、まだ夕べの酒が残っている赤ら顔の臭い中年おじさんの隣とかに座らなきゃならなかったりして、すごく嫌でしたね。まあ、そんな個人的な意見はともかくとして、箴言の31にもお酒についての記述があるのでご紹介します。これは、レムエルという王様が、母から王としてどうあるべきかの教えを受けている箇所です。


箴言31:4−7

レムエルよ、王たる者にふさわしくない。酒を飲むことは、王たるものにふさわしくない。強い酒を求めることは 君たるものにふさわしくない。飲めば義務を忘れ 貧しい者の訴えを曲げるであろう。強い酒は没落した者に 酒は苦い思いを抱く者に与えよ。飲めば貧乏を忘れ 労苦を思い出すこともない。

It is not for kings, O Lemuel, it is not for kings to drink wine; nor for princes strong drink: Lest they drink, and forget the law, and pervert the judgment of any of the afflicted. Give strong drink unto him that is ready to perish, and wine unto those that be of heavy hearts. Let him drink, and forget his poverty, and remember his misery no more.

確かに、心痛い時お酒を飲んで忘れようとする、みたいのって、ドラマとかにもよくありますよね。でも実際、お酒を飲んだところで忘れないですよね。それよりか、心だけじゃなく体調まで悪くなってダブルパンチ、みたいな。ともかく、神様は私たちにお酒を飲むことに関して、ポジティブなことは言っていないということです!私もダニーも今やまったく飲まないので、産まれて来る子供たちにも、せっせとそう教育するつもりです☆


2008年7月19日

実家はいいよね。

















ただいまダニーの実家に帰省中です。ここは、バージニアのダブリンという所なのですが、Altusとはうって変わって本当に景色が美しい所です。日本の蓼科とか長野とかあの辺りに似て、四季の変化が豊かで、朝晩は夏でも涼しく、ものすごくくつろいでおります。ダニーはパパと仲良しの教会の男衆と皆でゴルフ旅行に行ってしまったため、ダニーママと弟とおばあちゃんと4人でのんびりお買い物に行ったり、ご飯を食べに行ったりしています。7ヶ月目の妊婦なので、ものすごく甘やかされております。本当に優しい神様の愛に満ちたご家庭なのですよ。
それにしても、こういう美しい田舎に住みたいものです。東京やロンドンのような、都会の忙しさとはまったく違うペースで時間が流れていて、心が豊かになりますよ。こうやって幸せを実感しているとき、つくづく、イエス様の救いを心から信じて救われてよかったなあと思います。ロンドンにいた頃は誰も信用できないし、すべてのことに半信半疑で悩み事やら頭痛事しかなかった毎日だったのに、心からイエス様に救いを求めてから人生180度変わっちゃいました。ほんとに神様に感謝です。

そんなわけで、今日はHymnalから短いけど、「本当そうだよね」という感じの曲をご紹介。

Christ is All I Need
Author Unknown

Christ is all I need, Christ is all I need, All, all I need
Christ is all I need, Christ is all I need, All, all I need

He was crucified, For me He died, on Calvary
That's why I know He loves me so, He's all I need

(意訳)
イエス様は私が必要なことのすべて
彼は十字架にかけられて私のために、ゴルゴダの丘で死んで下さった
これが、彼が私を愛してくださっていて、彼は私の必要なことのすべてである理由。

さて、なぜそんなにイエス様がすべてだと、歌っているのでしょうか?簡単にいうと、イエス様に救いを求めると、いつでも彼は私たちのハートにいてくれるようになります。それは、私たちにいままで無かった勇気や強さを与えてくださるだけでなく、人生において選択しなければならない物事の答えや、自分のゆくべき道をはっきりと示してくれるんです。「世の中の常識」や「流行」というものに、人間はものすごく流されています。とくに、雑誌やTVの影響力が強すぎる現代では、どこにもモラルの基盤がなくなっちゃったのかな、と思います。例えばファッションとかはとてもわかりやすい例ですが、どう考えても下品なだけの、奇抜な色の娼婦のようなミニスカートがはやったり、男の子たちがお化粧して金のジュエリーをつけて女以上にナヨナヨして、、、みたいなのは気持ちが悪いですね。また、不倫とか浮気といったものをまるで良いことのように描くドラマとか、明らかにモラルとして間違っていますよね。でも、周りが当たり前のようにそうしていると、人間その異様な空間に慣れてしまうわけです。ロンドンの美術学校なんか、レズビアンとゲイとバイセクシュアルがクラスの半数以上をしめる所だったので、常識が完全にずれていました。私は何度誘われてもレズビアンになるというようなことはありませんでしたが、それでもその異様な「常識」が「当たり前」になって過ごしていました。これは、とても危険なことです。皆さんも、どう考えても間違っていることが、自分の中で「当たり前」になっていませんか?たとえば、自分を痛めつけるほどお酒や薬やタバコに溺れたり、嘘と虚栄のみの人間関係を築いていたり、見栄やうわべだけで生きていたり、自分の生活のすべてが仕事で家族を顧みなかったり。。。

新約聖書のヤコブの手紙4章に、こうあります。

4:1-3 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争いあう欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても。与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。
From whence come wars and fightings among you? Come they not hence, even of your lusts that war in your members? Ye lust, and have not: ye kill and desire to have, and cannot obtain: ye fight and war, yet ye have not, because ye ask not. Ye ask, and receive not, because ye ask amiss, that ye may consume it upon your lusts.

4:4-6  神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神は私たちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者に恵みをお与えになる。」
Ye adulterers and adulteresses, know ye not that the friendship of the world is enmity with God? Whosoever therefore will be a friend of the world is the enemy of God. Do ye think that the scripture saith in vain, The spirit that dwelleth in us lusteth to envy? But he giveth more grace. Wherefore he saith, God resisteth the proud, but giveth grace unto the humble.

4:7-10 だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。
Submit yourselves therefore to God, Resist the devil, and he will flee from you. Draw nigh to God and he will draw nigh to you. Cleanse your hands, ye sinners; and purify your hearts, ye double minded. Be afflicted, and mourn, and weep: let your laughter be turned to mourning, and your joy to heaviness. Humble yourselves in the sight of the Lord, and he shall lift you up.

聖書には、世界とは離れた生活をしなさい、と書いてあります。これは別に、山奥に入って孤立して修行僧になれ、という意味ではありません。そうやって孤独に過ごしていては、世の中に福音を告げなさい、という神様からの命令に従えませんよね。つまりこれは、日常のなかで、間違った常識に流されず神様の常識に従い、それが自分の生活を通して自然と現れるようになっていると、それは、世の中とは離れた生活をしているだけでなく、よい例として、救われておらず何がモラルなのかも分からなくなってしまった人たちの助けになることができる、ということなのです。イエス様の助けを借りて、そういう立派な生活を送れるようになりましょう!

最後にもう1曲。イエス様の強さによって、毎日を生きていこう、という素敵な曲です。
メロディはYou Tubeからです。
http://uk.youtube.com/watch?v=lNVCcph6cnI


Day by Day
By Lina Sandell Berg & Oscar Ahnfelt, translated by Andrew L.Skoog

Day by day and with each passing moment, Strength I find to meet my trials here
Trusting in my Father's wise bestowment, I've no cause for worry or for fear.
He whose heart is kind beyond all measure, Gives unto each day what He deems best
Lovingly its part of pain and pleasure, mingling toil with peace and rest.

Everyday the Lord Himself is near me, with a special mercy for each hour
All my cares He fain would bear and cheer me,
He whose name is Counsellor and Power
The protection of His child and treasure is a charge that on Himself He laid
"As thy days, thy strength shall be in measure," this the pledge to me He made.

Help me then in every tribulation, so to trust Thy promises O Lord,
That I lose not faith's sweet consolation offered me within Thy holy word.
Help me, Lord, when toil and trouble meeting, E're to take, as from a father's hand.
One by one, the days, the moments fleeting, till I reach the Promised Land.

(意訳)
毎日、過ぎてゆく時の中で、私は日々の試練に会う強さをここに見つける
父なる神様からの知恵を信じ、私は何も悩むことも畏れることもない。
計り知れない程親切なハートで、イエス様は私たちにとって1番よいものを日々お与えになる。痛みや労苦は、その喜びと平和と休息に満ちる

毎日、イエス様ご自身が私の側にいてくださる。特別な慈愛をもって。
私のすべての悩みをイエス様は快く受け取り、私を励ましてくださる。
彼は私の相談役であり、強さなのだ。
私たち神の子が与えられる宝も保護も、すべて彼が背負い支払ってくださった。
「あなたの生きている間、大いに強さを与えよう」これが彼が与えて下さった誓約。

あなたの約束を信じるため、どうぞすべての試練において助けて下さい、主よ。私が信仰によって、あなたの聖なる御言葉に約束された甘い慰めを失うことのないように。助けて下さい、主よ、労苦と苦難が襲う時、それが貴方の手によるものだと受け取れるように。私が約束された地(天国)にたどり着くまでの、過ぎ去ってゆく日々の中で。


2008年7月13日

アメリカン☆ドリーム

いままでAltusの田舎っぷりをご紹介してきましたが、実はAltusは農業用水の特許を持っているとかで、近隣の町に比べるとお金持ちらしく、ものすごい高級住宅地があるんです。昨日はWal☆Martの買い物帰りに、折角だから全貌を見ようといって、ダニーとドライブ・スルーしてきました。遠くからみても、巨大な家が立ち並ぶ感じでしたが、近寄ってみるとそれは想像を超えた豪邸達でした。しかもそれぞれ建築にテーマがあるのか、中世ドイツのお城みたいだったり、いかにもアメリカンな星条旗がはためく平屋だったり、バルコニーやゲートまでも整ったホテルのような家までありました。ダニーに言わせると、これが「アメリカン・ドリームと言われるやつ」だそうです。要するに、身分や出身は関係なく、とにかく一生懸命働いてお金を稼ぎ、成功した者は、誰でもこのような「ドリーム・ハウス」も夢じゃない、ということだそうです。確かに、この辺に住んでいる人たちは、おそらく超お金持ちの農家の人とか、牧畜やって成功してる人とか、いわゆる[Red neck]といわれる人も多いのでしょう。しかし、周り中になにもない平地が広がるなか、突如ディズニー・ワールドさながらの高級住宅地が広がるアメリカ。なんでも規模が大きい国だ、と思いました。東京とは言え、23区外生まれ育ちの小市民的にはこんなに巨大な家もっちゃったら、芝生や庭の手入れなど日々の管理がさぞかし大変+ハリケーンとかで壊れたら悲惨+家具を取りそろえるのにどれだけ費用がかかるのか、などなど考えてしまいましたが。こういう家を所有したいとは思わないけど、見るのは楽しいですね。

救われている人たちには、グッドニュースがあります。天国には、神様は私たち1人1人のために、素晴らしい家をすでに用意してくださっているのです。それは、こんな豪邸よりもはるかに想像を超えた美しいものでしょう。

ヨハネの福音書には、イエス様がこう言っているのが記述されています。
ヨハネの福音書14:2-3
わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しにいくと言ったであろうか。

In my Father's house are many mansions: if it were not so, I would have told you. I go to prepare a place for you.

私の父の家、とはつまり神様のいらっしゃるところ、天国を指します。イエス様は、天国には救われた私たちのために、家が用意されていると、使徒達に教えていました。使徒のうちの1人ペトロは、イエス様が天国に帰られたのち、各国へ離散してしまった救われている信者たちに励ましの手紙を送ります。そこには、以下のように書かれています。

ペトロの手紙1
1:3-5
わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。

Blessed be the God and Father of our Lord Jesus Christ, which according to his abundant mercy hath begotten us again unto a lively hope by the resurrection of Jesus Christ from the dead, to an inheritance incorruptible, and undefiled, and that fadeth not away, reserved in heaven for you, who are kept by the power of God through faith unto salvation ready to be revealed in the last time.

天国の様子の記述は、ヨハネの黙示録第21章に書いてあるので、読んでみてください。
21:11 都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。Having the glory of God: and her light was like unto a stone most precious, even like a jasper stone, clear as crystal;


Hymnにそんな天国の家を楽しみにする歌があるので、ここでご紹介します。
メロディは、You Tubeでまた見つけました。
http://www.youtube.com/watch?v=1eafxg-Mv5g&feature=related
Strolling Down Memory Lane , Billy & Willie Pollard's
Country Gospel T.V. Programかららしいです。

Mansion Over the Hilltop
By IRA F.Stanphill

I'm satisfied with just a cottage below
A little silver and a little gold
But in that city where the ransomed will shine,
I want a gold one that's silver lined.

(Repeat)
I've got a mansion just over the hilltop
In that bright land where we'll never grow old
And someday yonder we will nevermore wander
But walk the streets that are purest gold

Tho often tempted, tormented and tested
And like the prophet my pillow a stone
And tho I find here no permanent dwelling
I know He'll give me a mansion my own.

(Repeat)

Don't think me poor or deserted or lonely
I'm not discouraged, I'm heaven bound
I'm just a pilgrim in search of a city
I want a mansion a harp and a crown

(Repeat)


(意訳)
私はこの地上にある本当に小さな家で満足している
少しの銀貨と少しの金貨
けれど贖われた私たちが光る都市(天国)では
銀の縁取りがされた金の家に住みたいものだ!

(繰り返し)
私は、丘の上に大きな館を持っている
私たちがけっして年老いないあの光り輝く土地に
そしていつか、二度と彷徨うことなく
最も清廉された黄金の道を歩くのだ

時に誘惑され、苦悩し、試される
あの預言者のように石を枕にして
けれどここに私は永遠の住み処を見ない
神様が私のための館を用意してくれていると知っているから

私が貧相だとかさびれてるとか孤独だと思わないでくれ
私は落胆していない、天国に結ばれているから
今はあの都市を探すための旅人にすぎない
私は館と竪琴と冠が欲しい

この曲は、この地上には自分の財産はたいしてないけれど、天には神様が用意してくださっている、と歌っています。最後の節で竪琴と冠が欲しい、といっているのは、これは天の富を指します。私たちは救われてから、神様に従ってする善い行いや人助け、神への賛美などにより、その冠を天国に行ってから神様からいただくことができるのです。この歌では、天に富を積みたい、と歌っているんですね。

マタイの福音書6:19-21
あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、錆びつくこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。

Lay not up for yourselves treasures upon earth, where moth and rust doth corrupt, and where thieves break through and steal: but lay up for yourselves treasures in heaven, where neither moth nor rust doth corrupt, and where thieves do not break through nor steal: For where your treasure is, there will your heart be also.

これは、地上にお金を持つことが悪い、といっているのではありません。私たちは、自分たちの生活を支えるために、勤労をすることが大切です。しかし、すべての行動の軸が、物欲や所有欲からくるお金もうけのためだけになってはならない、ということなんですね。

マタイの福音書6:24
誰も、2人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。

No man can serve two masters: for either he will hate the one, and love the other; or else he will hold to the one, and despise the other. Ye cannot serve God and mammon.

お金を稼ぐことは、生きていく上でとても大切です。しかし、常に心は神様を見据えて、お金や物品に生活をコントロールされないようにして下さいね。私たちが地上で手にするお金や物のひとつひとつも、すべて神様からのギフトであることを忘れずに、いつでも感謝する心を持ちましょう!

2008年7月11日

スポーツ・ウーマン??

最近、運動とは無縁の生活をしてきたのですが、妊婦なので、一日最低30分は歩かないとだめだよね、ということで、最近歩きはじめました。とはいえ、夏のAltusは昼間は40度近くまで気温が上がる土地。とても昼間に1人で外を歩く気はしません。そんなわけで、ダニーが午後ジムにいってトレーニングをする脇で、ランニングマシンの上でウォーキングを始めました。もともとバランス感覚のない私としては、初めはあの短いベルトコンベアのようなものの上を上手に歩けるのか?と不安にすらなりましたが、よく老人やリハビリの人がやっている姿を目にするので、運動神経の鈍い妊婦にもできるはず、と勇気をだしてやってみました。案外楽しいですね。しかし、30分超低スピードで歩くと、その消費カロリーは….50。たった50か、、、と思ってしまいます。そんな私の横で、ダニーはものすごいスピードで走っているので、よく転ばないもんだ、とつくづく感心するんですが。ともかくマッチョな軍人さんや健康指向のアメリカンな奥様たちが熱心に各自トレーニングに打ち込むのにまざって、1人で東洋人の妊婦がのんびり歩いている姿は微妙に浮きます。

今朝は好物&超簡単なアップル・クランブルを焼きました。作り方が知りたいかたは、林望の「イギリスはおいしい」をご参照ください。のってたかな?(笑)


さて今日はTrust and Obeyという曲をご紹介します。

メロディはLorain County Free-Net Chapelからです。
http://misslink.org/chapel/sound/trustob.mid


TRUST AND OBEY
John H Sammis & Daniel B Towner

When we walk with the LORD in the Light of His word
What a glory He sheds on our way!
While we do His good will, He abides with us still
And with all who will trust and obey.

(Repeat)
Trust and obey, for there's no other way
To be happy in Jesus, but to trust and obey

Not a shadow can rise, Not a cloud in the skies
But His smile quickly drives it away
Not a doubt or a fear, not a sigh nor a tear
Can abide while we trust and obey

(Repeat)

Not a burden we bear, not a sorrow we share
But our toil He doth richly repay
Not a grief nor a loss, not a frown or a cross
But is blessed if we trust and obey

But we never can prove the delights of His love
Until all on the altar we lay
For the favour He shows and the joy He bestows
Are for them who will trust and obey

(Repeat)

Then in fellowship sweet we will sit at His feet
Or we'll walk by His side in the way
What He says we will do, where He sends we will go
Never fear only trust and obey

(Repeat)



この曲は、イエス様の御言葉を信頼し(TRUST)そして従う(OBEY)ことで、なんてハッピーに暮らせるんだ、という歌です。ちなみに、歌詞のHisとHが大文字になっている"He"とは、イエス様を指します。英語が得意でないと思っているかたも、歌詞をじっくり読んでみてください。難しい単語はあまりありません。

(意訳)
イエス様の御言葉の光の中を歩いていくと、神様はなんとその栄光を与えて下さることだろう!彼の意志を行い、共にイエス様を信じ従う私たちと共に一緒にいてくださる。

(繰り返し)
信じて従おう、イエス様のもとで幸せであるためには、信じて従う、それしか道はない

彼の微笑みは、闇も空の雲も追い出してしまう。私たちが信じて従う間、そこには疑いも畏れも、ため息も涙もありはしない。

重荷もなく、悲しみもなく、イエス様は私たちの労苦に豊かに見返りをくださる。私たちが信じて従えば、悲嘆にくれることも失うものもなく、不機嫌になることも怒ることもない。

けれど私たちは、すべてを祭壇でイエス様に任せない限り、彼の愛による喜びを証明できはしない。彼の親切も、心にくださる喜びも、彼を信じて従う者たちだけのためにあるから。

イエス様と共に歩いたり、彼の足下に座っている親睦はとても甘い。私たちは畏れることなく、ただ信じて従って、彼の言うことを行い、彼の示す場所へ進む。


今日は、箴言の10章を読んでいました。下記にいくつか抜粋しますが、全部よんでみてください。ここには、神様に従って生きる者と、従わずに生きる者の辿る道が繰り返し書かれています。神様に従うって、どういうことでしょうか?それはもちろん、聖書に書かれているあるべき人間性を辿る、ということでもありますが、それ以上に、神様に自分の思うこと、やりたいこともすべて打ち明けて、自分の意志ではなく、神様の意志を聞いて、それに従うこと、それが大事なんですね。水曜日の礼拝でHawn牧師は自分の体験談を話ししていました。昔仕事を探していた時に、お給料もよく、保険も効いてすべて整った工場でのフルタイム・ジョブと、違う会社の保険も入れてくれないパート・タイムと二つのオファーがあり、すべての人が前者を選ぶべきだといったけれども、お祈りをして神様に聞いた所、後者を選びなさい、と示されたそうです。そこで、周り中の人にバカ呼ばわりされながら、パートタイムの仕事を選んだところ、すぐに保険がでるようになった上、その数週間後に前者の工場は潰れてしまったそうです。神様の声って、なにも映画のように雷みたいのが降ってきて・・・っていうものではなく、とても小さく心に響く感じなので、自分の意志ばかりに固執していると、聞き落としてしまいがちです。でも、その声に従っていれば間違いはありません。いつでも、お祈りをしたらその声や導きに敏感でいたいものですね。

以下、箴言10章より。歴史上最も神様から知恵を与えられた王様、ソロモン王による格言集です。

3 主は従う人を飢えさせられることはない。逆らう者の欲望は退けられる。The LORD will not suffer the soul of the righteous to famish: but he casteth away the substance of the wicked

6 神に従う人は頭に祝福を受ける。神に逆らう者は口に不法を隠す。Blessings are upon the head of the just: but violence covereth the mouth of the wicked.

7 神に従う人の名は祝福され 神に逆らう者の名は朽ちる。The memory of the just is blessed: but the name of the wicked shall rot.

11 神に従う人の口は命の源 神に逆らう者の口は不法を隠す。The mouth of a righteous man is a well of life: but violence covereth the mouth of the wicked.

16 神に従う人の収入は生活を支えるため 神に逆らう者の稼ぎは罪のため The labour of the righteous tendeth to life: the fruit of the wicked to sin.

20 神に従う人の舌は精選された銀 神に逆らう者の心は無に等しい
The tongue of the just is as choice silver: the heart of the wicked is little worth.

24 神に逆らう者は危惧することに襲われる。神に従う人の願いは叶えられるThe fear of the wicked, it shall come upon him: but the desire of the righteous shall be granted.

28 神に従う人は待ち望んで喜びを得る 神に逆らう者は期待しても裏切られる The hope of the righteous shall be gladness: but the expectation of the wicked shall perish.

30 神に従う人はとこしえに揺らぐことなく 神に逆らう者は地に住まいを得ないThe righteous shall never be removed: but the wicked shall not inhabit the earth.

32 神に従う人の唇は好意に親しみ 神に逆らう者の口は暴言に親しむThe lips of the righteous know what is acceptable: but the mouth of the wicked speaketh forwardness.

"Trust and Obey"を毎日実行して、クリスチャンとして成長しましょう!まだイエス様を信じていないかたは、考えてみてくださいね☆

出典:聖書 新共同訳 日本聖書教会 2003
KJV Bible Thompson Chain reference Study Bible, Kirkbridge,1988


2008年7月9日

ウサギ日和

基地内にたくさんいるウサギさん達ですが、ようやく写真が撮れました。夕方、ゴルフ場付近でぼーっとしている所をキャッチ。ゴルフ場にはいつでもそこら中飛び回っているそうです。ダニーは、茂み近くに落ちたゴルフボールを探しているときに不意に飛び出してきた巨大なウサギさんに驚かされたそうです。彼ら、立ち上がるとけっこう背が高いんですよ。夜、2人で散歩をしていたら、家の廻りにもたくさんいました。人慣れしているのか、あまり逃げないようです。天気も相変わらず良く、のどかなウサギ日和でした。


今週は、新約聖書のヤコブ書3章を毎日読んでいます。その13節から18節がとても好きです。

13-16
あなたがたの中で、知恵があり分別があるのは誰か。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔からでたものです。ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。

Who is a wise man and endued with knowledge among you? Let him shew out of a good conversation his works with meekness of wisdom. But if ye have bitter envying and strife in your hearts, glory not, and lie not against the truth. This wisdom descendeth not from above, but is earthly, sensual, devilish. For where envying and strife is, there is confusion and every evil work.

17-18
上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。

But the wisdom that is from above is first pure, then peaceable, gentle, and easy to be intreated, full of mercy and good fruits, without partiality, and without hypocrisy. And the fruit of righteousness is sown in peace of them that make peace.


第三章全体としては、自分の話すことに気をつけなさい、という教えがのべられています。自分の舌を制御することができないと、人間はすぐに人をうらやんだり、悪口を言ったりします。この3章の最後の部分は神様からの知恵をもった人とはどのようなものか、が書かれています。「悪知恵」という言葉かありますが、13-16はまさに悪知恵をもった人について述べられています。自分の欲が深くてずる賢い人って、いますよね。また、そういう人はとかくプライドも高く、他人に対して嫉み深かったりします。聖書にもそのものズバリ書かれているので、ずーっと昔から人間ってちっとも変わっていないんだなあ、と思ってしまいます。
17-18は、神様から与えられた知恵をもっている人についての描写です。ここにあるような人が、職場の上司だったら嬉しいですよね。もし職場に13-16のような上司がいる場合、その人が救われて17-18の人柄に変わるようにお祈りしてあげてください!イエス様は私たち1人1人のそんな小さな祈りも必ず聞いてくださいます。根気よく、清らかな心でその人のためを思って、お祈りしてあげることが大事ですよ。

昔、「祈る」ということが「呪う」系の方にいっちゃっている人を見ましたが、「宗教」と言われるものの中で、神様との関係をよく保つ、というよりも、自分たちの利己的な欲望や思いを成し遂げるためのツールとして「祈り」を用いていると思われる人たちがいますが、それって「呪い」ですよね。私はバプテスト教会に来てから、みんな本当に他人のためを思って、善のパワー全開でお祈りしているのを見て、これは正しいあり方だと思いました。カルトの人たちは、聖書などを持ち出して、超利己的に神の御言葉を解釈して人をコントロールしようとしたりします。私も、クリスチャンになりたての頃は聖書の内容もまったく知らなかったので、他人のいうことに困惑することが多々ありました。1番大切なのは、自分自身でしっかりと聖書を読んで、いろいろな宗教者やミニスター、牧師などと言われる人たちが言っていることが、本当に聖書に乗っ取っているかどうかを見極めることです。神様に、正しい情報を見極める知恵をください、とお祈りするのも大事ですね。そうすると、カルトや怪しい宗教に引き込まれる危険はずっと減ります。ある一個人を神として崇めさせる宗教系の活動があったら、それは確実に偶像崇拝なので、カルトです。人間はどんなに偉い人でも、間違いを犯します。完全では有り得ないからです。でも、神様にミスはありません。


最後に、詩編から神様を信じて、その道にしたがって進む人の幸福を歌った詩です。

詩編128
いかに幸いなことか 主を畏れ、主の道に歩む人よ。
あなたの手が労して得たものはすべて あなたの食べ物となる。
あなたはいかに幸いなことか いかに恵まれていることか
妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。
食卓を囲む子らは、オリーブの若木。
見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。
シオンから 主があなたを祝福してくださるように。
命のある限りエルサレムの繁栄を見 多くの子や孫を見るように。
イスラエルに平和。


Blessed is every one that feareth the LORD; that walketh in his ways.
For thou shalt eat the labour of thine hands: happy shalt thou be, and it shall be well with thee. Thy wife shall be as a fruitful vine by the sides of thine house: thy children like olive plants round about thy table. Behold, that thus shall the man be blessed that feareth the LORD. The LORD shall bless thee out of Zion: and thou shalt see the good of Jerusalem all the days of thy life. Yea, thou shalt see thy children's children, and peace upon Israel.

毎日、神様との正しい関係を築けるよう、イエス様に自分の心に平和を与えてもらいましょうね。

出典:聖書 新共同訳 日本聖書教会 2003
KJV Bible Thompson Chain reference Study Bible, Kirkbridge,1988


2008年7月6日

独立記念日

7月4日は、アメリカの独立記念日でした。夕方から、教会で仲良くしていただいているニコルスさん宅にBBQに招かれました。なんと7人も子供がいる、大家族のニコルスさん宅は、昔孤児院だった建物を改造して家にしているのでとっても広く、野菜も自家栽培したり、鶏も飼っていたりと、素敵なカントリー・リビングを実践しています。東京育ちの私的には、広い庭や、畑、鶏、犬、猫、その他もろもろのお世話をしながら、子供を7人育て上げる夫婦の仕事量に感服します。2人ともアメリカ空軍に務めていたので、普通の仕事も忙しかったことでしょう。偉いなあ。一番上のお子さんは実は私とダニーと同じ年くらいなのですが、みんな聖書の勉強にもとても精通していて、娘さんたちも子供たちのためのバイブル・キャンプで奉仕したり、教会でピアノを演奏したり、家族で音楽演奏まで披露してくれちゃう、かなりエンターテイメント性の高いご家庭です。兄弟がこれだけたくさんいると、そこで社会が成立するから、家庭内で仲間と一緒に打ち込めるものがあっていいんだろうと思いました。一緒にいるとつくづく勉強になるクリスチャン・ファミリーです。私とダニーも9月には親になるということで、これからいろいろ学んでいくことでしょう・・・・!!


折角Patrioticな日ということで、アメリカの愛国歌をご紹介。
Youtubeからです。画像もあっていいかな、と。

http://www.youtube.com/watch?v=3Irf9bck5LQ&feature=related


O Beautiful for spacious skies
By Katherune L.Bates & Samuel A.Ward


O beautiful for spacious skies, For amber waves of grain
For purple mountain majesties above the fruited plain!
America! America! God shed His grace on thee
And crown thy good with brotherhood From sea to shining sea!

O beautiful for pilgrim feet, whose stern, impassioned stress
A through fare for freedom beat across the wilderness!
America! America! God mend thine every flaw,
Confirm thy soul in self control, thy liberty in law!

O beautiful for heroes proved in liberating strife
Who more than self their country loved and mercy more than life!
America! America! May God thy gold refine
Till all success be nobleness and every gain divine!

O beautiful for patriot dream that sees beyond the years
Thine alabaster cities gleam undimmed by human tears!
America! America! God shed His grace on thee
And crown thy good with brotherhood from sea to shining sea!

この曲は、Hymnal(聖歌集)にももちろんのっています。歌詞をじっくりみると、アメリカが聖書を信じるキリスト教国家であったことがよくわかります。英国の政治的かつ宗教的カソリック支配による抑制から逃れたクリスチャン達がアメリカを建てたらしいので、二番の歌詞なんかは、過酷な気候や戦いを生き抜いてアメリカ建国にいたった人たちの喜びや政治的抑制からの自由がよく現れていますね。また、神様が創造された自然の美しさがよく表現された歌です。

聖書の詩編65を見ると、宇宙すべてを司り、地球を創造された神様の力と愛がよく讚えられています。ここでは第6節から14節までを引用しますが、手元に聖書がある方は是非全部読んでみてください。1−14節までしかありませんので。


6-9
わたしたちの救いの神よ あなたの恐るべき御業が わたしたちへのふさわしい答えでありますように。遠い海、地の果てに至るまで すべてのものがあなたに依り頼みます。御力をもって山々を固く据え 雄々しさを身に帯びておられる方。大海のどよめき、波のどよめき 諸国の民の騒ぎを静める方。お与えになる多くのしるしを見て 地の果てに住む民は畏れ敬い 朝と夕べの出で立つ所には 喜びの歌が響きます。


By terrible things in righteousness wilt thou answer us, O God of our salvation; who art the confidence of all the ends of the earth, and of them that are afar off upon the sea: Which by his strength setteth fast the mountains; being girded with power: Which stilleth the noise of the seas, the noise of their waves, and the tumult of the people. They also that dwell in the uttermost parts are afraid at thy tokens: thou makest the outgoints of the morning and evening to rejoice.

10-14
あなたは地に臨んで水を与え 豊かさを加えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。あなたがそのように地を備え 畝を潤し、土をならし 豊かな雨を注いで柔らかにし 芽生えたものを祝福して下さるからです。あなたは豊作の年を冠として地に授けられます。あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。荒れ野の原にも滴り どの丘も喜びを帯とし 牧場は羊の群れに装われ 谷は麦に覆われています。ものみな歌い、喜びの叫びをあげています。


Thou waterest the ridges thereof abundantly: thou settlest the furrows thereof: thou makest it soft with showers: thou blessest the springing thereof. Thou crownest the year with thy goodness; and thy paths drop fatness. They drop upon the pastures of the wilderness: and the little hills rejoice on every side. The pastures are clothed with flocks; the valleys also are covered over with corn; they shout for joy, they also sing.


創世記を見ると、神様がどのように地球をつくり、自然や人間を創造されたかが描いてありますが、詩編のここの部分で讚えられている神様は、小さなものまで丁寧に面倒を見て下さる慈愛に満ちたキャラクターであることがわかります。(先日のHis Eyes on the sparrowでもそうですね。)もちろん、神様は旧約聖書にあるように、裁きの神様であり、怒ると容赦しない神様でもあります。旧約聖書の歴代誌なんかを読むと、いろいろな王様の信仰が綴られています。神様の意志を求め、それに従っている間はすべてに成功をおさめていた王たちも、偶像崇拝に陥ったり、神様の意志に背いたりして転落していく様子がありありと描かれています。神様は、すべてを支配する方として畏れるべき存在であると同時に、あらゆるものにその愛を与えて下さる優しさに満ちた存在なんですね。

神様が私たちに用意して下さった道を求め、それを外れることのないように毎日祈りと感謝を捧げて歩む心、それが慈愛に満ちた神様と良い関係を保つための第一歩です。救われている皆さんは、なんでも心にあることを神様と相談して決めていきたいですね。

2008年7月3日

健康週間

アート制作用の机を購入しました。基地内のThrift shop(中古品屋さん)で$12でした。DANSK Designのかなり大きいやつなので、使いやすそうです。日本からの荷物第二陣が7月中旬頃に届く予定で、そのなかに大量のアクリル絵の具やら筆やらがあるため、お絵描きはいましばらくおあずけ状態なんですが。

ツバメさんの巣に、おそらく小さい雛がいると思われます。まだ見えないのですが、ふわふわした感じの毛が少しだけ巣から覗いています。まだ産まれたてなのでピーピー餌を求めている様子もなく、はやく育って顔をだしてくれないかねえ、とダニーと言っています。親鳥は相変わらずせっせと何か運んできているので、ひな鳥たちが顔を出す日も近いはず!

今週のMcKittrick家は「Eating healthy week」です。要するに、「健康な食生活をしよう週間」ってところでしょうか。日曜日のお昼に教会のおじいちゃん、おばあちゃんたちに招待されて、古き良きアメリカン・ビュッフェを食べにいったのですが、それがとても美味しく、思わず大量に食べてしまったところ、(ローストビーフ、ハム、ターキー、フライドチキン、コールスローサラダ・マッシュドポテト・レモンパイなどなど)どうやらものすごい油や砂糖の量だったらしく、翌朝までまったくお腹が減りませんでした。「これを毎日食べていたら確実に太るね」とダニーと確認しあい、今週はもっぱら家でなるべくノン・オイル、野菜たっぷり手料理を食べています。

そんな雑談はさておき、今日は詩編の32から。

1-4
いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜もわたしの上に重く わたしの力は夏の日照りにあって衰え果てました。

Blessed is he whose transgression is forgiven, whose sin is covered. Blessed is the man unto whom the LORD imputeth not iniquity, and in whose spirit there is no guile. When I kept silence, my bones waxed old through my roaring all the day long. For day and night thy hand was heavy upon me: my moisture is turned into the drought of summer. Selah.

5
わたしは罪をあなたに示し 咎を隠しませんでした。わたしは言いました「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦してくださいました。

I acknowledged my sin unto thee, and mine iniquity have I not hid. I said, I will confess my transgressions unto the LORD; and thou forgavest the iniquity of my sin. Selah.

6-7
あなたの慈しみに生きる人は皆 あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも その人に及ぶことは決してありません。あなたはわたしの隠れ家。苦難から守って下さる方。救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方。

For this shall every one that is godly pray unto thee in a time when thou mayest be found: surely in the floods of great waters they shall not come nigh unto him. Thou art my hiding place: thou shalt preserve me from trouble; thou shalt compass me about with songs of deliverance. Selah.

8-9
わたしはあなたを目覚めさせ 行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。

I will instruct thee and teach thee in the way which thou shalt go: I will guide thee with mine eye. Be ye not as the horse, or as the mule, which have no understanding; whose mouth must be held in with bit and bridle, lest they come near unto thee.

10-11
神に逆らう者は悩みが多く 主に信頼する者は慈しみに囲まれる。神に従う人よ、主によって喜び踊れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。

Many sorrows shall be to the wicked: but he that trusteth in the LORD, mercy shall compass him about. Be glad in the LORD, and rejoice, ye righteous: and shout for joy, all ye that are upright in heart.


この詩は、ダビデ王によるものですが、とても美しく救いの奇跡が表現された詩ですね。初めの1-4節目は、自分の中にある罪を神様に告白して、赦していただいた後の心の喜びを現しています。後半部「わたしは黙し続けてー」からは自分の罪を心に隠している重さが描かれています。友人や家族に嘘をついていて、それを隠しつづけたりするのって心が重いですよね。また、自分でも間違っているという罪の意識に常にさいなまれて、暗くなったりしがちです。けれど、それを告白すると、案外もめごとにもならず仲直りできたりします。神様は私たちの心の中までいつでもお見通しです。神様に、自分の罪を告白して、赦していただいた者は、なんと幸いなことだろう、とここでは歌われています。

5節目は、神様に赦していただくために、罪を告白しようと決意し、過ちが赦されたといっています。これはまさに、イエス様が十字架にかかり、私たち一人一人の罪を肩代わりしてくれたことによる救いにつながります。イエス様に罪を告白することで、彼はあなたの罪も肩代わりしてくれて、神様とあなたの間の関係を、再び繋げてくれるのです。

6-7節を見ると、神様に赦され、その安息の中に憩う様子が描かれています。8-9節は神様からの教えで、救われた者たちは、どのようにしてその行く道を神様が整えてくださるか、ということ。10-11節は以上の確認として、いかに主=イエス・キリストに信頼をおき、その喜びのなかに生きることは幸せかと歌っているんですね。

ローマ章 3:23—24 人は皆、罪を犯して神の栄光をうけられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
For all have sinned, and come short of the glory of God; being justified freely by his grace through the redemption that is in Christ Jesus.

これが、神様からの人間への「永遠の命」の贈り物です。よくオカルト系の人たちは本気で永遠にこの肉体を持って生きられる、というような解釈をするようですが、そんなわけはなく、「永遠の命」というのはあくまでもSpirit, 魂の話。死んでから自分の魂が悪魔につかまって地獄に落ちるのではなく、神様の元に帰って天国で安らぎたいですよね。死ぬ間際になってから決めればいいや、と考える人がたくさんいるのですが、実際自分がいつ死ぬかなんて私たちには知る由もないので、まだ神様と仲直りしていない人は、是非イエス様に罪を赦してくれるように頼んでみてください。

ローマ章 10:13 主の名を呼び求める者はだれでも救われるのです。 
For whosoever shall call upon the name of the Lord SHALL BE SAVED.

「救われる」ということ自体は、決して難しいことではないんですよ!!

出典:聖書 新共同訳 日本聖書教会2003
KJV Bible Thompson Chain reference Study Bible, Kirkbridge, 1998


2008年7月1日

His eye is on the sparrow


今日は私の大好きなHymn(聖歌)のうちの1つ、His eye is on the sparrowをお届けします。(ちなみに写真はsparrowではなく、巣づくりに励むswallowです。)

この曲は、神様は小さな雀すらちゃんと見ていて守っていてくださるんだから、私のこともちゃんと見ていてくださっている、という神様に対する感謝とその喜びをあらわした歌です。私はロンドンでクリスチャンになったばかりのときに、繰り返しの部分の" I sing because I'm happy" というところだけあるゴスペル歌手が歌うのを聞いて、心打たれました。

メロディはCyberhymnalのHPからです。http://www.cyberhymnal.org/htm/h/i/hiseyeis.htm

His Eye is on the sparrow

By Mrs. C.D. Martin & Chas.H.Gabriel 1905

Why should I feel discouraged, why should the shadows come,

Why should my heart be lonely, and long for heaven and home,

When Jesus is my portion? My constant friend is He:

His eye is on the sparrow, and I know He watches me;

His eye is on the sparrow, and I know He watches me.

(Refrain)
I sing because I'm happy,
I sing because I'm free,

For His eye is on the sparrow,
 And I know He watches me.

"Let not your heart be troubled," His tender word I hear,

And resting on His goodness, I lose my doubts and fears;

Though by the path He leadeth, but one step I may see;
His eye is on the sparrow, and I know He watches me;
His eye is on the sparrow, and I know He watches me.

(Refrain)

Whenever I am tempted, whenever clouds arise,

When songs give place to sighing, when hope within me dies,

I draw the closer to Him, from care He sets me free;

His eye is on the sparrow, and I know He watches me;

His eye is on the sparrow, and I know He watches me.

<意訳>

イエス様がいつも友達としてずっとそばにいてくれているのだから、暗くなったり、がっかりしたり、1人で寂しいとおもったりすることはない。「心を悩ませていないで、神様の栄光のなかに休まりなさい」そういうイエス様の声を聞いて疑いや畏れが消えていく。私の1歩1歩を神様は導いて下さる。いつでもわたしが誘惑されたり、暗雲がたちこめて歌がため息に変わり、希望を失いそうになっても、神様に近づくとその優しさで私を自由に解放してくださる。神様の目は小さな雀にもとまっているのだから、私のこともいつでも見ていてくださる。私は喜びのなかで歌う、私は自由なので歌う。神様の目は雀にもとまっているのだから、私を見ていてくださると知っているから。

今朝は6月30日ということで(アメリカ時間)詩編の30を読んでいました。御手元に聖書がある人は、是非よんでください。神様の守って下さるありたがさや、その救いの御心に対する感謝がよくあらわされたダビデ王による賛歌です。

詩編30

主よ、あなたをあがめます。あなたは敵を喜ばせることなく わたしを引き上げてくださいました。私の神、主よ、叫びもとめる私をあなたは癒してくださいました。主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ 墓穴に下ることを免れさせ わたしに命を与えてくださいました。

I will extrol thee, O Lord; for thou hast not made my foes to rejoice over me. O Lord my God, I cried unto thee, and thou hast healed me. O Lord, thou hast brought up my soul from the grave: thou hast kept me alive, that I should not go down to the pit.

主の慈しみに生きる人々よ 主に賛美の歌を歌い 聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。ひととき、お怒りになっても 命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも 喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。
Sing unto the Lord, O ye saints of his, and give thanks at the remembrance of his holiness. For his anger endureth but a moment; in his favour is life: weeping may endure for a night, but joy cometh in the morning.

平穏な時には、申しました。「わたしはとこしえに揺らぐことがない」と。主よ、あなたが御旨によって砦の山に立たせて下さったからです。しかし、御顔を隠されるとわたしはたちまち恐怖に陥りました。主よ、わたしはあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。私が死んで墓に下ることに何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげあなたのまことを告げしらせるでしょうか。主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、私の助けとなってください。
And in my prosperity I said, I shall never be moved. Lord, by thy favour thou hast made my mountain to stand strong: thou didst hide thy face, and I was troubled. I cried unto thee, O Lord; and unto the Lord I made supplication. What profit is there in my blood, when I go down to the pit? Shall the dust praise thee? Shall it declare thy truth? Hear O Lord, and have mercy upon me: Lord, be thou my helper.

あなたはわたしの嘆きを踊りに変え 粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。わたしの魂があなたを誉め歌い 沈黙することのないようにしてくださいました。私の神、主よ とこしえにあなたに感謝をささげます。
Thou hast turned for me my mourning in to dancing: thou hast put off my sackcloth, and girded me with gladness; To the end that my glory may sing praise to thee, and not be silent. O Lord my God, I will give thanks unto thee forever.

出典:聖書 新共同訳 日本聖書教会 2003
KJV Bible Thompson Chain reference Study Bible, Kirkbridge,1988