2008年8月28日

The Pilgrim's Progress

今日は超オススメの本をご紹介。John Bunyan作の名作Pilgrim's Progress.邦訳バージョンは「天路歴程」という題名です。日本語訳の方はまだ読んでみていないのでどの訳がオススメかは言えないのですが、この本は17世紀のイギリスのBaptistの牧師さんが、聖書そのままの福音を伝えていたために捕まり、牢屋に入れられている間に書いたもの。(政治がらみで宗教も思想操作のためにねじ曲がっている時代だったのでしょう) この本は、クリスチャンの信仰の成長を寓話で、聖書の御言葉にそってものすごく巧みに描写したもので、本当におもしろいです。" City of Destruction" (破滅の町)に住んでいたChristian(クリスチャン:主人公)が、さまざまな困難をくぐり抜けながら"Celestial City"(天の都)にたどり着くまでの物語。聖書の内容をしっていればいるほど、またクリスチャンの方は自分の救いや成長の体験と照らし合わせ、納得しながら読めると思います。注釈に「聖書のこの箇所」とかヒントがでているので、知らない人もついでにお勉強もできていいかも。是非読んでみてください。

Pilgrimついでに、今日はFanny Crosby作の"The Pilgrim's Journey"という曲をご紹介。Cyberhymnalからです。

http://www.cyberhymnal.org/htm/p/i/pilgrimj.htm

The Pilgrim's Journey
By Fanny Crosby , music by W.Howard Doane

Slow to anger, full of kindness,
Rich in mercy, Lord, Thou art,

Wash me in Thy healing fountain,
Take away my sinful heart.

-Refrain-
I would go the pilgrim's journey,
Onward to the promised land;

I would reach the golden city,
There to join the angel band.

Thou wilt never, never leave me,
If I give myself to Thee,

Teach, O teach me how to praise Thee,
Tell me what my life should be.

Refrain

May Thy ever gracious spirit,
Lead me in the way of truth,

May I learn the voice of wisdom,
In the early days of youth.

Refrain

O! how sweet to rest confiding,
On Thy Word that cannot fail,

Strong in Thee, whate'er my trials,
Through Thy grace I must prevail.

Refrain

(意訳)
忍耐強く、慈しみに満ち、恵みに富んだ主よ、貴方の癒しの泉で私を洗い、
この罪深い心を取り去ってください。

—繰り返しー
私は旅人の道をゆく、約束の土地へ向けて進む。
その黄金の都市にたどり着き、天使たちの音楽隊に加わるのだ

主よ、貴方は決して私を見捨てはしない、私が自身をあなたに捧ぐなら。
主よ、どうぞどのように貴方を讚えるべきか教えてください、
そして私の人生とはどうあるべきかを。

あなたの慈悲深い聖霊が、私を真実の道へお導きくださるように。
まだ若いうちに、あなたの知恵の声をよく学べますように

あなたを信頼し安らぐ甘い時、あなたの御言葉の上に失敗はない。
どのような困難があろうとも、あなたの慈しみの中で力強く、打ち勝たねばならない。


Pilgrim's Progressの物語の中心軸となるのもそうですが、クリスチャンとしての歩みのなかで最も重要なものはFAITH(信頼、信仰)です。それも、「イエス様による救い」に対する信頼が鍵です。

エフェソ2:8-9 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。
For by grace are ye saved through faith; and that not of yourselves: it is the gift of God: not of works, lest any man should boast.

天国へ行く道は、決して「善い行い」をたくさんして、天秤に載せて「悪い行い」よりも上回ったらいかれる、というものではありません。上の聖句はそのことをはっきりと伝えています。なぜなら、どんなに人間の目にとって「善い行い」も、神様の目にとってはすべて等しく卑しいものだからです。

イザヤ書64:5 私たちは皆、汚れた者となり、正しい業もすべて汚れた着物のようになった。私たちは皆、枯れ葉のようになり、わたしたちの悪は風のように私たちを運び去った。
But we are all as an unclean thing, and all our righteousnesses are as filthy rags; and we all do fade as a leaf; and our iniquities, like the wind, have taken us away.

テトスへの手紙3:5-7 神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、ご自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。神は、私たちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望通り永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。
Not by works of righteousness which we have done, but according to his mercy he saved us, by the washing of regeneration, and renewing of the Holy Ghost. Which he shed on us abundantly through Jesus Christ our Saviour; that being justified by his grace, we should be made heirs according to the hope of eternal life.

信仰といっても、空虚な信仰や間違った信念を持っていても意味がありません。例えば、あるカルトの人たちは「救い」とはイエス様の十字架を信じること(でも自分の罪を認めて悔い改めるという意識はあまりない)+善い行いをすること(しかもノルマが決まっていたりする)+団体の活動のためにいくら献金することetc etc,,などなどいろいろ付加されていたりします。マタイの福音書にこうあります。

マタイ7:21-23 「わたしに向かって、『主よ、主よ』という者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によっていろいろ奇跡を行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」
Not every one that saith unto me, Lord, Lord, shall enter into the kingdom of heaven; but he that doeth the will of my Father which is in heaven. Many will say to me in that day, Lord, Lord, have we not prophesised in thy name? and in thy name have cast out devils? And in thy name done many wonderful works? And then will I profess unto them, I never knew you: depart from me, ye that work iniquity.

神様は、人間の驕り高ぶりを好みません。救いが、「善い行い」によるものであれば、「善い行い」をたくさんした人ほど、天国にいけることになります。ということは、たとえば寝たきりで動けない人とかは、チャンスが減るわけで、そういう人はどんなに求めても天国へ行けないなんていうことになっちゃいます。決してそうではありません。「救い」は、あくまでも自己の罪深さを心から反省し、イエス様に赦しと罪からの救済を乞うことによってなされます。聖書からの例をみてみましょう。

ルカの福音書、23章26−43節までを読んでみてください。これは、イエスが2人の犯罪人と共に、十字架にかけられているシーンです。

ルカ23:39-43 十字架にかけられていた犯罪人の1人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう1人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
And one of the malefactors which were hanged railed on him, saying, If thou be Christ, save thyself and us. But the other answering rebuked him, saying, Dost not thou fear God, seeing thou art in the same condemnation? And we indeed justly; for we receive the due reward of our deeds: but this man hath done nothing amiss. And he said unto Jesus, Lord, remember me when thou comest into thy kingdom. And Jesus said unto him, Verily I say unto thee, To day shalt thou be with me in paradise.

ここで、何が起きているかというと、要するに2人の罪人がイエス様の両側に同じように十字架にかけられていて、1人はイエス様をののしる一方、もう1人はイエス様が神であると信じ、また自分の行った罪とそれに対して受けている罰を認め、せめて天国にお帰りになるときに、私のことも覚えていてください、とお願いしています。その瞬間、この罪人はイエス様により救われました。そのため、「わたしと一緒に楽園にいる」と言ってもらえたわけです。その後、数分後には皆十字架の上で死んでしまうわけですから、この罪人は、「善い行い」をする時間もなければ、「洗礼」を受けるチャンスもありませんでした。でも「救われている」わけです。前に、「洗礼」を受けること=「救い」ではないということも述べましたが、この話しはそのよい例でもあります。

詩編145:8-12 主は恵みに富み、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに満ちておられます。主はすべてのものに恵みを与え、造られたすべてのものを憐れんでくださいます。主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し、あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ、あなたの主権の栄光を告げ、力強い御業について語りますように。その力強い御業と栄光を、主権の輝きを人の子らに示しますように。

The Lord is gracious, and full of compassion; slow to anger, and of great mercy. The Lord is good to all: and his tender mercies are over all his works. All thy works shall praise thee, O Lord; and thy saints shall bless thee. They shall speak of the glory of they kingdom, and talk of they power; to make known to the sons of men his mighty acts, and the glorious majesty of his kingdom.

神様は、恵み深い方なので、私たちがイエス・キリストを通して依り頼むことによって、その恩恵にあずかることができます。しかし、Faith, 信仰のない思いは無意味です。信仰なくしては、私たちは神様に喜んでいただくことはできないからです。

ヘブライ人への手紙 
11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、したがって見えるものは、目にみえているものからできたのではないことが分かるのです。
11:6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神はご自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じなければならないからです。

Hebrews 
11:1 Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.
11:3 Through faith we understand that the worlds were framed by the word of God, so that things which are seen were not made of things which do appear.
11:6 But without faith it is impossible to please him: for he that cometh to God must believe that he is, and that he is a rewarder of them that diligently seek him.


天国へ行く道は、たった1つ、イエス・キリストの救いの奇跡を信仰をもって信じ、自分の罪の反省と、救済に依り頼むことです。けっして「どれだけ善いことをしたか競争」ではないので、よく覚えていてくださいね!!