2008年8月16日

嵐の予感

夕べは8時半過ぎくらいから夜中まで局地的雷雨でした。天気予報によると、これから数日間はずっとこんな感じで、突如雷雨が来るようです。昼間は穏やかに晴れているのですけどね。周りに高い木とかがまったくないので、雷は何に向かって落ちているんだろうと疑問です。避雷針とかも無いし。夕べは家のすぐ外にものすごい勢いで落ちていましたよ。いかにも電気ショック、といった感じのバリバリバリッという轟音が響いておりました。今はこうして立派な家に守られているけれど、ずーっと昔のインディアンたちとか、最初に馬車とテントだけで移住してきた人たちは一体この天気をどうやってしのいでいたのでしょうか。昔のパイオニアたちはタフさが現代人とはやはり違ったのでしょうね。

Hymnにも、人生の荒波を嵐にたとえて神様の愛を歌っている歌があるので、今日はその曲をご紹介。ピアノのサウンドはNorth Chester Baptist Church (http://www.nchbc.com/)のウェブサイトからです。

http://www.nchbc.com/Til%20the%20Storm.html


Till the storm passes by
By Mosie Lister

In the dark of the midnight have I oft hid my face
While the storm howls above me, and there's no hiding place
Mid the crash of the thunder, precious Lord, here my cry
Keep me safe till the storm passes by

(Chorus)
Till the storm passes over, till the thunder sounds no more
Till the clouds roll forever from the sky
Hold me fast, let me stand in the hollow of Thy hand
Keep me safe till the storm passes by

Many times Satan whispered, " There is no need to try,
For there's no end of sorrow, there's no hope by and by"
But I know Thou art with me, and tomorrow I'll rise
Where the storms never darken the skies

(Chorus)

When the long night has ended and the storms come no more
Let me stand in Thy presence, on that bright, peaceful shore
In that land where the tempest, never comes, Lord, may I
Dwell with Thee when the storm passes by


(意訳)
真夜中の暗闇の中で私はよく顔を隠した
隠れる場所もなく、嵐が真上でうなる間
落雷の落ちるさなかに、神様どうぞ私の声を聞いてください
嵐が過ぎるまで、守ってください

(繰り返し)
嵐が通り過ぎるまで、雷がやむまで
空から永遠に雲がなくなるまで
私を支え、あなたの御手の中に立たせてください
嵐がすぎるまで、守ってください

悪魔は何度も囁いた「頑張る必要はない、
この嘆きが終わることなど無いのだから、希望など存在しない」
けれど私はイエス様が私と共にいてくださることを知っている
そして明日私は嵐が二度と空を曇らせることのない朝を迎える

長い夜が空けて、嵐は二度とやってこない
神様どうぞ貴方の、明るく穏やかな浜辺に立たせてください。
嵐の来ること決してない、貴方の土地に
嵐が過ぎ去った後は、イエス様、貴方と共にいさせてください。



「人生の荒波」とかよくいいますが、人間として生きていると誰しも浮き沈みが激しく「自分は嵐のまっただ中にいるんじゃないか?」と感じる時期ってありますよね。もちろん感じ方は人それぞれなので、具体例は挙げづらいですが。

この曲は、この世界で生きている限り襲ってくる数々の嵐のなかで、イエス様だけが守ってくださる、と歌っています。そしてこの世から離れる時は、神様のいらっしゃる土地、天国にイエス様と共に住まわせてください、と言っているわけです。悪魔はいつでも私たちの耳に希望を失わせるような言葉を囁きます。けれど、しっかりとイエス様の救いを信じ、その希望の中に生きるかぎり、何度となく襲ってくる嵐から、イエス様の御手が守ってくれるんですね。

ちなみにこの曲のインスピレーションは、マルコの福音書4章35−41節にあるお話に基づいていると思われます。使徒たちとイエス様が福音を告げながら旅をしているところです。

マルコ4:35-41
その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。他の舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」といった。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ。」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

And the same day, when the even was come, he saith unto them, Let us pass over unto the other side. And when they had sent away the multitude, they tool him even as he was in the ship. And there were also with him other little ships. And there arose a great storm of wind, and the waves beat into the ship, so that it was now full. And he was in the hinder part of the ship, asleep on a pillow: and thy awake him, and say unto him, Master, carest thou not that we perish? And he arose, and rebuked the wind, and said unto the sea, Peace, be still. And the wind ceased, and there was a great calm. And he said unto them, Why are ye so fearful? How is it that ye have no faith? And they feared exceedingly, and said one to another, What manner of man is this, that even the wind and the sea obey him?

いままでも何回か言っていますが、イエス様=神様です。全てをお創りになった神様にとって、風や波を操ることなど、なんでもありません。この時点で弟子たちは、ついこの間イエス様についていくことを決めた漁師など、普通の人間たちですから、イエス様が風や湖に命令し、従わせているのを目の当たりにして仰天しているわけです。これまでの時点で、何度となくイエス様は彼自身が神様であることを弟子たちに伝えてはいるものの、充分な信仰が育っていなかった彼らの頭には理解できなかったんですね。

イエス様=神様の絶対的な力は、人間から見るとすべて「奇跡」です。たとえば水をワインに変えたり(ヨハネ2:9)、パン5つと魚二匹から5000人に食べ物を与えたり(ヨハネ6:11)、海の上を歩いたり(マタイ14:15-25)、4日間もすでに死んでいたラザロを生き返らせたり(ヨハネ11:43)、目の見えなかった人に視力を与えたり(マタイ11:4-5)、悪魔に憑かれている人から悪魔を追い出したり(マルコ1:27)、と例を挙げるとキリがありません。これらの奇跡を目の前にして、ユダヤ人たちはイエス様が神様であると信じた人もいれば、信じなかった人もいます。もちろん、最も偉大な奇跡は、十字架にかかって死んだのち、生き返って弟子たちの元に姿を現したりしたことです。(ヨハネ20, 21)そして弟子たちの目の前で天国に上って行くわけですから、他に例がないですよね。

これらの奇跡をイエス様がわざわざ人間たちに見せたのは、理由があります。

ヨハネ5:36 わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。
But I have greater witness than that of John: for the works which the Father hath given me to finish, the same works that I do, near witness of me, that the Father hath sent me.

つまり、人間たちが父なる神を信じないので、イエス様が、父なる神の子として、人類の救世主として地上にやってきたことを証しするために、奇跡を示して見せたわけです。イエス様はこう言います。

ヨハネ5:24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また裁かれることなく、死から命へと移っている。
Verily, verily, I say unto you, He that heareth my word, and believeth on him that sent me, hath everlasting life, and shall not come into condemnation; but is passed from death unto life.

そして、信じない人たちに向かってこう言います。

ヨハネ5:37-40 また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。

And the Father himself, which hath sent me, hath borne witness of me. Ye have neither heard his voice at any time, nor seen his shape. And ye have not his word abiding in you: for whom he hath sent, him ye believe not. Search the scriptures; for in them ye think ye have eternal life: and they are they which testify of me. And ye will not come to me, that ye might have life.

ここで、イエス様はとても「宗教」に熱心だったユダヤ人たちに向かって言っています。大切なことは、「宗教」に夢中になって研究をしたり、討論をしたりすることではなく、神様が御言葉として届けてくださった聖書のメッセージを信仰をもって信じ、イエス様を通して救われることです。

あなたはもし今日死んだとしたら、かならず天国に行けるという確証がありますか?嵐が襲ってくる時に、守ってくれるイエス様の手を信じていますか?