詩編116章
わたしは主を愛する。
主は嘆き祈る声を聞き わたしに耳を傾けてくださる。
生涯、わたしは主を呼ぼう。
死の綱がわたしにからみつき 陰府の脅威にさらされ
苦しみと嘆きを前にして 主の御名をわたしは呼ぶ。
「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」
主は憐れみ深く、正義を行われる。
わたしたちの神は情け深い。
哀れな人を守ってくださる主は
弱り果てたわたしを救ってくださる。
わたしの魂よ、再び安らうがよい
主はお前に報いてくださる。
あなたは私の魂を死から
わたしの目を涙から
わたしの足を突き落とそうとする者から助け出してくださった。
命あるものの地にある限り、わたしは主の御前に歩み続けよう。
わたしは信じる
「激しい苦しみに襲われている」というときも
不安がつのり、人は必ず欺く、と思う時も。
主はわたしに報いてくださった。わたしはどのように答えようか。
救いの杯を上げて主の御名を呼び
満願の献げ物を主にささげよう
主の民すべての見守る前で。
主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。
どうか主よ、わたしの縄目を解いて下さい。
わたしはあなたの僕。
わたしはあなたの僕、母もあなたに仕える者。
あなたに感謝のいけにえをささげよう。
主の御名を呼び 主に満願の献げ物をささげよう
主の民すべての見守る前で
主の家の庭で、エルサレムのただ中で。ハレルヤ。
この詩編は、実によく神による個人の魂の「救い」があらわれていると思います。
イエス様による魂の救いは、私達の魂を永遠の死、地獄から救い出してくださいます。そして私達の目の涙を拭い、人間による裏切りなどによって心痛むときも、安らぎを与えて下さるのです。じっくりこの詩編を読んでみて下さい。
2009年5月16日
狭い門
マタイの福音書7:13−14
ENTER YE IN AT THE STRAIT GATE; FOR WIDE IS THE GATE, AND BROAD IS THE WAY, THAT LEADETH TO DESTRUCTION, AND MANY THERE BE WHICH GO IN THEREAT: BECAUSE STRAIT IS THE FATE, AND NARROW IS THE WAY, WHICH LEADETH UNTO LIFE, AND FEW THERE BE THAT FIND IT.
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
神様は、私達に二つの道を示して下さっています。ひとつは、広々としていて真っ直ぐで、多くの人が向かって行く滅びに通じる門。もう一つは、細い道から続く狭い門で、少数の人だけが見つけることができる、命に通じる門です。滅びか、命か、その二つです。
詩編1:6
FOR THE LORD KNOWETH THE WAY OF THE RIGHTEOUS: BUT THE WAY OF THE UNGODLY SHALL PERISH.
神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。
二つの道とはまた、神様に従う人の道と神様に逆らう人の道です。では、神様に従う事、とはどういう事でしょうか?
箴言 21:2
EVERY WAY OF A MAN IS RIGHT IN HIS OWN EYES: BUT THE LORD PONDERETH THE HEARTS.
人間の道は自分の目に正しく見える。主は心の中をはかられる。
世の中には様々な宗教が存在しますが、それらの形式的な儀式を追う事が、神様に喜ばれることでしょうか?それは違います。神様は、私達人間の心の中をご存知です。キリストはマタイの福音書23章でこれらの人々についてはっきりと批判しています。23章全部を読んでみてください。
マタイの福音書 23:25
WOE UNTO YOU, SCRIBES AND PHARISEES, HYPOCRITES! FOR YE MAKE CLEAN THE OUTSIDE OF THE CUP AND OF THE PLATTER, BUT WITHIN THEY ARE FULL OF EXORTION AND EXCESS.
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。
形式ばかりの宗教やカルトは、神様に従う道ではありません。
マタイの福音書22:36、37
THEN ONE OF THEM, WHICH WAS A LAWYER, ASKED HIM A QUESTION, TEMPTING HIM, AND SAYING, MASTER, WHICH IS THE GREAT COMMANDMENT IN THE LAW? JESUS SAID UNTO HIM, THOU SHALT LOVE THE LORD THY GOD WITH ALL THY HEARTM AND WITH ALL THY SOUL, AND WITH ALL THY MIND.
律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい.』
イエスは、神様を心から愛すること、それが最も重要であると言っています。ではどうしたら、神様を愛することができるのでしょうか?それは、救われることです。私達は、救われると内側から清められ、新しく生まれ変わります。
パウロは、コリント信徒への手紙2でこのように述べています。
5章17節
THEREFORE IF ANY MAN BE IN CHRIST, HE IS A NEW CREATURE: OLD THINGS ARE PASSED AWAY; BEHOLD, ALL THINGS ARE BECOME NEW.
キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
人間の心は、誰しも汚いものです。しかし、それを清らかにしてくれるのが、イエス·キリストの救済の奇跡なのです。罪により神様から離れてしまった私達と神様との中を仲介してくださる方、それが唯一、イエス·キリストです。パウロはこうつづけます。
5章18−20節
AND ALL THINGS ARE OF GOD, WHO HATH RECONCILED US TO HIMSELF BY JESUS CHRIST, AND HATH GIVEN TO US THE MINISTRY OF RECONCILIATION; TO WIT, THAT GOD WAS IN CHRIST, RECONCILING THE WORLD UNTO HIMSELF, NOT IMPUTING THEIR TRESPASSES UNTO THEM; AND HATH COMITTED UNTO US THE WORD OF RECONCILIATION. NOW THEN WE ARE AMBASSADORS FOR CHRIST, AS THOUGH GOD DID BESEECH YOU BY US: WE PRAY YOU IN CHRIST’S STEAD, BE YE RECONCILED TO GOD.
これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問う事なく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。
あなたは、イエス·キリストに神様と和解させていただけるように、もうお願いしましたか?道は二つしかありません。破滅か、命か。永遠の炎に自ら身を投じないでください。私達のこの肉体は、今日死ぬかもわからないのですから!
ヨハネの福音書14章6節
JESUS SAITH UNTO HIM, I AM THE WAY, THE TRUTH, AND THE LIFE: NO MAN COMETH UNTO THE FATHER, BUT BY ME.
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行く事ができない。」
ENTER YE IN AT THE STRAIT GATE; FOR WIDE IS THE GATE, AND BROAD IS THE WAY, THAT LEADETH TO DESTRUCTION, AND MANY THERE BE WHICH GO IN THEREAT: BECAUSE STRAIT IS THE FATE, AND NARROW IS THE WAY, WHICH LEADETH UNTO LIFE, AND FEW THERE BE THAT FIND IT.
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
神様は、私達に二つの道を示して下さっています。ひとつは、広々としていて真っ直ぐで、多くの人が向かって行く滅びに通じる門。もう一つは、細い道から続く狭い門で、少数の人だけが見つけることができる、命に通じる門です。滅びか、命か、その二つです。
詩編1:6
FOR THE LORD KNOWETH THE WAY OF THE RIGHTEOUS: BUT THE WAY OF THE UNGODLY SHALL PERISH.
神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。
二つの道とはまた、神様に従う人の道と神様に逆らう人の道です。では、神様に従う事、とはどういう事でしょうか?
箴言 21:2
EVERY WAY OF A MAN IS RIGHT IN HIS OWN EYES: BUT THE LORD PONDERETH THE HEARTS.
人間の道は自分の目に正しく見える。主は心の中をはかられる。
世の中には様々な宗教が存在しますが、それらの形式的な儀式を追う事が、神様に喜ばれることでしょうか?それは違います。神様は、私達人間の心の中をご存知です。キリストはマタイの福音書23章でこれらの人々についてはっきりと批判しています。23章全部を読んでみてください。
マタイの福音書 23:25
WOE UNTO YOU, SCRIBES AND PHARISEES, HYPOCRITES! FOR YE MAKE CLEAN THE OUTSIDE OF THE CUP AND OF THE PLATTER, BUT WITHIN THEY ARE FULL OF EXORTION AND EXCESS.
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。
形式ばかりの宗教やカルトは、神様に従う道ではありません。
マタイの福音書22:36、37
THEN ONE OF THEM, WHICH WAS A LAWYER, ASKED HIM A QUESTION, TEMPTING HIM, AND SAYING, MASTER, WHICH IS THE GREAT COMMANDMENT IN THE LAW? JESUS SAID UNTO HIM, THOU SHALT LOVE THE LORD THY GOD WITH ALL THY HEARTM AND WITH ALL THY SOUL, AND WITH ALL THY MIND.
律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい.』
イエスは、神様を心から愛すること、それが最も重要であると言っています。ではどうしたら、神様を愛することができるのでしょうか?それは、救われることです。私達は、救われると内側から清められ、新しく生まれ変わります。
パウロは、コリント信徒への手紙2でこのように述べています。
5章17節
THEREFORE IF ANY MAN BE IN CHRIST, HE IS A NEW CREATURE: OLD THINGS ARE PASSED AWAY; BEHOLD, ALL THINGS ARE BECOME NEW.
キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
人間の心は、誰しも汚いものです。しかし、それを清らかにしてくれるのが、イエス·キリストの救済の奇跡なのです。罪により神様から離れてしまった私達と神様との中を仲介してくださる方、それが唯一、イエス·キリストです。パウロはこうつづけます。
5章18−20節
AND ALL THINGS ARE OF GOD, WHO HATH RECONCILED US TO HIMSELF BY JESUS CHRIST, AND HATH GIVEN TO US THE MINISTRY OF RECONCILIATION; TO WIT, THAT GOD WAS IN CHRIST, RECONCILING THE WORLD UNTO HIMSELF, NOT IMPUTING THEIR TRESPASSES UNTO THEM; AND HATH COMITTED UNTO US THE WORD OF RECONCILIATION. NOW THEN WE ARE AMBASSADORS FOR CHRIST, AS THOUGH GOD DID BESEECH YOU BY US: WE PRAY YOU IN CHRIST’S STEAD, BE YE RECONCILED TO GOD.
これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問う事なく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。
あなたは、イエス·キリストに神様と和解させていただけるように、もうお願いしましたか?道は二つしかありません。破滅か、命か。永遠の炎に自ら身を投じないでください。私達のこの肉体は、今日死ぬかもわからないのですから!
ヨハネの福音書14章6節
JESUS SAITH UNTO HIM, I AM THE WAY, THE TRUTH, AND THE LIFE: NO MAN COMETH UNTO THE FATHER, BUT BY ME.
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行く事ができない。」
2009年5月7日
テモテへの手紙
第一テモテ2:4−6
WHO WILL HAVE ALL MEN TO BE SAVED, AND TO COME UNTO THE KNOWLEDGE OF THE TRUTH. FOR THERE IS ONE GOD, AND ONE MEDIATOR BETWEEN GOD AND MEN, THE MAN CHRIST JESUS; WHO GAVE HIMSELF A RANSOM FOR ALL, TO BE TESTIFIED IN DUE TIME.
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト·イエスただおひとりなのです。この方はすべての人のあがないとして御自身を献げられました。
新約聖書にある第一、第二テモテは、パウロから若い牧師であるテモテへ向けられた教えと励ましの手紙です。イエス様の福音を信じ、信仰を持ってクリスチャンになった人には、とても有益な教えがたくさん書かれているので、是非何度も通して読んでみて下さい。とても短い書なので、聖書通読を怠けがちな方も是非チャレンジしてみてください。
パウロはここではっきりと、福音は全ての人々に伝えられるべきものであると言っています。神様は、私達人間がすべて地獄に落ちない様にと、イエス·キリストを仲介者として地上に送られました。私達が神様による地獄からの救済を受けるには、イエス·キリストのあがないの業を信じ、十字架の上で流された血によって、私達の罪も洗い流していただけるよう、いままでの罪を反省し、イエス様の名によって、神様へと仲介していただく事が唯一の手段です。天国と地獄、あなたはどちらを選びますか?
第一テモテ6:7−10
FOR WE BROUGHT NOTHING INTO THIS WORLD, AND IT IS CERTAIN WE CAN CARRY NOTHING OUT. AND HAVING FOOD AND RAIMENT LET US BE THEREWITH CONTENT. BUT THEY THAT WILL BE RICH FALL INTO TEMPTATION AND A SNARE, AND INTO MANY FOOLISH AND HURTFUL LUSTS, WHICH DROWN MEN IN DESTRUCTION AND PERDITION. FOR THE LOVE OF MONERY IS THE ROOT OF ALL EVIL; WHICH WHILE SOME COVETED AFTER, THEY HAVE ERRED FROM THE FAITH, AND PIERCED THEMSELVES THROUGH WITH MANY SORROWS.
わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去る時は何も持って行く事ができません。食べるものと着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害な様々の欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。
「金の亡者」なんていう言葉がありますが、聖書もはっきりとその事を言っています。金銭の欲は、すべての悪の根です。これは、けっしてお金を持っていることがいけない、といっているのではありません。すべて、金もうけのためだけに生きようとすると、有害な欲望に陥る、とさとしているのです。この世で、仕事やお金が生き甲斐となってしまっていると、人生はなんと虚しいものだったのか、と後悔することでしょう。しかも、死んでから地獄の火に永遠に焼かれるなんて、なんのためにうまれてきたのか、悔やんでも悔やみきれないでしょう。このあいだ書いた、金持ちとラザロの金持ちはいまこの瞬間も、天にいるラザロを眺めながら、灼熱の炎に焼かれて苦しんでいるのです。
第一テモテ6:15−16
WHICH IN HIS TIMES HE SHALL SHEW, WHO IS THE BLESSED AND ONLY POTENTATE, THE KING OF KINGS, AND LORD OF LORDS; WHO ONLY HATH IMMORTALITY, DWELLING IN THE LIGHT WHICH NO MAN CAN APPROACH UNTO; WHOM NO MAN HATH SEEN, NOR CAN SEE: TO WHOM BE HONOUR, AND POWER EVERLASTING. AMEN.
神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見た事が無く、見る事のできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように。アーメン。
唯一の真理を伝えてくださるイエス·キリストを今日、信じてみませんか?
WHO WILL HAVE ALL MEN TO BE SAVED, AND TO COME UNTO THE KNOWLEDGE OF THE TRUTH. FOR THERE IS ONE GOD, AND ONE MEDIATOR BETWEEN GOD AND MEN, THE MAN CHRIST JESUS; WHO GAVE HIMSELF A RANSOM FOR ALL, TO BE TESTIFIED IN DUE TIME.
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト·イエスただおひとりなのです。この方はすべての人のあがないとして御自身を献げられました。
新約聖書にある第一、第二テモテは、パウロから若い牧師であるテモテへ向けられた教えと励ましの手紙です。イエス様の福音を信じ、信仰を持ってクリスチャンになった人には、とても有益な教えがたくさん書かれているので、是非何度も通して読んでみて下さい。とても短い書なので、聖書通読を怠けがちな方も是非チャレンジしてみてください。
パウロはここではっきりと、福音は全ての人々に伝えられるべきものであると言っています。神様は、私達人間がすべて地獄に落ちない様にと、イエス·キリストを仲介者として地上に送られました。私達が神様による地獄からの救済を受けるには、イエス·キリストのあがないの業を信じ、十字架の上で流された血によって、私達の罪も洗い流していただけるよう、いままでの罪を反省し、イエス様の名によって、神様へと仲介していただく事が唯一の手段です。天国と地獄、あなたはどちらを選びますか?
第一テモテ6:7−10
FOR WE BROUGHT NOTHING INTO THIS WORLD, AND IT IS CERTAIN WE CAN CARRY NOTHING OUT. AND HAVING FOOD AND RAIMENT LET US BE THEREWITH CONTENT. BUT THEY THAT WILL BE RICH FALL INTO TEMPTATION AND A SNARE, AND INTO MANY FOOLISH AND HURTFUL LUSTS, WHICH DROWN MEN IN DESTRUCTION AND PERDITION. FOR THE LOVE OF MONERY IS THE ROOT OF ALL EVIL; WHICH WHILE SOME COVETED AFTER, THEY HAVE ERRED FROM THE FAITH, AND PIERCED THEMSELVES THROUGH WITH MANY SORROWS.
わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去る時は何も持って行く事ができません。食べるものと着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害な様々の欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。
「金の亡者」なんていう言葉がありますが、聖書もはっきりとその事を言っています。金銭の欲は、すべての悪の根です。これは、けっしてお金を持っていることがいけない、といっているのではありません。すべて、金もうけのためだけに生きようとすると、有害な欲望に陥る、とさとしているのです。この世で、仕事やお金が生き甲斐となってしまっていると、人生はなんと虚しいものだったのか、と後悔することでしょう。しかも、死んでから地獄の火に永遠に焼かれるなんて、なんのためにうまれてきたのか、悔やんでも悔やみきれないでしょう。このあいだ書いた、金持ちとラザロの金持ちはいまこの瞬間も、天にいるラザロを眺めながら、灼熱の炎に焼かれて苦しんでいるのです。
第一テモテ6:15−16
WHICH IN HIS TIMES HE SHALL SHEW, WHO IS THE BLESSED AND ONLY POTENTATE, THE KING OF KINGS, AND LORD OF LORDS; WHO ONLY HATH IMMORTALITY, DWELLING IN THE LIGHT WHICH NO MAN CAN APPROACH UNTO; WHOM NO MAN HATH SEEN, NOR CAN SEE: TO WHOM BE HONOUR, AND POWER EVERLASTING. AMEN.
神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見た事が無く、見る事のできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように。アーメン。
唯一の真理を伝えてくださるイエス·キリストを今日、信じてみませんか?
2009年5月2日
金持ちとラザロ
ルカ書16章19−31節
ある金持ちがいた、いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやってきては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』しかしアブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今はここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前達の間には大きな淵があって、ここからお前達の方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来る事もできない.』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が5人います。あの者達まで、こんな苦しい場所にくる事のないように、よく言い聞かせて下さい.』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟達にはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう.』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言う事を聞き入れはしないだろう.』
この話は、イエスが弟子達に様々なたとえ話をもって、救いの奇跡について教えているところです。ここで、金持ちは、この世で散々贅沢をして暮らしていましたが、神様を信じて救われてはいませんでした。一方、この世でひどい生活をしていたラザロは、信仰により神様を信じ救われていました。アブラハムは、旧約聖書のなかでも、神様への信仰により救われていた人間の象徴でもある人物で、この話では、天国の宴席において、ラザロはアブラハムの隣で喜びに満ちあふれています。一方、金持ちは救われていなかったため地獄に落ち、炎に焼かれながら、その苦しさのあまり渇ききって天国を見上げます。そこにラザロを見た彼は、水の一滴欲しさにアブラハムに語りかけます。また、救われていなかった事を後悔した金持ちは、せめて自分の兄弟達にはこの苦しみを味あわせたくないと思い、ラザロを彼らの元に送ってくれるように願います。死んだ者が現れて、天国と地獄が実現する事を述べれば、悔い改めて救いの道に入ってくれるだろうと思ったからです。しかし、アブラハムは、この世に救いのメッセージを述べ伝えている者たちがいるにも関わらず、それに聞く耳をもっていない彼らは、たとえ死人が甦って真実を語っても、それを受け入れる事は無いだろう、と言うのです。
今、生きている間に、私達はアフリカや第三国の人々に比べて、どんなに豊かに暮らしているでしょうか。経済が悪い、悪いと嘆いていても、食卓に何も無い、雨風から守ってくれる屋根も洋服も何もない、ということはなかなかありません。すると、私達の目は、この世のものばかりに気をとられていて、自分たちの肉体が死んだあとの世界の真実を、なかなか受け入れようとはしません。しかし、このたとえ話にある金持ちは、この世にいる間受け入れず、地獄に落ちてつくづく後悔しています。灼熱の炎に焼かれながら、そこから永遠に出る事のできない事実に直面し、せめて兄弟は天国に行ってほしいと願っています。しかし、兄弟達もまた、この世で福音を述べ伝える者がいるにも関わらず、それに耳を貸していなかったのです。
あなたは、今日、聞く耳を持たなかった金持ちでありますか?それとも、ラザロのように、信仰を持って永遠の行く先を天国に向けますか?私達はいつこの世からオサラバするかわからないのです。今日かもしれないし、明日かもしれません。死んでしまってからでは遅いのです。後悔先に立たず。決断を先延ばしにしないで下さい。イエス様はその御手を広げて、今日もあなたの決断を待って下さっているのです。
ある金持ちがいた、いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやってきては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』しかしアブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今はここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前達の間には大きな淵があって、ここからお前達の方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来る事もできない.』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が5人います。あの者達まで、こんな苦しい場所にくる事のないように、よく言い聞かせて下さい.』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟達にはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう.』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言う事を聞き入れはしないだろう.』
この話は、イエスが弟子達に様々なたとえ話をもって、救いの奇跡について教えているところです。ここで、金持ちは、この世で散々贅沢をして暮らしていましたが、神様を信じて救われてはいませんでした。一方、この世でひどい生活をしていたラザロは、信仰により神様を信じ救われていました。アブラハムは、旧約聖書のなかでも、神様への信仰により救われていた人間の象徴でもある人物で、この話では、天国の宴席において、ラザロはアブラハムの隣で喜びに満ちあふれています。一方、金持ちは救われていなかったため地獄に落ち、炎に焼かれながら、その苦しさのあまり渇ききって天国を見上げます。そこにラザロを見た彼は、水の一滴欲しさにアブラハムに語りかけます。また、救われていなかった事を後悔した金持ちは、せめて自分の兄弟達にはこの苦しみを味あわせたくないと思い、ラザロを彼らの元に送ってくれるように願います。死んだ者が現れて、天国と地獄が実現する事を述べれば、悔い改めて救いの道に入ってくれるだろうと思ったからです。しかし、アブラハムは、この世に救いのメッセージを述べ伝えている者たちがいるにも関わらず、それに聞く耳をもっていない彼らは、たとえ死人が甦って真実を語っても、それを受け入れる事は無いだろう、と言うのです。
今、生きている間に、私達はアフリカや第三国の人々に比べて、どんなに豊かに暮らしているでしょうか。経済が悪い、悪いと嘆いていても、食卓に何も無い、雨風から守ってくれる屋根も洋服も何もない、ということはなかなかありません。すると、私達の目は、この世のものばかりに気をとられていて、自分たちの肉体が死んだあとの世界の真実を、なかなか受け入れようとはしません。しかし、このたとえ話にある金持ちは、この世にいる間受け入れず、地獄に落ちてつくづく後悔しています。灼熱の炎に焼かれながら、そこから永遠に出る事のできない事実に直面し、せめて兄弟は天国に行ってほしいと願っています。しかし、兄弟達もまた、この世で福音を述べ伝える者がいるにも関わらず、それに耳を貸していなかったのです。
あなたは、今日、聞く耳を持たなかった金持ちでありますか?それとも、ラザロのように、信仰を持って永遠の行く先を天国に向けますか?私達はいつこの世からオサラバするかわからないのです。今日かもしれないし、明日かもしれません。死んでしまってからでは遅いのです。後悔先に立たず。決断を先延ばしにしないで下さい。イエス様はその御手を広げて、今日もあなたの決断を待って下さっているのです。
2009年4月28日
目からうろこ
聖書を読んでいると、よく使うことわざの語源を発見することが多いです。今回は「目からうろこ」について。
使徒言行録9:17、18
AND ANANIAS WENT HIS WAY, AND ENTERED INTO THE HOUSE; AND PUTTING HIS HANDS ON HIM SAID, BROTHER SAUL, THE LORD, EVEN JESUS, THAT APPEARED UNTO THEE IN THE WAY AS THOU CAMEST, HATH SENT ME, THAT THOU MIGHEST RECEIVE THY SIGHT, AND BE FILLED WITH THE HOLY GHOST. AND IMMEDIATELY THERE FELL FROM HIS EYES AS IT HAD BEEN SCALES: AND HE RECEIVED SIGHT FORTHWITH, AND AROUSE, AND WAS BAPTISED.
そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへくる途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元通り目が見える様になり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元通り見える様になった。そこで身を起こして洗礼を受けた。
サウロとは、新約聖書のコリント信徒への手紙、ガラテヤ信徒への手紙、エフェソ信徒への手紙などを書いたパウロの事です。聖書がお手元にある方は、使徒言行録の9章を読んでみてください。サウロはユダヤ教徒としてイエスの弟子達を迫害していました。(使徒言行録8章3節:一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。)そして、さらに迫害をしようと旅をしていた時、イエス様御自身がサウロに語りかけます。
9章3節−8節
サウロが旅をしてダマスコに近づいた時、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人達は、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。
こうして、サウロはイエス様御自身により目をみえなくされます。そして言われた通り、同行の者たちに手をひかれてダマスコの町に入りました。ダマスコには、イエスの弟子のアナニアがいました。イエス様は彼にサウロの元に行く様に命じます。アナニアは、サウロがキリスト者達を迫害する者だと知っていたので尻込みしますが、イエス様の命じられたとおり、彼のもとに向かい、冒頭の聖句のように、サウロの上に手を置きました。サウロは、その瞬間、目からうろこのようなものが落ち、視力が戻り、イエス様の力が真実であると知り、回心し、キリスト者となりました。
このサウロの回心の話は、聖書の中で好きな話のうちの一つです。彼は、目からうろこのようなものが落ちて、目が見える様になったのです。ですから、目からうろこ、とは、視野が開け物事の実態が理解できるようになることを意味するわけです。また、自分の誤りを悟り、迷いから目覚めるという意味もあります。まさに、サウロは自分の誤りをイエス様御自身によって悟らされ、そしてパウロとして、多くの異邦人たちに告げ知らせるため活躍し、新約聖書にある多くの手紙を書いたのでした。一般的に日本に普及しているこういうことわざも、出典が聖書だということを聖書を読んでいて気がつき、福音の力ってすごい!と思いました。またいろいろご紹介します!
使徒言行録9:17、18
AND ANANIAS WENT HIS WAY, AND ENTERED INTO THE HOUSE; AND PUTTING HIS HANDS ON HIM SAID, BROTHER SAUL, THE LORD, EVEN JESUS, THAT APPEARED UNTO THEE IN THE WAY AS THOU CAMEST, HATH SENT ME, THAT THOU MIGHEST RECEIVE THY SIGHT, AND BE FILLED WITH THE HOLY GHOST. AND IMMEDIATELY THERE FELL FROM HIS EYES AS IT HAD BEEN SCALES: AND HE RECEIVED SIGHT FORTHWITH, AND AROUSE, AND WAS BAPTISED.
そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへくる途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元通り目が見える様になり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元通り見える様になった。そこで身を起こして洗礼を受けた。
サウロとは、新約聖書のコリント信徒への手紙、ガラテヤ信徒への手紙、エフェソ信徒への手紙などを書いたパウロの事です。聖書がお手元にある方は、使徒言行録の9章を読んでみてください。サウロはユダヤ教徒としてイエスの弟子達を迫害していました。(使徒言行録8章3節:一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。)そして、さらに迫害をしようと旅をしていた時、イエス様御自身がサウロに語りかけます。
9章3節−8節
サウロが旅をしてダマスコに近づいた時、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人達は、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。
こうして、サウロはイエス様御自身により目をみえなくされます。そして言われた通り、同行の者たちに手をひかれてダマスコの町に入りました。ダマスコには、イエスの弟子のアナニアがいました。イエス様は彼にサウロの元に行く様に命じます。アナニアは、サウロがキリスト者達を迫害する者だと知っていたので尻込みしますが、イエス様の命じられたとおり、彼のもとに向かい、冒頭の聖句のように、サウロの上に手を置きました。サウロは、その瞬間、目からうろこのようなものが落ち、視力が戻り、イエス様の力が真実であると知り、回心し、キリスト者となりました。
このサウロの回心の話は、聖書の中で好きな話のうちの一つです。彼は、目からうろこのようなものが落ちて、目が見える様になったのです。ですから、目からうろこ、とは、視野が開け物事の実態が理解できるようになることを意味するわけです。また、自分の誤りを悟り、迷いから目覚めるという意味もあります。まさに、サウロは自分の誤りをイエス様御自身によって悟らされ、そしてパウロとして、多くの異邦人たちに告げ知らせるため活躍し、新約聖書にある多くの手紙を書いたのでした。一般的に日本に普及しているこういうことわざも、出典が聖書だということを聖書を読んでいて気がつき、福音の力ってすごい!と思いました。またいろいろご紹介します!
2009年4月22日
小さな事
先週風邪をひいていたので、更新が久しぶりになってしまいました。子育てしながら風邪ひいてるのってつらいですね。旦那の実家に住んでいるので、おじいちゃん、おばあちゃんが息子の面倒を見てくれるので助かりましたが、いやはや、健康第一。
詩編111章
PRAISE YE THE LORD, I WILL PRAISE THE LORD WITH MY WHOLE HEART, IN THE ASSEMBLY OF THE UPRIGHT, AND IN THE CONGREGATION.THE WORKS OF THE LORD ARE GREAT, SOUGHT OUT OF ALL THEM THAT HAVE PLEASURE THEREIN. HIS WORK IS HONOURABLE AND GLORIOUS: AND HIS RIGHTEOUSNESS ENDURETH FOR EVER.
ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝をささげる。正しい人々の集い、会衆の中で。主の御業は大きく、それを愛する人は皆、それを尋ね求める。主の成し遂げられることは栄え輝き、恵みの御業は永遠に続く。
HE HATH MADE HIS WONDERFUL WORKS TO BE REMEMBERD: THE LORD IS GRACIOUS AND FULL OF COMPASSION. HE HATH GIVEN MEAT UNTO THEM THAT FEAR HIM: HE WILL EVER BE MINDFUL OF HIS COVENANT. HE HATH SHEWED HIS PEOPLE THE POWER OF HIS WORKS, THAT HE MAY GIVE THEM THE HERITAGE OF THE HEATHEN.
主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み、主を畏れる人に糧を与え、契約をとこしえに御心に留め、御業の力をご自分の民に示し、諸国の嗣業をご自分の民にお与えになる。
THE WORKS OF HIS HANDS ARE VERITY AND JUDGMENT; ALL HIS COMMANDMENTS ARE SURE. THEY STAND FAST FOR EVER AND EVER, AND ARE DONE IN TRUTH AND UPRIGHTNESS. HE SENT REDEMPTION UNTO HIS PEOPLE: HE HATH COMMANDED HIS COVENANT FOR EVER: HOLY AND REVEREND IS HIS NAME.
御手の業はまことの裁き、主の命令はすべて真実。世々限りなく堅固に、まことをもって、まっすぐに行われる。主はご自分の民にあがないを送り、契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。
THE FEAR OF THE LORD IS THE BEGINNING OF WISDOM: A GOOD UNDERSTANDING HAVE ALL THEY THAT DO HIS COMMANDMENTS: HIS PRAISE ENDURETH FOR EVER.
主を畏れる事は知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。
この詩編、流し読みしてしまうと、ふーん、っていう感じですが、一文ずつゆっくり読んでみて下さい。世の中にはいろいろな奇病とかがあって、普通に、五体満足で暮らしていることだけでも、神様からいただいている奇跡なんだな、とつくづく思います。近頃、本当に麻薬やアルコールで身を滅ぼしている人々が多くて、健康な体を神様からいただいているのに、その贈り物をなんて無駄にしているんだろう、と悲しくなります。また、鬱病とかヒステリーとかストレスに自分の身をコントロールされてしまうのも危険ですよね。だけどそういうヒステリーとかって、神様への感謝が足りないから起きるんだろうと思います。世の中はいろいろな生き方があるので、自分の境遇を嘆こうと思えば、どんな暮らしをしていたってマイナス思考になれるのです。あなたは、自分の生活を、今日洋服を着て、食卓には食事があり、健康な体があるという神様への感謝に溢れて過ごしていますか?それとも、それらの恵みを無視して、何か足りないものへの文句ばかりに溢れて過ごしていますか?自分の周りを見回してみて下さい。どれだけ、神様に感謝することがあるでしょうか!
詩編111章
PRAISE YE THE LORD, I WILL PRAISE THE LORD WITH MY WHOLE HEART, IN THE ASSEMBLY OF THE UPRIGHT, AND IN THE CONGREGATION.THE WORKS OF THE LORD ARE GREAT, SOUGHT OUT OF ALL THEM THAT HAVE PLEASURE THEREIN. HIS WORK IS HONOURABLE AND GLORIOUS: AND HIS RIGHTEOUSNESS ENDURETH FOR EVER.
ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝をささげる。正しい人々の集い、会衆の中で。主の御業は大きく、それを愛する人は皆、それを尋ね求める。主の成し遂げられることは栄え輝き、恵みの御業は永遠に続く。
HE HATH MADE HIS WONDERFUL WORKS TO BE REMEMBERD: THE LORD IS GRACIOUS AND FULL OF COMPASSION. HE HATH GIVEN MEAT UNTO THEM THAT FEAR HIM: HE WILL EVER BE MINDFUL OF HIS COVENANT. HE HATH SHEWED HIS PEOPLE THE POWER OF HIS WORKS, THAT HE MAY GIVE THEM THE HERITAGE OF THE HEATHEN.
主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み、主を畏れる人に糧を与え、契約をとこしえに御心に留め、御業の力をご自分の民に示し、諸国の嗣業をご自分の民にお与えになる。
THE WORKS OF HIS HANDS ARE VERITY AND JUDGMENT; ALL HIS COMMANDMENTS ARE SURE. THEY STAND FAST FOR EVER AND EVER, AND ARE DONE IN TRUTH AND UPRIGHTNESS. HE SENT REDEMPTION UNTO HIS PEOPLE: HE HATH COMMANDED HIS COVENANT FOR EVER: HOLY AND REVEREND IS HIS NAME.
御手の業はまことの裁き、主の命令はすべて真実。世々限りなく堅固に、まことをもって、まっすぐに行われる。主はご自分の民にあがないを送り、契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。
THE FEAR OF THE LORD IS THE BEGINNING OF WISDOM: A GOOD UNDERSTANDING HAVE ALL THEY THAT DO HIS COMMANDMENTS: HIS PRAISE ENDURETH FOR EVER.
主を畏れる事は知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。
この詩編、流し読みしてしまうと、ふーん、っていう感じですが、一文ずつゆっくり読んでみて下さい。世の中にはいろいろな奇病とかがあって、普通に、五体満足で暮らしていることだけでも、神様からいただいている奇跡なんだな、とつくづく思います。近頃、本当に麻薬やアルコールで身を滅ぼしている人々が多くて、健康な体を神様からいただいているのに、その贈り物をなんて無駄にしているんだろう、と悲しくなります。また、鬱病とかヒステリーとかストレスに自分の身をコントロールされてしまうのも危険ですよね。だけどそういうヒステリーとかって、神様への感謝が足りないから起きるんだろうと思います。世の中はいろいろな生き方があるので、自分の境遇を嘆こうと思えば、どんな暮らしをしていたってマイナス思考になれるのです。あなたは、自分の生活を、今日洋服を着て、食卓には食事があり、健康な体があるという神様への感謝に溢れて過ごしていますか?それとも、それらの恵みを無視して、何か足りないものへの文句ばかりに溢れて過ごしていますか?自分の周りを見回してみて下さい。どれだけ、神様に感謝することがあるでしょうか!
2009年4月10日
イースター
マタイの福音書28章5、6節
AND THE ANGEL ANSWERED AND SAID UNTO THE WOMEN, FEAR NOT YE: FOR I KNOW THAT YE SEEK JESUS, WHICH WAS CRUCIFIED. HE IS NOT HERE: FOR HE IS RISEN, AS HE SAID.
天使は婦人達に言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」
イースターは、イエス·キリストが十字架にかかって死んだあと、三日後によみがえった復活を祝う日です。上の聖句では、イエス様は死ぬ前から、自分は死んだら三日後によみがえることを言っていた、とかかれています。その箇所をみてみましょう。
ルカの福音書9章21−22節
AND HE STRAITLY CHARGED THEM, AND COMMANDED THEM TO TELL NO MAN THAT THING; SAYING, THE SON OF MAN MUST SUFFER MANY THINGS, AND BE REJECTED OF THE ELDERS AND CHIEF PRIESTS AND SCRIBES, AND BE SLAIN, AND BE RAISED THE THIRD DAY.
イエスは弟子達を戒め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」
神様の御言葉には、嘘や間違いはありません。イエス様は死ぬ前から、神様のご計画をご存知でしたので、弟子達に三日目に復活することを前もって伝えていました。もちろん、人間である弟子達は、当時はとても信じられなかったのですが、イエス様が埋葬されたお墓に三日目にマリアたちが行ってみると、その御言葉どおり、復活されてすでにお墓にはいませんでした。
神様が、聖書を通して人間に伝えている預言や御言葉はすべて真実であり、確かに起こる事です。今、たくさんの人が神様の存在を信じなかったり、惑わす偶像たちを信仰したり、カルトに傾倒したりしています。それは、皆が神様の約束を信じず、神様への信仰が消失していることから起きていると思います。聖書は、神様が人間達に向けて、人間を用いて綴ってくださった真実のメッセージです。聖書にある通り、イエス様は罪の一点もない、神聖な小羊として、全人類の罪を担って精神的、肉体的に父なる神様から引き離され、死を体験されました。そして、復活することにより、死を支配し、私達人間が自分たちの罪を認め、イエス様の名にすがる時、救いの手を差し伸べてくださるのです。
使徒言行録16章30、31節
SIRS, WHAT MUST I DO TO BE SAVED? AND THEY SAID, BELIEVE ON THE LORD JESUS CHRIST, AND THOU SHALT BE SAVED, AND THY HOUSE.
「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
この言葉は、イエス様が天にお戻りになった後、使徒であるパウロとシラスが宣教している際にフィリピで投獄された時、看守たちにどうしたら救われることができるのか、と質問され答えている所です。イエス様を信じる事が、救いへの唯一の道です。それは、御言葉にこうあるからです。
ヨハネの福音書 14章6節
JESUS SAITH UNTO HIM, I AM THE WAY, THE TRUTH, AND THE LIFE: NO MAN COMETH UNTO THE FATEHR, BUT BY ME.
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行く事ができない。」
ここで、イエス様ははっきりと、父なる神様の元へは、イエス様を通してのみ、行く事ができると言っています。世の中の偶像崇拝では、自分たちがトランスすれば神様と交信ができるとか、どれだけ献金すれば、どれだけ善い行いをすれば、自分を捨て去って無になれば、、、、とか、神様になんとか近づこうとするいろいろな方法を教えます。けれど、それらは決して、必ず神様のもとへいかれるという約束はしていないのです。そんなばかな!と思う方は、自分が信じている方法論、または無神論をもっと研究してみてください。すぐに、そこには神様のもとへたどり着けるという確実の約束はされていないことがわかるはずです。けれど、イエス様は違います。はっきりと、私達が自分達の罪を認め、イエス様の十字架の上での死、そして復活により死を支配した奇跡を信じ、イエス様が十字架の上で流されたその血によって罪を洗い流していただけば、この肉体の朽ちる時、魂は神様の身元、天国へと救われる事ができると書かれています。
使徒言行録 4章12節
NEITHER IS THERE SALVATION IN ANY OTHER: FOR THERE IS NONE OTHER NAME UNDER HEAVEN GIVEN AMONG MEN, WHEREBY WE MUST BE SAVED.
ほかの誰によっても救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。
ヨハネの福音書 5章24節
VERILY, VERILY, I SAY UNTO YOU, HE THAT HEARETH MY WORD, AND BELIEVETH ON HIM THAT SENT ME, HATH EVERLASTING LIFE, AND SHALL NOT COME INTO CONDEMNATION; BUT IS PASSED FROM DEATH UNTO LIFE.
わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
イエス様はまた、再び地上に戻ってこられると言っています。あなたは、その時、救われていてイエス様の再来を心待ちにしていますか、それとも、永遠に続く炎に飛び込みますか。。。?
ヨハネの黙示録 22章12−13節
AND BEHOLD, I COME QUICKLY; AND MY REWARD IS WITH ME, TI GIVE EVERY MAN ACCORDING AS HIS WORK SHALL BE. I AM ALPHA AND OMEGA, THE BEGINNING AND THE END, THE FIRST AND THE LAST.
見よ、わたし(イエス)はすぐ来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。
AND THE ANGEL ANSWERED AND SAID UNTO THE WOMEN, FEAR NOT YE: FOR I KNOW THAT YE SEEK JESUS, WHICH WAS CRUCIFIED. HE IS NOT HERE: FOR HE IS RISEN, AS HE SAID.
天使は婦人達に言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」
イースターは、イエス·キリストが十字架にかかって死んだあと、三日後によみがえった復活を祝う日です。上の聖句では、イエス様は死ぬ前から、自分は死んだら三日後によみがえることを言っていた、とかかれています。その箇所をみてみましょう。
ルカの福音書9章21−22節
AND HE STRAITLY CHARGED THEM, AND COMMANDED THEM TO TELL NO MAN THAT THING; SAYING, THE SON OF MAN MUST SUFFER MANY THINGS, AND BE REJECTED OF THE ELDERS AND CHIEF PRIESTS AND SCRIBES, AND BE SLAIN, AND BE RAISED THE THIRD DAY.
イエスは弟子達を戒め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」
神様の御言葉には、嘘や間違いはありません。イエス様は死ぬ前から、神様のご計画をご存知でしたので、弟子達に三日目に復活することを前もって伝えていました。もちろん、人間である弟子達は、当時はとても信じられなかったのですが、イエス様が埋葬されたお墓に三日目にマリアたちが行ってみると、その御言葉どおり、復活されてすでにお墓にはいませんでした。
神様が、聖書を通して人間に伝えている預言や御言葉はすべて真実であり、確かに起こる事です。今、たくさんの人が神様の存在を信じなかったり、惑わす偶像たちを信仰したり、カルトに傾倒したりしています。それは、皆が神様の約束を信じず、神様への信仰が消失していることから起きていると思います。聖書は、神様が人間達に向けて、人間を用いて綴ってくださった真実のメッセージです。聖書にある通り、イエス様は罪の一点もない、神聖な小羊として、全人類の罪を担って精神的、肉体的に父なる神様から引き離され、死を体験されました。そして、復活することにより、死を支配し、私達人間が自分たちの罪を認め、イエス様の名にすがる時、救いの手を差し伸べてくださるのです。
使徒言行録16章30、31節
SIRS, WHAT MUST I DO TO BE SAVED? AND THEY SAID, BELIEVE ON THE LORD JESUS CHRIST, AND THOU SHALT BE SAVED, AND THY HOUSE.
「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
この言葉は、イエス様が天にお戻りになった後、使徒であるパウロとシラスが宣教している際にフィリピで投獄された時、看守たちにどうしたら救われることができるのか、と質問され答えている所です。イエス様を信じる事が、救いへの唯一の道です。それは、御言葉にこうあるからです。
ヨハネの福音書 14章6節
JESUS SAITH UNTO HIM, I AM THE WAY, THE TRUTH, AND THE LIFE: NO MAN COMETH UNTO THE FATEHR, BUT BY ME.
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行く事ができない。」
ここで、イエス様ははっきりと、父なる神様の元へは、イエス様を通してのみ、行く事ができると言っています。世の中の偶像崇拝では、自分たちがトランスすれば神様と交信ができるとか、どれだけ献金すれば、どれだけ善い行いをすれば、自分を捨て去って無になれば、、、、とか、神様になんとか近づこうとするいろいろな方法を教えます。けれど、それらは決して、必ず神様のもとへいかれるという約束はしていないのです。そんなばかな!と思う方は、自分が信じている方法論、または無神論をもっと研究してみてください。すぐに、そこには神様のもとへたどり着けるという確実の約束はされていないことがわかるはずです。けれど、イエス様は違います。はっきりと、私達が自分達の罪を認め、イエス様の十字架の上での死、そして復活により死を支配した奇跡を信じ、イエス様が十字架の上で流されたその血によって罪を洗い流していただけば、この肉体の朽ちる時、魂は神様の身元、天国へと救われる事ができると書かれています。
使徒言行録 4章12節
NEITHER IS THERE SALVATION IN ANY OTHER: FOR THERE IS NONE OTHER NAME UNDER HEAVEN GIVEN AMONG MEN, WHEREBY WE MUST BE SAVED.
ほかの誰によっても救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。
ヨハネの福音書 5章24節
VERILY, VERILY, I SAY UNTO YOU, HE THAT HEARETH MY WORD, AND BELIEVETH ON HIM THAT SENT ME, HATH EVERLASTING LIFE, AND SHALL NOT COME INTO CONDEMNATION; BUT IS PASSED FROM DEATH UNTO LIFE.
わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
イエス様はまた、再び地上に戻ってこられると言っています。あなたは、その時、救われていてイエス様の再来を心待ちにしていますか、それとも、永遠に続く炎に飛び込みますか。。。?
ヨハネの黙示録 22章12−13節
AND BEHOLD, I COME QUICKLY; AND MY REWARD IS WITH ME, TI GIVE EVERY MAN ACCORDING AS HIS WORK SHALL BE. I AM ALPHA AND OMEGA, THE BEGINNING AND THE END, THE FIRST AND THE LAST.
見よ、わたし(イエス)はすぐ来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。
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