2009年5月2日

金持ちとラザロ

ルカ書16章19−31節

ある金持ちがいた、いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやってきては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』しかしアブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今はここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前達の間には大きな淵があって、ここからお前達の方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来る事もできない.』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が5人います。あの者達まで、こんな苦しい場所にくる事のないように、よく言い聞かせて下さい.』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟達にはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう.』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言う事を聞き入れはしないだろう.』

この話は、イエスが弟子達に様々なたとえ話をもって、救いの奇跡について教えているところです。ここで、金持ちは、この世で散々贅沢をして暮らしていましたが、神様を信じて救われてはいませんでした。一方、この世でひどい生活をしていたラザロは、信仰により神様を信じ救われていました。アブラハムは、旧約聖書のなかでも、神様への信仰により救われていた人間の象徴でもある人物で、この話では、天国の宴席において、ラザロはアブラハムの隣で喜びに満ちあふれています。一方、金持ちは救われていなかったため地獄に落ち、炎に焼かれながら、その苦しさのあまり渇ききって天国を見上げます。そこにラザロを見た彼は、水の一滴欲しさにアブラハムに語りかけます。また、救われていなかった事を後悔した金持ちは、せめて自分の兄弟達にはこの苦しみを味あわせたくないと思い、ラザロを彼らの元に送ってくれるように願います。死んだ者が現れて、天国と地獄が実現する事を述べれば、悔い改めて救いの道に入ってくれるだろうと思ったからです。しかし、アブラハムは、この世に救いのメッセージを述べ伝えている者たちがいるにも関わらず、それに聞く耳をもっていない彼らは、たとえ死人が甦って真実を語っても、それを受け入れる事は無いだろう、と言うのです。

今、生きている間に、私達はアフリカや第三国の人々に比べて、どんなに豊かに暮らしているでしょうか。経済が悪い、悪いと嘆いていても、食卓に何も無い、雨風から守ってくれる屋根も洋服も何もない、ということはなかなかありません。すると、私達の目は、この世のものばかりに気をとられていて、自分たちの肉体が死んだあとの世界の真実を、なかなか受け入れようとはしません。しかし、このたとえ話にある金持ちは、この世にいる間受け入れず、地獄に落ちてつくづく後悔しています。灼熱の炎に焼かれながら、そこから永遠に出る事のできない事実に直面し、せめて兄弟は天国に行ってほしいと願っています。しかし、兄弟達もまた、この世で福音を述べ伝える者がいるにも関わらず、それに耳を貸していなかったのです。

あなたは、今日、聞く耳を持たなかった金持ちでありますか?それとも、ラザロのように、信仰を持って永遠の行く先を天国に向けますか?私達はいつこの世からオサラバするかわからないのです。今日かもしれないし、明日かもしれません。死んでしまってからでは遅いのです。後悔先に立たず。決断を先延ばしにしないで下さい。イエス様はその御手を広げて、今日もあなたの決断を待って下さっているのです。