2008年8月16日

嵐の予感

夕べは8時半過ぎくらいから夜中まで局地的雷雨でした。天気予報によると、これから数日間はずっとこんな感じで、突如雷雨が来るようです。昼間は穏やかに晴れているのですけどね。周りに高い木とかがまったくないので、雷は何に向かって落ちているんだろうと疑問です。避雷針とかも無いし。夕べは家のすぐ外にものすごい勢いで落ちていましたよ。いかにも電気ショック、といった感じのバリバリバリッという轟音が響いておりました。今はこうして立派な家に守られているけれど、ずーっと昔のインディアンたちとか、最初に馬車とテントだけで移住してきた人たちは一体この天気をどうやってしのいでいたのでしょうか。昔のパイオニアたちはタフさが現代人とはやはり違ったのでしょうね。

Hymnにも、人生の荒波を嵐にたとえて神様の愛を歌っている歌があるので、今日はその曲をご紹介。ピアノのサウンドはNorth Chester Baptist Church (http://www.nchbc.com/)のウェブサイトからです。

http://www.nchbc.com/Til%20the%20Storm.html


Till the storm passes by
By Mosie Lister

In the dark of the midnight have I oft hid my face
While the storm howls above me, and there's no hiding place
Mid the crash of the thunder, precious Lord, here my cry
Keep me safe till the storm passes by

(Chorus)
Till the storm passes over, till the thunder sounds no more
Till the clouds roll forever from the sky
Hold me fast, let me stand in the hollow of Thy hand
Keep me safe till the storm passes by

Many times Satan whispered, " There is no need to try,
For there's no end of sorrow, there's no hope by and by"
But I know Thou art with me, and tomorrow I'll rise
Where the storms never darken the skies

(Chorus)

When the long night has ended and the storms come no more
Let me stand in Thy presence, on that bright, peaceful shore
In that land where the tempest, never comes, Lord, may I
Dwell with Thee when the storm passes by


(意訳)
真夜中の暗闇の中で私はよく顔を隠した
隠れる場所もなく、嵐が真上でうなる間
落雷の落ちるさなかに、神様どうぞ私の声を聞いてください
嵐が過ぎるまで、守ってください

(繰り返し)
嵐が通り過ぎるまで、雷がやむまで
空から永遠に雲がなくなるまで
私を支え、あなたの御手の中に立たせてください
嵐がすぎるまで、守ってください

悪魔は何度も囁いた「頑張る必要はない、
この嘆きが終わることなど無いのだから、希望など存在しない」
けれど私はイエス様が私と共にいてくださることを知っている
そして明日私は嵐が二度と空を曇らせることのない朝を迎える

長い夜が空けて、嵐は二度とやってこない
神様どうぞ貴方の、明るく穏やかな浜辺に立たせてください。
嵐の来ること決してない、貴方の土地に
嵐が過ぎ去った後は、イエス様、貴方と共にいさせてください。



「人生の荒波」とかよくいいますが、人間として生きていると誰しも浮き沈みが激しく「自分は嵐のまっただ中にいるんじゃないか?」と感じる時期ってありますよね。もちろん感じ方は人それぞれなので、具体例は挙げづらいですが。

この曲は、この世界で生きている限り襲ってくる数々の嵐のなかで、イエス様だけが守ってくださる、と歌っています。そしてこの世から離れる時は、神様のいらっしゃる土地、天国にイエス様と共に住まわせてください、と言っているわけです。悪魔はいつでも私たちの耳に希望を失わせるような言葉を囁きます。けれど、しっかりとイエス様の救いを信じ、その希望の中に生きるかぎり、何度となく襲ってくる嵐から、イエス様の御手が守ってくれるんですね。

ちなみにこの曲のインスピレーションは、マルコの福音書4章35−41節にあるお話に基づいていると思われます。使徒たちとイエス様が福音を告げながら旅をしているところです。

マルコ4:35-41
その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。他の舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」といった。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ。」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

And the same day, when the even was come, he saith unto them, Let us pass over unto the other side. And when they had sent away the multitude, they tool him even as he was in the ship. And there were also with him other little ships. And there arose a great storm of wind, and the waves beat into the ship, so that it was now full. And he was in the hinder part of the ship, asleep on a pillow: and thy awake him, and say unto him, Master, carest thou not that we perish? And he arose, and rebuked the wind, and said unto the sea, Peace, be still. And the wind ceased, and there was a great calm. And he said unto them, Why are ye so fearful? How is it that ye have no faith? And they feared exceedingly, and said one to another, What manner of man is this, that even the wind and the sea obey him?

いままでも何回か言っていますが、イエス様=神様です。全てをお創りになった神様にとって、風や波を操ることなど、なんでもありません。この時点で弟子たちは、ついこの間イエス様についていくことを決めた漁師など、普通の人間たちですから、イエス様が風や湖に命令し、従わせているのを目の当たりにして仰天しているわけです。これまでの時点で、何度となくイエス様は彼自身が神様であることを弟子たちに伝えてはいるものの、充分な信仰が育っていなかった彼らの頭には理解できなかったんですね。

イエス様=神様の絶対的な力は、人間から見るとすべて「奇跡」です。たとえば水をワインに変えたり(ヨハネ2:9)、パン5つと魚二匹から5000人に食べ物を与えたり(ヨハネ6:11)、海の上を歩いたり(マタイ14:15-25)、4日間もすでに死んでいたラザロを生き返らせたり(ヨハネ11:43)、目の見えなかった人に視力を与えたり(マタイ11:4-5)、悪魔に憑かれている人から悪魔を追い出したり(マルコ1:27)、と例を挙げるとキリがありません。これらの奇跡を目の前にして、ユダヤ人たちはイエス様が神様であると信じた人もいれば、信じなかった人もいます。もちろん、最も偉大な奇跡は、十字架にかかって死んだのち、生き返って弟子たちの元に姿を現したりしたことです。(ヨハネ20, 21)そして弟子たちの目の前で天国に上って行くわけですから、他に例がないですよね。

これらの奇跡をイエス様がわざわざ人間たちに見せたのは、理由があります。

ヨハネ5:36 わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。
But I have greater witness than that of John: for the works which the Father hath given me to finish, the same works that I do, near witness of me, that the Father hath sent me.

つまり、人間たちが父なる神を信じないので、イエス様が、父なる神の子として、人類の救世主として地上にやってきたことを証しするために、奇跡を示して見せたわけです。イエス様はこう言います。

ヨハネ5:24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また裁かれることなく、死から命へと移っている。
Verily, verily, I say unto you, He that heareth my word, and believeth on him that sent me, hath everlasting life, and shall not come into condemnation; but is passed from death unto life.

そして、信じない人たちに向かってこう言います。

ヨハネ5:37-40 また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。

And the Father himself, which hath sent me, hath borne witness of me. Ye have neither heard his voice at any time, nor seen his shape. And ye have not his word abiding in you: for whom he hath sent, him ye believe not. Search the scriptures; for in them ye think ye have eternal life: and they are they which testify of me. And ye will not come to me, that ye might have life.

ここで、イエス様はとても「宗教」に熱心だったユダヤ人たちに向かって言っています。大切なことは、「宗教」に夢中になって研究をしたり、討論をしたりすることではなく、神様が御言葉として届けてくださった聖書のメッセージを信仰をもって信じ、イエス様を通して救われることです。

あなたはもし今日死んだとしたら、かならず天国に行けるという確証がありますか?嵐が襲ってくる時に、守ってくれるイエス様の手を信じていますか?



2008年8月14日

ベイビーベッド購入

早いもので、もう8月も半ばですね。日本はお盆休みで交通渋滞している頃でしょうか。私はあと約1ヶ月で出産予定ということで、おなかの中でごろごろしているこの子が早く出てきてくれるのが楽しみです。そろそろ、子供部屋の準備もしないといけないよね、ということで、順番にWal☆Martでいろいろ買いそろえております。いやあ、子供ができるというのは、出費がかさむものですね!写真は、ベビーベッドです。これが子供が大きくなるにつれて、子供用ベッドになり、ソファになり、さらにダブルベッドにまで変身するという4in1ベッドのはずなのですが、2人で組み立てながら、「これ、ダブルベッドにしたときに、マットレスをおく真ん中の部分を別途購入しなきゃいけないんじゃないか?」という疑問を抱えました。また、先日のベイビー・シャワーでいただいた数々のベビー服を洗濯しながら、「子供ができる=ママの仕事量が超アップ」という現実をじわじわと感じ初めております。とはいえ、子供は神様からの贈り物ですから、楽しみです☆

詩編127:3 子らは主からいただく嗣業。胎の実りは報い。
Children are an heritage of the LORD: and the fruit of the womb is his reward.


さて今日はまたYou Tubeのレトロなクリップから、素敵なHymnをお届け。
映像には他の曲も入ってますが。
http://www.youtube.com/watch?v=iNKJQWnRvp0

Singing I Go
By E.E. Hewitt & William J. Kirkpatrick

Singing I go along life's road, Praising the Lord, praising the Lord,
Singing I go along life's road, for Jesus has lifted my load.

The trusting heart to Jesus clings, nor any ill forebodes
But at the cross of Calv'ry sings, Praise God for lifted loads!

The passing days bring many cares " Fear not" I hear Him say
And when my fears are turned to prayers The burdens slip away

He tells me of my Father's love, and never slumb'ring eye,
My everlasting King above will all my needs supply.

When to the throne of grace I flee, I find the promise true
The mighty arms upholing me will bear my burdens too

Singing I go along life's road, Praising the Lord, praising the Lord,
Singing I go along life's road, for Jesus has lifted my load.


(意訳)

主を賛美して、この人生を歌いながら行こう
イエス様が私の重荷を持ってくれたから

どんな悪い予言があろうとも、私の心はイエス様を信じる
ゴルゴダの丘の十字架のもとで、重荷を背負った神に賛美!

過ぎていく日々は心配事を運んでくるけれど「恐れるな」という彼の声が聞こえる そしてわたしの恐れが祈りに替わるとき、重荷はすべて消えてなくなった

彼は私に眠ることなく父なる神の愛を教えてくれる 
天におられる永遠の王がわたしのすべての必要を満たしてくれる

恵みの御座に逃げる時、そこで約束は真実だと知る
偉大なる腕が私を支え、私の重荷までも担ってくださった。

この曲はいたってシンプルな内容です。イエス様が十字架の上で人類の罪を贖ってくださったことにたいする感謝を歌っています。自分は、イエス様の偉業を信じ、その瞬間から心の重荷がすべて自分の肩からイエス様へと移動し、日常に何かを恐れたりする時も、主に依り頼むと悩みも消え、歌いながら、主を賛美しながら日々を歩もう、という歌です。

ところで、今朝インターネットでFoxニュースを読んでいた所、なんとハマスのリーダ格の家の息子さんが、イスラムを辞めてキリスト教に改宗したという記事がありました。25年間ムスリムとして教育を受けた後、情報の閉ざされたイスラムの世界から目を開き、本当の神様を自分で探し求め、聖書を読み込んだそうです。そして、本当の神は妻が50人もいたような人間のモハメッドではなく、イエス・キリストであり、その贖いを通してのみ偉大な父なる神を知ることができると悟ったそうです。彼はイスラムの世界は情報が限られていて、95パーセントのイスラム教徒は自分たちが何を信じているのか実際は知らないだろう、と言っています。しかし、ハマスのリーダー格家の息子でありながら、こうして真実を追い求めイスラムから出家し、メディアを通してイエス様の救いの証しをするというのは、すごい勇気だと思います。興味のある方は、是非下の記事を読んでみてください。ちょっと長いけど。

http://www.foxnews.com/story/0,2933,402483,00.html

さて、今日はそんな神様を賛美するダビデの詩をお届け。

詩編103:1-5
私の魂よ、主をたたえよ。私の内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。私の魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何一つ忘れてはならない。主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け、長らえる限り良いものに満ち足らせ、鷲のような若さを新たにしてくださる。

Bless the LORD, O my soul: and all that is within me, bless his holy name. Bless the LORD, O my soul, and forget not all his benefits: who forgiveth all thine iniquities; who healeth all thy diseases; who redeemeth thy life from destruction; who crowneth thee with loving-kindness and tender mercies; who satisfieth thy mouth with good things; so that thy youth is renewed like the eagle's.

この部分は、上の歌ともダブりますが、イエス様による救いの奇跡の結果を賛美しています。自分の罪を悔い改め、イエス様を通して救われ、神様との関係ができると、神様が与えて下さる恩恵を溢れるばかりに受け取ることができます。もっとも重大なことはもちろん、「罪の赦し=地獄からの脱却」ですが、ここでは病の癒しや、新たな活力を与えてくださることにも感謝しています。

103:10-13
主はわたしたちを罪に応じてあしらわれることなく、わたしたちの悪に従って報いられることもない。天が地を超えて高いように、慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。東が西から遠いほど、わたしたちの背きの罪を遠ざけてくださる。父がその子を憐れむように、主は主を畏れる人を憐れんでくださる。

He hath not dealt with us after our sins; nor rewarded us according to our iniquities. For as the heaven is high above the earth, so great is his mercy toward them that fear him. As far as the east is from the west, so far hath he removed our transgressions from us. Like as a father pitieth his children, so the LORD pitieth them that fear him.

もし、イエス・キリストの救いがなく、人間が皆その悪にしたがって裁かれるとしたら、間違いなく全員地獄行きです。一人残らず。けれど、イエス様の救いを信じて、神様の慈しみを受けとると、神様は私たちから罪を取り除き、遠ざけてくださるわけです。こんな風に、父と子としての関係を、愛をもって築いてくださる神様を信じて本当によかったと思います。神様との関係を知らなかった時と、頼る主がいる今はまさに天と地の差です!毎日たくさんの感謝と賛美を捧げつつ、歌いながら生きていきたいですね。


2008年8月12日

平和のもらいかた

今朝は朝から雨がしとしと降っていて、静かな感じです。田舎に住んでいると、雨上がりの朝なんかは本当に「ああ、平和だなあ」と思います。上の写真は、ダニーのおばあちゃんが住んでいる、バージニアのSnowvilleという小さな村の風景です。実家に戻っている間、ダニーと泊まりにいきましたが、豊かな緑と、美しい丘、鳥のさえずり、どれをとっても空気に平穏が満ちている感じがしました。それにくらべると、やっぱりオクラホマは渇いていて、あんまり美しくないです。

東京に住んでいると、こういうふうにホッと息抜きができることって少ないです。とくに予定がなくても、なぜか生活がごちゃごちゃと忙しい感じになりがち。土地柄でしょうか、不思議なものです。皆さんは、心の平和を保てていますか?都市部に住んでいると、忙しいのが美学、みたいな思想がありますが、心の中まで忙しいばかりだと、できるはずの仕事の半分もできなかったりしますよね。心配事とか、気苦労とかで、頭と心がいっぱいになると、「息抜き」と称してお酒にはしったりする人も多いです。それで、心だけじゃなく体まで壊したりして悪循環、と。じゃあ、どうしたら心に平和って保てるんでしょうか?実は、聖書にはイエス・キリストがこんなふうに約束してくれています。


ヨハネ14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
PEACE I leave with you, my PEACE I give unto you: not as the world giveth, give I unto you. Let not your heart be troubled, neither let it be afraid.

フィリピ信徒への手紙 4:6-7 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
Be careful for nothing; but in every thing by prayer and supplication with thanks giving let your requests be made known unto God. And the peace of God, which passeth all understanding, shall keep your hearts and minds through Christ Jesus.


世の中には、昔から本当にいろいろな宗教やカルトが溢れていますが、こんなふうにはっきりと心の平穏を約束してくれていることって、他にあるでしょうか?ヨハネに書かれている「世が与えるような」平和というのは、つまり一時的なリラクゼーションとか、マッサージとか、そういうものだと思いますが、イエス様を信じて救われた人に宿る平和とは、何事にも左右されない、「人知を超える神の平和」です。聖書には、イエス様は平和の君Prince of Peaceであると書かれています。

イザヤ書 9:5−6 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。

For unto us a child is born, unto us a son is given: and the government shall be upon his shoulder: and his name shall be called Wonderful, Counsellor, The mighty God, The everlasting Father, The Prince of Peace.


イエス様は、神様が世界をお造りになるまえから、神様と一緒にいるのですが、イザヤ書の上の聖句は、まだイエス様が地上に現れていない旧約聖書の時代に預言者イザヤによって書かれた予言です。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた、といっているのは、イエス様が天から人類の救済という神様の仕事を成し遂げるために、人間の姿をとって与えられることを示しています。そのイエス様の名が、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれるということです。私たち人間には、頭では理解できないことがあります。イエス様は、神様ご自身であり、そして聖霊と三位一体です。それを人間的観点から理解しようとすると、よくわかりませんが、それは実はわからなくていいことなんです。そんなことを気にするよりも、神様の御言葉に信頼をおいて、それを信じること、そこから「救い」は素直に受け取ることができるのです。神様はこうも約束してくれています。


箴言3:5-6 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
Trust in the LORD with all thine heart; and lean not unto thine own understanding. In all thy ways acknowledge him, and he shall direct thy paths.

私たち人間は、自分の力でなんでもできると思いがちです。けれど、結局自分ではどうにもならないことって、ありますよね。神様は、人間ではなく、神様ご自身に何でも頼りなさい、と言ってくれます。すると、いままで何もうまく思うようにいかなかった目の前の道が、まっすぐに開けてくるものなのです。
イエス様は、私たち一人ひとりに、そうして神様と共に歩むことによって、心に満ちる平和を得なさい、と誘ってくれています。


マタイの福音書 11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

Come unto me, all ye that labour and are heavy laden, and I will give you rest. Take my yoke upon you, and lean of me; for I am meek and lowly in heart: and ye shall find rest unto your souls.

イザヤ書 26:3-4 
Thou wilt keep him in perfect peace, whose mind is stayed on thee: because he trusteth in thee. Trust ye in the LORD forever: for in the LORD JEHOVAH is everlasting strength.

(神様に心を常に向けている人は、神様が完全な平和を与えてくださいます。それは、その人が神様を信頼しているからです。主を永遠に信頼しなさい、なぜなら、主は絶えることのない力を与えてくださるからです。)

休暇をとったり、エステにいったり、マッサージにいったり、いろいろ努力して心に平和を、と思っても、それらはすべて一時的で常に心に宿ってくれる神様の平和とは違います。肉体的なリラクゼーションと、精神的な救いは、まったく別物なのです。神様からいただく平和は、イエス様による救いによってのみ受け取ることができます。地上に生きている間、肉体的困難というのは、常にあるものだからです。

ヨハネ16:33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あながたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。
These things I have spoken unto you, that in me ye might have peace. In the world ye shall have tribulation: but be of good cheer, I have overcome the world.

この、「わたしは既に世に勝っている」というのは、もちろんイエス様が言っていることなのですが、彼が神様のご計画通りに十字架にかかり人類の罪を洗い流したことにより、彼は既に世の罪、悪に勝っている、ということを言っています。そして、イエス様が私たちの罪をぬぐい取ってくれたことを信じる、というのは、イエス様の勝利を信じる、ということです。つまり、私たち自身も、イエス様を通して世の罪に打ち勝つことができる、ということなんですね。これが「救い」です。

第一コリント 15:57 わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
But Thanks be to God, which giveth us the victory through our Lord Jesus Christ.

世の中の宗教は、この罪への勝利、つまり救いは、どれだけ善いことをしたか、とかどれだけ宗教活動にお金をつぎ込んだかで得られる、といって人間たちを騙します。救いは、worksによっては得られるものはないのです。唯一、イエス・キリストを通してのみ、私たちが受け取ることができる神様からの贈り物、それが永遠の命です。つまり、天国への道は、唯一イエス様を通してのみ進むことができるんですね!

ヨハネ10:9 わたしは門である、私を通って入る者は救われる。
I am the door: by me if any man enter in, he shall be saved

ヨハネ14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
Jesus said unto him, " I am the way, the truth, and the life: no man cometh unto the Father, but by me".

カルト宗教は、「天国へ行く道は1つではない」といいます。聖書ははっきりと「天国へ行く道はたった1つである」と言っています。まだ信じていないひとは、信じて勝利と平和を受け取りましょう☆そういうわけで、今日はとても有名な聖歌Victory in Jesusをお届けします。

レトロな映像と共にどうぞ。You Tubeから。

http://www.youtube.com/watch?v=wcW-vnEc0gc&feature=related


Victory in Jesus
By E.M. Bartlett


I heard an old, old story, How a Saviour came from glory
How He gave His life on Calvary to save a wretch like me
I heard about His groaning, of His precious blood's atoning,
Then I repented of my sins and won the victory

(Repeat)

O Victory in Jesus, my savior forever
He sought me and bought me with His redeeming blood
He loved me ere I know Him and all my love is due Him
He plunged me to victory beneath the cleansing flood.

I heard about His healing, of His cleansing power revealing
How He made the lame to walk again and caused the blind to see
And then I cried " Dear Jesus, come and heal my broken spirit"
And somehow Jesus came and brought to me the victory

(Repeat)

I heard about a mansion He has built for me in glory
And I heard about the streets of gold beyond the crystal sea
About the angels singing and the old redemption story
And some sweet day I'll sing up there the song of victory

(Repeat)

(意訳)

私は、救世主がどうやって天国からやってきたかという古い古い話しを聞いた。
私のような哀れな者を救うためにその命をゴルゴタの丘で捨てたことを
彼の大切な血による贖いに伴う、彼の苦しみを聞いた
そして私は自分の罪を認め許しを乞い、勝利を手にしたのだ

(繰り返し)
イエス様による勝利、永遠のわたしの救世主よ
彼は私を見つけ、そしてその贖いの血を持って買ってくださった
彼は私を愛してくださった、わたしの愛はすべて彼に支払われるべきだ
彼はその溢れる浄化の力によって、私を勝利へと飛び込ませた

私は彼の浄化の力による癒しを聞いた
彼がどうやって不具の者を歩かせ、盲の目に光を与えたか
そして私は泣きついた「イエス様、どうかやってきて私の壊れた魂を癒してください」 
そしてどうしてかイエス様はやってきて、私に勝利を与えてくださった。

私は彼が私のために天国に建ててくださっている邸宅の話しを聞いた
そしてクリスタルの輝きをもった海のむこうに見える黄金の道の話しを聞いた 
また古いあがないの話しと、天使たちの歌声について。
そしてある甘い日に、私もそこで勝利の歌を歌うのだ。


2008年8月9日

滑る床。

今日は久しぶりに涼しく、気温も36度くらいまでしか上がらないようでとても気分よく一日を過ごしています。先日日本からの荷物の第二弾が届き、家中ほこりっぽくなっていたので、朝から大掃除をして隅々まで磨き上げました。しかし玄関から台所にかけてのタイル仕様の床を洗ったら、やけに滑りやすくなってしまいました。いままでは砂ぼこりで摩擦係数が高くなっていたのでしょうか??



今日はソウルフルな感じのHymnをお届け。私自身はDarcel McCoyのCDをもっていて、それがものすごくよいと思うのですが、オンラインでみつけられなかったので違うゴスペルグループの妥協音源です。↓

You Tubeから。前置きがやけにながいので、歌がはじまるまでちょっと我慢してください。

http://www.youtube.com/watch?v=SVTcjtvfpNI


My God is Real

By Kenneth Morris ©1944 Kenneth Morris

There are some things I may not know
There are some places I can't go
But I am sure of this one thing
That God is real for I can feel Him deep within

* Repeat *
My God is real, real in my soul
My God is real for He has washed and made me whole.
His love for me is like pure gold.
My God is real for I can feel Him in my soul.

Some folks may doubt; some folks may scorn;
All can desert and leave me alone
But as for me, I'll take God's part,
for God is real and I can feel Him in my heart

* Repeat *

I cannot tell just how you felt
When Jesus took your sins away
But since that day, yes since that hour
God has been real for I can feel His holy power

* Repeat *


(意訳)

私には知りえないことがある
私には行かれない所がある
けれどたった1つだけ確かなことがる
神様は現実のもの、魂の深くに彼を感じることができる

(繰り返し)
私の神様は本物、魂のなかにいる
私の神様は本物、彼が罪を洗い流し、私を完全にしてくれた
その愛は純金のようだ
私の神様は本物、魂の深くに感じることができる

ある人たちは疑うだろう、ある人たちは罵るだろう
皆私を見捨て、独りぼっちにしてくれていい
それでも私は、神様の味方をする
なぜなら神様は現実のもので、心の深くに感じることができるから

イエス様があなたの罪をぬぐい去ってくれた時
あなたがどのように感じたかを説明することはできないけれど
あの日から、あの時から
神様は現実のもので、その神聖な力を感じることができる。



「神様って本当にいるの?」という疑問は、多くの人がもっているものですね。「神様」の存在は信じないけど、「すべてをつかさどる偉大なパワー」が存在することはわかる、なんていう人もたくさんいます。前回も書きましたが、日本やインド、ギリシャをはじめその他様々な国に「なんとか神様」がやけにいっぱいいたりして、「神様」と一言でいっても、何がなんだかよくわからない状態になっています。いろいろな国の土俗信仰で、雨の神様とか、太陽の神様とかを祭ることがありますが、これらは皆、人間が全知全能の神様を求めるよりも、手短に見える木や泉を「神様」のかわりに崇めたりした偶像崇拝です。聖書には、はっきりと誰が神様なのか書かれています。使徒言行録には、パウロがアテネではびこる偶像崇拝に憤慨して説教している様子が書かれています。聖書を持っている方は、新約聖書の使徒言行録第17章の16節から34節までを読んでみましょう。ここでは、重要な箇所だけ抜きだして書きます。



17:16-18 パウロはアテネで2人を待っている間に、この町の至る所に偶像があるのを見て憤慨した。それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何が言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。
Now while Paul waited for them at Athens, his spirit was stirred in him, when he saw the city wholly given to idolatry. Therefore disputed he in the synagogue with the Jews, and with the devout persons, and in the market daily with them that met with him. Then certain philosophers of the Epocureans, and of the Stoicks, encountered him. And some said, What will this babbler say? Other some, He seemeth to be a setter forth of strange gods: because he preached unto them Jesus, and the resurrection.

17:22-25 パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいる者、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えて貰う必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えて下さるのは、この神だからです。
Then Paul stood in the midst of Mars'hill, and said, Ye men of Athens, I perceive that in all things ye are too superstitious. For as I passed by, and beheld your devotions, I fond an altar with this inscription, TO THE UNKNOWN GOD. Whom therefore ye ignorantly worship, him declare I unto you. God that made the world and all things therein, seeing that he is Lord of heaven and earth, dwelleth not in temples made with hands; Neither is worshipped with men's hands, as though he needed any thing, seeing he giveth to all life, and breath, and all things;


17:26-29 神は、1人の人からすべての民族を造り出して、地上の至る所に住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と、言っている通りです。わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。

And hath made of one blood all nations of men for to dwell on all the face of the earth, and hat determined the times before appointed, and the bounds of their habitation; That they should seek the Lord, if haply they might feel after him, and find him, though he be not far from every one of us: for in him we live, and move, and have our being; as certain also of your own poets have said, For we are also his offspring. Forasmuch then as we are the offspring of God, we ought not to think that the Godhead is like unto gold, or silver, or stone, graven by art and man's device.


17:30-32 さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるように、と命じておられます。それは、先にお選びになった1人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は「それについては、いずれまたきかせてもらうことにしよう」と言った。
And the times of this ignorance God winked at; but now commandeth all men every where to repent: because he hath appointed a day, in the which he will judge the worked in righteousness by that man whom he hath ordained; whereof he hath given assurance unto all men, in that he hath raised him from the dead. And when they heard of the resurrection of the dead, some mocked: and others said, We will hear thee again of this matter.


ここでいう「先にお選びになった1人の方」というのは、もちろんイエス・キリストのことです。ペテロは、イエス・キリストの十字架の上での殉教と復活、そしてそれに伴って人類の罪が洗い流された福音を、偶像崇拝に夢中だったアテネの人々に説いたわけです。ある人たちは信じて救われ、ある人たちはペテロをばかにし、ある人たちは理解したものの、その福音を受け取ろうとはしませんでした。このような人間の反応は、世界中どこにいっても、今も昔もかわりません。ちなみに旧約聖書にも、偶像と本当の神様の違いがはっきりと書かれています。エレミヤ書の10章1節から16節を読んでみてください。



エレミヤ書10:10 主は真理の神、命の神、永遠を支配する王。The LORD is the true God, he is the living God, and an everlasting king.

10:14-16 人は皆、愚かで知識に達しえない。金細工人は皆、偶像のゆえに辱められる。鋳て造った像は欺瞞に過ぎず、霊をもっていない。彼らは空しく、また嘲られるもの、裁きの時がくれば滅びてしまう。ヤコブの分である神は、このような方ではない、万物の創造者である
Every man is brutish in his knowledge: every founder is confounded by the graven image: for his molten image is falsehood, and there is no breath in them. They are vanity, and the work of errors: in the time of their visitation they shall perish. The portion of Jacob is not like them: for he is the former of all things.


私たち人間が信じようと信じまいと、聖書に記されていることは神様の御言葉であり、真実です。ヨハネの手紙1にはこう書いてあります。

ヨハネの手紙1

5:1 イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。
Whosoever believeth that Jesus is the Christ is born of God.

5:3-5 神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。誰が世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
For this is the love of God, that we keep his commandments: and his commandments are not grievous. For whatsoever is born of God overcometh the world: and this is the victory that overcometh the world, even our faith. Who is he that overcometh the world, but he that believeth that Jesus is the Son of God?

5:10-12 神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまっています。その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。
He that believeth on the Son of God hath the witness in himself: he that believeth not God hat made him a liar: because he believeth not the record that God gave of his Son. And this is the record, that God hath given to us eternal life, and this life is in his Son. He that hath the Son hath life; and he that hath not the Son of God hath not life.

5:19-21 わたしたちは知っています。私たちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。私たちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えて下さいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。子たちよ、偶像を避けなさい。
And we know that we are of God, and the whole world lieth in wickedness. And we know that the Son of God is come, and hath given us an understanding, that we may know him that is true, and we are in Him that is true, even in his Son Jesus Christ. This is the true God, and eternal life. Little children, keep yourselves from idols.

私も日本で普通に育っていくなかで、何も考えずに神社でお稲荷さんとか、お寺で地蔵とか(?)なんとかの建物で恋愛の神様だなんだと、半信半疑で一応祈ってきましたが、本当の神様って誰なのか説明されたことは一度もありませんでした。けれど、聖書にははっきりとすべてを司る神様のことが書かれていて、誰にお祈りすればいいのかきっちり教えてくれます。また、イエス様を通して天国に行く道を示してくれているのだから、なんて素晴らしい福音だ!と思っちゃいますね。よく必読書のことをナントカのバイブル、なんていう言い方をしますが、聖書は本当に人生のバイブルです!皆さんも是非本当の神様を信じ、イエス様に天国への道へ導いてもらいましょう。


2008年8月7日

アメリカ(半分)横断

バージニアからオクラホマに帰ってまいりました。行きは空路をとったのですが、帰りはダニーのマイカーで陸路でした。途中、Memphisで1泊、そして弟君の通うバイブル・コレッジのあるArkansasのHot Springsで土日の週末をすごし、はるばる合計18時間以上のドライブをしてきました。ダブリンはとっても過ごしやすかったのに、どんどん西に行くに連れて気温が高くなっていく様子がよくわかりました。美しい森林や丘、豊かな芝が消え、かわりに低木と平たい渇いた大地に変化してゆく景色をみながら、ああ、オクラホマにどんどん近づいてる、と思いましたよ。地図にあるように、ルートはアメリカの南部を横断する感じなので、やっぱりクリスチャン・カントリーな地域ばかり。そんなわけで、高速道路でもおもしろいものを見つけましたよ。

一つ目の写真は、巨大な十字架。これ、テネシー付近でいくつも建っていたので、多分どこかの教会アソシエーションみたいのが一緒に仕掛けているのではないかと思いますが、その大きさは、横に小さくうつる建物をみていただければ分かるとおもいますが、軽く11階建てビルくらいあるんじゃないかと思われます。二枚目の写真は、クリスチャンの運転するトラック。" JESUS CHRIST IS LORD not a swear word"と書いてあります。Swear wordとは、まあ無意味なののしり言葉のことですが、よくアメリカ人は「くそったれ!!」のような意味で"Jesus Christ!!"とか "Oh my GOD"とかいいますね。映画とかにもよく出てきます。これって、ようするに神様のことを無意味に冒涜してるわけですよね。旧約聖書の十戒のなかに、「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。」申命記5:11" Thou shalt not take the name of the LORD thy God in vain: for the LORD will not hold him guiltless that taketh his name in vain" とあります。このトラックを装飾した人は、このことを強調したかったんですね。「イエス・キリストは主=救い主であって、ののしり言葉じゃないぞ!」と言っているわけです。さらに、その下には" For whoever shall call upon the name of JESUS CHRIST shall be saved" Romans 10:13(「主イエス・キリストの名を呼び求める者は誰でも救われるのです」ローマ章10:13) と書いてあるので、このトラックの持ち主は明らかに救われているクリスチャンの方のようです!アメリカ南部の高速を走っていると、けっこうこんな感じのトラックが走っているので、おもしろいです。また他にも見つけたら写真とります。

それにしても、オクラホマは暑いです。相変わらず40度越え当たり前で、必要な用事以外は家から一歩もでない日々が続くでしょう(笑)オクラホマに入った途端、途中休憩のために入ったガソリンスタンドのショップなどで気象警報が頻繁に流れていて、相変わらず「週の半ばには局地的な嵐があるでしょう」とか言っているのですが、なかでも「….というわけで毎日非常に暑くなるので、家族のメンバー、とくに年寄り、犬、子供などは室内にとどまっているように、よく注意してください」というアナウンスには笑いました。「犬」もか!と思って。

ところで、聖書って読むのが難しい、という人が多いですが、実際に読んでみると、ちっともそんなことはありません。とくに新約聖書はいたって平坦な言葉で書かれているので、皆「難しい」という先入観に捕らわれているだけなのだと思います。

また、聖書の御言葉は絶対であり、無のまま消えることはありません。
イザヤ55:10-11 雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ 種蒔く人には種を与え 食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出る私の言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。
For as the rain cometh down, and the snow from heaven, and returneth not thither, but watereth the earth, and maketh it bring forth and bud, that it may give seed to the sower, and bread to the eater: So shall my word be that goeth forth out of my mouth: it shall not return unto me void, but it shall accomplish that which I please, and it shall prosper in the thing whereto I sent it.

これは本当です。私自身、クリスチャンのクの字も知らなかった時代に読んだ聖書の言葉に救われた経験があります。しかも、それは聖書を読んだわけではなく、漫画の「あさりちゃん」にどんな内容だったかは忘れましたが、「イエス様は右の頬を打たれたら左もさし出す」ように言っている、というような箇所があったんですね。この短い聖句の箇所がまったく無宗教の子供心にとどまって離れなかったわけで、いまになって神様の言葉の強さを実感します。ちなみにこの聖句は、マタイ5:39にあります。マタイの福音書はとてもわかりやすく、神様の意志が書かれているので、聖書ビギナーにはオススメですよ。

では今日は詩編の96章の一部をご紹介。神様を讚えた素敵な歌です。
PSALM96:1-6
O sing unto the LORD a new song: sing unto the LORD, all the earth. Sing unto the LORD, bless his name; shew forth his salvation from day to day. Declare his glory among the heathen, his wonders among all people. For the LORD is great, and great to be praised: he is to be feared above all gods. For all the gods of the nations are idols: but the LORD made the heavens. Honor and majesty are before him: strength and beauty are in his sanctuary.

新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。主に向かって歌い、御名をたたえよ。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。国々に主の栄光を語り伝えよ。諸国の民にその驚くべき御業を。大いなる主、大いに賛美される主 神々を超えて、最も畏るべき方諸国の民の神々はすべてむなしい。主は天を造られ 御前には栄光と輝きがあり 聖所には力と光輝がある。

どの国にいっても、いろいろな「なんとかの神様」が存在します。聖書で讚える「神様」は、あらゆる「なんとか神様」達の上にたつ方です。天国と地球を造り、すべてを創造された方。「なんとか神様」達は、木彫りの像だったり、鉄や石で人間がつくりだして、本当の神様のかわりにあがめようとした「偶像」にすぎません。本当の神様は、そういう像たちと違って、目に見えたり、手で触れたりすることはできません。けれど、私たちが心のよりどころにすべきなのは、世界中にちらばっている人間がつくりだした「偶像」達ではなく、人間を造り出してくださった、天にいる神様のみです。それでも、神様は聖書を通して、わたしたちが求めれば毎日知恵や進むべき道を与えてくださいます。おみくじを毎日ひいて一喜一憂していないで、是非本当の神様の御言葉を心に染み渡らせながら、生きていきたいですね!


2008年7月30日

ベイビー・シャワー☆

週末にお友達をたくさん招いたホームパーティがありました。ダニーも小さい頃から教会で仲良くしているご家族の皆様が約40人くらい来ましたよ。みんなでアメリカン・カントリー・ホームクッキングを持ちよりで、とっても美味しかったです。ついでに、ダニーのママとお友達たちが、産まれてくる子供のためのベイビー・シャワーをしてくれました。これは、要するに子供が生まれる前に、皆が贈り物をくれる会なんですが、いまだにベビー用品を何も購入していなかったので、とてもありがたく頂戴しました。すでにベビー服が10着以上そろってしまいました。嬉しいですね。こういう暖かいファミリーとクリスチャン・コミュニティーに嫁がせてくれた神様に本当に感謝です☆

さてさて今日はとっても可愛いメロディの歌をご紹介。といってもコピーライトがかかっている関係で、ネット上からメロディが見つけられませんでした。そのうち弾き語りでも録音して載せられればいいのですが。機材がないので無理かも。

I'll Tell the world (That I'm a Christian)
By Baynard L.Fox 1958 copyright Fox Music Publications

1
I'll tell the world that I'm a Christian
I'm not ashamed His name to bear
I'll tell the world that I'm a Christian
I'll take Him with me anywhere.

I'll tell the world how Jesus saved me
And how he gave me a life brand new
And I know that if you trust Him
That all He gave me He'll give to you

I'll tell the world that He's my Savior
No other one could love me so
My life my all is His forever
And where He leads me I will go

2
I'll tell the world that He is coming
It may be near of far away
But we must live as if His coming
Would be tomorrow or today

For when He comes and life is over
For those who love Him there's more to be
Eyes have never seen the wonders
That He's preparing for you and me

O tell the world that you're a Christian
Be not ashamed His name to bear
O tell the world that you're a Christian
And take Him with you everywhere

(意訳)
1. 世界中に私はクリスチャンと伝えよう
イエス様の名を負うことを恥としない
世界中に私はクリスチャンと伝えよう
彼の名をどこにでも広めよう

イエス様がどうやって私を救って下さったか伝えよう
そして新しい人生をくださったことを
そしてあなたも、彼を信じれば
同じように新しい人生を与えて下さることを知っている

世界中にイエス様が私の救世主だと伝えよう
彼のように私を愛してくれる方はいない
私の人生とすべては彼のもの
彼の導くところへ私は進む

2. 世界中に、イエス様が戻ってこられることを伝えよう
それはすぐかもしれないし、ずっと後かもしれない
けれど私たちは今日にでも明日にでも
イエス様が戻ってこられるかのように生きなければ

彼が戻ってきて、人生が終わると
彼を愛する者たちにはそこから先がある
誰も見たことのない、神様の準備なさっている
世界が広がる

世界中にあなたはクリスチャンだと伝えよう
イエス様の名を負うことを恥としないで
世界中にあなたはクリスチャンだと伝えよう
彼の名をどこででも広めよう

メロディがお聞かせできないのが残念なのですが、いたってシンプルな内容の曲です。1番はイエス様の救済を信じて、救われてからの新しい人生に対する感謝と、クリスチャンとしての誇りを歌っていますね。

これは、新約聖書のマルコの福音書にかかれていることに基づいています。
聖書が手元にある人は一緒に開いてみてください。マルコの16章です。ちょうど、イエスが十字架にかけられて死に、3日後に生き返って弟子たちの前に現れたシーンです。

マルコ16:15-16 イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を述べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。」
And he said unto them, " Go ye into all the world, and preach the gospel to every creature. He that believeth and is baptized shall be saved; but he that believeth not shall be damned."

イエス様による罪からの救済を信じて救われ、洗礼を受けた者は天国にいけるけれど、信じない者は地獄に行く、ということをいっているんですね。

2番は、キリストの再臨について歌っているのですが、 For when He comes and life is over; For those who love Him there's more to be; Eyes have never seen the wonders; That He's preparing for you and me の部分はキリストが再臨した時、何が起こるかということを歌っています。ヨハネの黙示録をみてみましょう。全部読んでいただくのが1番いいのですが、かなり抜粋すると、キリストが地上に再臨するとき、救われている人たちは皆天にあげられます。まず、既に死んでいる者から、そして次に地上にいる者たちが天にあげられ、千年の間キリストと共に統治すると書かれています。

ヨハネの黙示録 20:4-6 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。
And I saw thrones, and they sat upon them, and judgment was given unto them: and I saw the souls of them that were beheaded for the witness of Jesus, and for the word of God, and which had not worshipped the beast, neither his image, neither had received his mark upon their foreheads, or in their hands; and they lived and reigned with Christ a thousand years. But the rest of the dead lived not again until the thousand years were finished, This is the first resurrection. Blessed and holy is he that hath part in the firs resurrection: on such the second death hath no power, but they shall be priests of God and of Christ, and shall reign with him a thousand years.

そのあと、サタン(悪魔)が火の池に投げ込まれ、敗北をきすそうです。そのあとに、死者たちにたいする最後の裁きがあります。これが私たち一人一人に関係してくるところです。

20:12-15 わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。いくつかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。海は、その中にいた死者を外にだした。死と陰府もその中にいた死者を出し、彼らはそれぞれの行いに応じて裁かれた。死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。
And I saw the dead, small and great, stand before God; and the books were opened: and another book was opened, which is the book of life: and the dead were judged out of those things which were written in the books, according to their works. And the sea gave up the dead which were in it; and death and hell delivered up the dead which were in them: and they were judged every man according to their works. And death and hell were cast into the lake of fire. This is the second death. And whosoever was not found written in the book of life was cast into the lake of fire.

これらは、あくまでもSpiritの話しをしています。肉体はアダムの犯した罪によって、人間に死が運命づけられた瞬間から滅びることが決まってしまいましたが、魂は滅びません。しかし、最後の審判が行われる時、そのゆく道は天国か、地獄かの二択です。いろいろな宗教や、あるキリスト教宗派でも「善い行い」をすれば天国にいける、と間違った教えを説いていることが多いですが、聖書ははっきりと語っています。

ヨハネの福音書17:3 
永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。

And this is life eternal, that they might know thee the only true God, and Jesus Christ, whom thou hast sent.

3:36 御子(キリスト)を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。
He that believeth on the Son hath everlasting life: and he that believeth not the Son shall not see life; but the wrath of God abideth on him.

14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
Jesus said unto him, I am the way, the truth, and the life: no man cometh unto the Father but by me.

使徒言行録4:12
ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名(イエス・キリスト)のほか、人間には与えられていないのです。

Neither is there salvation in any other: for there is none other name under heaven given among men, whereby we must be saved.

16:31 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
Believe on the Lord Jesus Christ, and thou shalt be saved, and thy house.

この救いの大切さについては、このブログでも何回も書いていますが、これだけ強調しているのは、それだけ皆さん個人個人にとって大切だということです。私自身、救われてから、イエス様に心から依り頼むように成長していくうちに、人生がまったく変わりました。いつも心に感じていた穴というか、空虚感というのが神様の愛によって満たされただけでなく、無駄な焦燥感や競争心、嫉みなどというものがまったく無くなりました。これは、本当に自分で努力して得られるものでも、なんとかセラピーで得られるものでも、巨大な財産によって得られるものでも、善の行いによって得られるものでもありません。イエス様は何も私たちに強制しません。神様は人間に自由意志を与えられたからです。ですから、選択はみなさん一人一人にゆだねられています。もし、信じたい人がいたら、下のような内容で心からお祈りしてみてください。救われることが、初めの一歩ですよ!

「イエス様、私はいろいろな罪を犯して、あなたと離れて歩んできました。けれど、いま心から貴方に許しをお願いします。私は貴方が十字架で血を流して死に、私の罪を肩代わりしてくださり、3日後に生き返ったことを信じます。これからの私の1歩1歩を、あなたが導いて、あなたと共に歩ませて下さい。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」


2008年7月25日

カウンティー・フェア

昨日はダニーの実家のそばで1週間開かれている、カウンティー・フェアにママと弟君と4人で行ってきました。カウンティー・フェアとはつまりダブリンという町のあるPulaski郡のフェアーです。移動遊園地がきて、Pulaski中の農家や畜産業の方々が自分たちのヤギ、馬、牛、野菜などを自慢する会です。目玉行事として、Horse Pullという馬たちの力比べがあるのですが、それは重量別にクラス分けされていて、小さい馬から、ものすごい巨大な馬まで勢ぞろいしていました。懐かしい味、コーンドッグとファンネルケーキをたべましたよ。ファンネルケーキは、溶いた小麦粉を油で揚げたものに粉砂糖がまぶしてあるもので、小さい頃家でドーナツなんか作ったりしたときによく食べた覚えがあります。まさに油を飲んでる感じなんで、私は一口でやめましたが、ダニーも弟君も美味しそうに食べていました。雨が降り出したので小一時間しかいなかったと思うのですが、なんとも田舎らしい一時を過ごしました。


さて、今日は箴言の23章を読んでいて、なぜお酒は良くないか。ということが詳しく書かれている場所があったのでご紹介します。うちは家族がもともとあまり飲めない性質なので、「お酒なんか体に毒!」的なアイデアで育ったので、お酒に対して執着がまったくないのですが、クリスチャンでも、たくさんお酒を飲んでいる人もいるし、毎日飲まないとやっていられないみたいな知りあいもたくさんいます。仕事だから飲まなきゃいけない、といった風潮も色濃いですよね。でも、一般的な「常識」って本当に人によって違うので、今日は聖書はお酒を飲むことについて何て言っているか見てみましょう。


箴言23:29-35

不幸な者は誰か、嘆かわしい者は誰か いさかいの絶えぬ者は誰か、愚痴を言う者は誰か 理由なく傷だらけになっているのは誰か 濁った目をしているのは誰か。それは、酒を飲んで夜更かしする者。混ぜ合わせた酒に深入りする者。

Who hath woe? Who hath sorrow? Who hath contentions? Who hath babbling? Who hath wounds without cause? Who hath redness of eyes? They that tarry long at the wine; they that go to seek mixed wine.

酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが、後になると、それは蛇のようにかみ 蝮の毒のように広がる。 目は異様なものを見 心に暴言を吐き始める。海の真ん中に横たわっているかのように 綱の端にぶら下がっているかのようになる。「打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。酔いが醒めたらまたもっと酒を求めよう。」
Look not thou upon the wine when it is red, when it giveth his colour in the cup, when it moveth itself aright. At the last it biteth like a serpent, and stingeth like an adder. Thine eyes shall behold strange woman, and thine heart shall utter perverse things.Yea, thou shalt be as he that lieth down in the midst of the sea, or as he that lieth upon the top of a mast. They have stricken me, shalt thou say, and I was not sick; they have beaten me, and I felt it not: when shall I awake? I will seek it yet again.


お酒って、コマーシャルとかでものすごく良い物として宣伝されてるけど、実際飲んだ後って、どんなに飲める人でも誰もが具合悪くなったり、事故を起こしたり、道で寝ころんでいたり、医者騒ぎになったり、大変ですよね。私は心から救われる前は、一応クリスチャンにはなったものの、ロンドン大学のクラスの人たちなどとまわりに合わせてパブに行ったりしていました。当時はちゃんと聖書を読んでいなかったので、お酒について神様は何ていってるか、なんて考えもしなかったんですね。ただ、もともと「酒=悪」的なアイデアを父にインプットされて育てられていたので、心から飲むことを楽しんだことって、なかったですね。いつも誰かしらが恐ろしく酔っぱらって、その人たちの面倒を誰かがみなきゃいけなかったり、酒乱になっている人たちがものすごく吐いたりしてる姿を見て、嫌だなあと思っていました。それと、小さい頃から鼻がいいので、お酒とタバコと珈琲の匂いが漂っている人って苦手で、とくに中央線で学校まで通わなければいけなかった頃なんかは、朝はやくから、まだ夕べの酒が残っている赤ら顔の臭い中年おじさんの隣とかに座らなきゃならなかったりして、すごく嫌でしたね。まあ、そんな個人的な意見はともかくとして、箴言の31にもお酒についての記述があるのでご紹介します。これは、レムエルという王様が、母から王としてどうあるべきかの教えを受けている箇所です。


箴言31:4−7

レムエルよ、王たる者にふさわしくない。酒を飲むことは、王たるものにふさわしくない。強い酒を求めることは 君たるものにふさわしくない。飲めば義務を忘れ 貧しい者の訴えを曲げるであろう。強い酒は没落した者に 酒は苦い思いを抱く者に与えよ。飲めば貧乏を忘れ 労苦を思い出すこともない。

It is not for kings, O Lemuel, it is not for kings to drink wine; nor for princes strong drink: Lest they drink, and forget the law, and pervert the judgment of any of the afflicted. Give strong drink unto him that is ready to perish, and wine unto those that be of heavy hearts. Let him drink, and forget his poverty, and remember his misery no more.

確かに、心痛い時お酒を飲んで忘れようとする、みたいのって、ドラマとかにもよくありますよね。でも実際、お酒を飲んだところで忘れないですよね。それよりか、心だけじゃなく体調まで悪くなってダブルパンチ、みたいな。ともかく、神様は私たちにお酒を飲むことに関して、ポジティブなことは言っていないということです!私もダニーも今やまったく飲まないので、産まれて来る子供たちにも、せっせとそう教育するつもりです☆