2008年2月22日

良い人悪い人 (愛の話 4)

今日は春を感じさせる陽気でしたね。近所を散歩していると、甘い花の香りがどこかからが漂ってきて、とても気持ちのよい昼下がりでした。上の写真は旦那様の実家のお庭。去年の秋に撮りました。横にあるのは詩編の第1章。とってもいい詩なので味わってみてください。



さてさて、今日は「神の栄光を受けられなくなっている」とはどういうことなのか?についてです。



旧約聖書 イザヤ書

第59章1−2節 主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前たちの悪が 神とお前たちとの間を隔て お前たちの罪が神の御顔を隠させ お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。


3−4節 お前たちの手は血で、指は悪によって汚れ 唇は偽りを語り、舌は悪事をつぶやく。正しい訴えをする者はなく 真実をもって弁護する者もない。むなしいことを頼みとし、偽って語り 労苦をはらみ、災いを産む。


9−10節 それゆえ、正義はわたしたちを遠く離れ 恵みの業はわたしたちに追いつかない。わたしたちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ 輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている。盲人のように壁を手探りし 目を持たない人のように手さぐりする。真昼にも夕暮れ時のようにつまずき 死人のように暗闇に包まれる。


12節 御前に、わたしたちの背きの罪は重く わたしたち自身の罪が不利な証言をする。背きの罪は私たちと共にあり わたしたちは自分の咎を知っている。



聖書を読んでいて、すごいなあと思うことは、なんでもそのものズバリ、白黒ものすごくはっきり書かれているところです。上に挙げた聖句が、まさになぜ私たちは神の栄光が受けられないか、の説明です。神様は、とても神聖な存在です。人間は、その神に背いた瞬間から、罪の奴隷になってしまいました。この、わたしたちの抱える罪が、神様と人間を遠ざけ、神様の恩恵を受けられないものにしているのです。



昨日まで、罪は人間に生まれた時から備わってしまうものになった、という話をしました。ただこれだけだとピンとこない方がいらっしゃるかもしれませんので、私たちが毎日のように犯している罪とはどんなものか考えてみましょう。ではまず、神様が人間に与えた律法、十戒をみてみましょう。ここから、世の中の犯罪の規定が生まれたのです。



旧約聖書 出エジプト記

第20章 3節 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。(1.主が唯一の神である)

4−5節あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。 (2.偶像崇拝の禁止)

7節 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。(3)

8節ー10節 安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目はあなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。(4)

12節 あなたの父母を敬え。(5)

13節 殺してはならない。(6)

14節 姦淫してはならない。(7)

15節 盗んではならない。(8)

16節 隣人に関して偽証してはならない。(9)

17節 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。(10)



(5)〜(10)なんかは、世界中どこに行っても当たり前のことであっていいはずですよね。日本人はわりと道徳的な人間性をもっているので、このくらい守って人間として当たり前だ!と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、旧約聖書の時代から人間って本当になんてひどいことができるんだ、ということがいっぱいです。次回はもっと詳しく私たちの日々犯す罪について検証してみましょう!