2008年2月21日

良いこと悪いこと (愛の話 3)

今朝はうちのマンションの火災報知器検査があって、定期的に赤いベルがジリンジリン鳴っています。中学の始業ベルがこれと同じだったけれど、家の中で鳴られるとつらいですね〜。



さてさて、昨日はエデンの園の話をしましたが、今日はなんで「人類は皆罪人である」って言われるの?ということを見てみましょう。



新約聖書 ローマの信徒への手紙 

5章12節 このようなわけで、1人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。



3章10−18節 「正しい者はいない。1人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの1人もいない。彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。口は、呪いと苦味で満ち、足は血を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏れがない。」



3章23節 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています



考える鍵になる三つの聖句を挙げてみました。まず「1人の人によって罪が世に入り」というのが、先日お話したアダムの神様に対する不従順を指します。わかっていながら、神様の命令を守らなかった、その背きの行為が罪と呼ばれるものです。そして、「罪によって死が入り込んだ」というのが、肉体的寿命と、精神的な死=神様との別離を指します。こうして、アダムとイヴから続く、全人類がその罪の後継者になってしまったわけです。



そのため、人は生まれながらにして、神様に背く罪の性質をもっています。よく、赤ん坊は罪がないとかいいますが、そんなことはありません。たとえば、どこかの託児室に行ってみてください。まだ言葉も話せない赤ん坊たちがおもちゃをとり合っては喧嘩をし、母親の言うことをわかっていながら聞こうとしないのを目の当たりにすることでしょう。このような内在する罪へ走る性質は、誰から教えられるものでもなく、アダムが神様に背き、死を招いた瞬間から、人間に備わってしまったのです。それを良く表しているのが、二番目に挙げた聖句です。そういうわけで、「人は皆、罪を犯して」というステイトメントが成り立つわけです。



旧約聖書のモーセの時代に、神様は人間に何が罪として定められるか、という律法を決めた十戒を与えます。これは神様と人間との間の守るべき掟です。映画とかで見たことある方もいると思いますが、その掟は、今でも当たり前の「良識」として存在するものです。けれど、現代の世の中ではその「良識」も無くなってきてしまっているのが怖いところですが、、、。



では、明日は十戒の紹介と共に「神の栄光を受けられなくなっている」ってどういうこと?ということを考えてみましょう。