2009年3月22日

知恵のはじめ

詩編111:10
THE FEAR OF THE LORD IS THE BEGINNING OF THE WISDOM: A GOOD UNDERSTANDING HAVE ALL THEY THAT DO HIS COMMANDMENTS
主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。

主を畏れること、ってどういうことでしょうか?上記の英語の方を見てみて下さい。日本語訳では「これ」と代名詞化されている語は「COMMANDMENTS」です。つまり、神様を畏れ、その戒めを守り行う人は、優れた思慮を得る、ということです。聖書を通して、神様は様々な教えや戒めを私達人間に与えて下さっています。箴言は、ソロモン王が記した教えの書で、特にわかりやすいものです。また、これらの戒めは、旧約聖書の時代にモーセに託された十戒だけでなく、新約聖書にあるイエス·キリストの教え、また、使徒達を通して綴られた神様からの御言葉に生き生きと伝えられています。
毎日聖書を少しでも読む事の大切さは、その読んだ少しの部分から、毎日ほんの少しずつ神様の戒めを学び、そして思慮を得て人間として成長することにあるのです。偉大な思想家達の本を読むのは結構な事ですが、人間の思想と神様の戒めは比べ物になりません。私達人間は、神様の手によって創られた創造物だからです。

第一コリント1:25
BECAUSE THE FOOLISHNESS OF GOD IS WISER THAN MEN; AND THE WEAKNESS OF GOD IS STRONGER THAN MEN.
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

第一コリント3:18−21
IF ANY MAN AMONG YOU SEEMETH TO BE WISE IN THIS WORLD, LET HIM BECOME A FOOL, THAT HE MAY BE WISE.
FOR THE WISDOM OF THIS WORLD IS FOOLISHNESS WITH GOD. FOR IT IS WRITTEN, HE TAKETH THE WISE IN THEIR OWN CRAFTINESS.
AND AGAIN, THE LORD KNOWETH THE THOUGHTS OF THE WISE, THAT THEY ARE VAIN. THEREFORE LET NO MAN GLORY IN MEN.

もしあなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。「神は、知恵のある者たちをその悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、また、「主は知っておられる、知恵のある者たちの議論がむなしいことを」とも書いてあります。ですから、だれも人間を誇ってはなりません。

神様は、聖書を通して私達にイエス·キリストの救いの大切さ、神様からの恵みである事を繰り返し教えてくれています。しかし、私達人間は、その神様からの教えを無視して、自分たちの知識の方が勝っていると思いがちです。神様は、私達人間一人一人の髪の毛の本数までご存知な、全知全能の神です。まだ、イエス·キリストの救いの奇跡を受け入れていない人は、自分の知識と神様の知識と、どちらを信用するべきか、考えてみて下さいね!

第一コリント1:18−19
FOR THE PREACHING OF THE CROSS IS TO THEM THAT PERISH FOOLISHNESS; BUT UNTO US WHICH ARE SAVED IT IS THE POWER OF GOD. FOR IT IS WRITTEN, I WILL DESTROY THE WISDOM OF THE WISE, AND WILL BRING TO NOTHING THE UNDERSTANDING OF THE PRUDENT.
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」