2011年2月23日

一日ひとつでも、、、

長男があと半年くらいで3歳になります。最近は英語が主でぺらぺらとよく喋り、日本語も聞く方は普通に理解できるので、毎朝一緒に聖書を読んでいます。少なくとも箴言を一日一章ずつ読むのだけれど、だいたい30節くらいあるので、全部は当然頭にはいりませんよね。そういうわけで、一日に一節でも、心に残るものを一日中考えるようにしています。今日は、箴言22:24,25から長男と一緒にお勉強しました。

箴言 22:24,25 怒りやすい者の友になるな。激しやすい者と交わるな。彼らの道に親しんであなたの魂を罠に落としてはならない。

なんてわかりやすい!おこりっぽい人と常に一緒にいると、自分もそういう感じに感化されちゃう事ってありますよね。聖書は、キリストを信じて救われた者は柔和で寛容で自己自制をきちんと身につけられるようにと教えてくれます。以下は私も常に心がけなければと思わされるパウロによるキリスト者の模範としての教えです。これも一週間毎日よんで、少しでも覚えるようにしたいと思います!

ローマ章12:9-21 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者達の貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすように努めなさい。あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを1つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢いものとうぬぼれてはなりません。誰に対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うようにこころがけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる、と書いてあります。あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼のあたまに積む事になる。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

2011年2月21日

2011年近況


前回の投稿から一年半も経ってしまいました!もうすぐ次男が1歳になります。この2年間本当にあっという間にすぎてしまってびっくりです。神様からの恵みの近況といえば、某キリスト教出版社様の注解書の翻訳をお手伝いさせていただけることになり、聖書の勉強がぐっと進んで心から神様に感謝しています。また、夫も神学校があと2年で卒業なので、そろそろ先の事もいろいろ考え始めました。息子達が日本語も話せるようになってきているため、とりあえず日本語を本気で勉強しよう、といって一念発起してくれました。ロゼッタストーンを使って頑張っています。夫が本気で日本語の勉強をはじめてくれるように祈っていたので、嬉しい限りです。

今は夫の育った教会で日曜学校の4歳クラスをお手伝いさせていただいていて、長年クラスをもっているアメリカ人のヴィッキーさんをよく観察して、よい先生になるために学んでいます。それからAWANASでは5歳クラスを手伝っていて、子供達と楽しく騒いでいます。人前で話す事が苦手で子供の前ですらタジタジしていたのですが、すっかり慣れて楽しくなりました。何事も練習が自信につながるんですね!もちろん、下準備の大切さも学びました。もっと上手に聖書の話や大切な教義を子供達に教えられるように頑張りたいです。

今年の目標はピアノを練習する時間を作る事!やりたいと思っているだけでは弾けるようにはならないわけで、、、。ピアノが弾けたらなあと思う事があまりにも多すぎるので、一日10分でも練習できるように時間を作りたいと思います。

ブログは毎日息子としている短い聖書の勉強をシェアしていきたいと思います。たまに読んでいただければうれしいです。どうぞよろしくお願いします!

2009年7月28日

ご無沙汰

おひさしぶりです。また引っ越ししていました。といっても、再びオクラホマの基地からバージニアの実家に戻って来ただけなのですが。ついに夫が軍でのお仕事が終わったので、本格的に教会でのお仕事&神学校に行く事になりました。カリフォルニアに行く予定だったのですが、いろいろな導きによって、実家のホームチャーチを手伝いながら、車で一時間半くらいのところにある小さな神学校に行く事にしたようです。ということで、ただいままた夫の実家でおじいちゃん、おばあちゃんに息子ともども甘やかされながら生活しています。新居も探しているところです。
そんなわけで、ばたばたしていたので更新が滞ってしまい失礼しました。また少しずつ書いていきますので、今後もよろしくおねがいします!

2009年7月2日

よい読み方

ヨハネの福音書15章1−4節
I AM THE TRUE VINE, AND MY FATHER IS THE HUSBANDMAN. EVERY BRANCH IN ME THAT BEARETH NOT FRUIT HE TAKETH AWAY: AND EVERY BRANCH THAT BEARETH FRUIT, HE PURGETH IT, THAT IT MAY BRING FORTH MORE FRUIT. NOW YE ARE CLEAN THROUGH THE WORD WHICH I HAVE SPOKEN UNTO YOU. ABIDE IN ME, AND I IN YOU. AS THE BRANCH CANNOT BEAR FRUIT OF ITSELF, EXCEPT IT ABIDE IN THE VINE; NO MORE CAN YE, EXCEPT YE ABIDE IN ME.
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたは、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない

今月は、ヨハネの15章を旦那様と暗記することにしました。いまのところ3節まで覚えました。ところで、こうやって毎日一節ずつ、少しずつ覚えていくと、じっくり聖句の意味を調べたり、考えたりしながら学ぶ事ができるのでとてもよいです。ヨハネの15章は、イエス様が使徒達にぶどうの木のたとえを用いて教えているところです。J. Vernon McGee による、Thru the bibleという解説書によると、このシーンでは、夜イエス様と使徒たちが月明かりの中、ぶどう畑を歩いていて教えているところが想像される、と書いてあります。具体的にシーンを頭に思い浮かべると、美しい風景です。

ここでいう農夫である父とは、天の神様のこと。まことのぶどうの木とは、イエス様御自身を指します。枝とは、イエス様を信じている私達のことで、細い枝はぶどうの木自体につながっていなければ、実を結ぶ事はできません。イエス様に繋がるには、まずイエス様の言葉を信じ、罪から洗い流され、救われなければなりません。ここには、「わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている」とありますので、この話は救われていて、イエス様につながっている信者たちに向けられているものでしょう。細く弱々しい枝である私達は、たとえ救われても、日々「まことのぶどうの木」であるイエス様につながっていなければ、実を結ぶことはできません。では、どうしたらイエス様につながっていることができるのでしょうか?それは、日々の聖書を読む事と、お祈りをすることです。聖書を読む事は、ないがしろにされがちですが、実は一番大切な事なのです。なぜなら、私達は聖書の教えを通して、学び、イエス様の木に結ばれていることができるからです。私自身、聖書を自分できちんと読む様になってから、キリスト教の本当の教えを理解するようになりました。また、他の宗教との絶対的違いや、神様からの深い愛、そして、クリスチャンとしてどのように社会で生きるべきか、一つ一つ書かれています。まだ聖書をちゃんと読んでいない人は、まず新約聖書から読み始めてみてください。これはまったく個人的な意見なのですが、私はこんな順番で読むと内容が理解しやすいと思います。

1、マタイ/ルカ/ヨハネ (基本的には同じ内容がそれぞれの筆者の視点からかかれています。イエス様の生涯をまず知りましょう。とくに十字架の意味を理解するためには不可欠です。)
2、使徒言行録 (イエス様が復活して、天に戻ったあとの使徒達の伝道の様子がかかれています。)
3、ローマ章(救いの福音がはっきりと示されています。)
4、ペテロ1.2,エフェソ(クリスチャンとしての心構え、生き方など毎日の生活における必要な教えです。)

これと同時並行で、旧約聖書の箴言を毎日一章ずつ読むと、目からうろこがおちます。また、詩編をよんで心励まされてください。さらにやる気をだして、創世記に手をだせば、神様の偉大さがよく理解できますので、是非がんばってみてください。毎日、朝おきてから20分だけ、聖書の時間に当てることを初めてみましょう。驚くくらいたくさん読み進められるものですよ。少しずつ、毎日続ける事が一番大事です!


2009年6月12日

考える事

今日は、新約聖書のフィリピ信徒への手紙から。この書は、パウロが信心深いフィリピの信徒達へかき送った励ましの手紙です。つまり、救われていて、熱心にイエス·キリストの福音のために活動している人達へ宛てたものです。

第4章4節
REJOICE IN THE LORD ALWAYS: AND AGAIN I SAY, REJOICE.
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

4章5−7節
LET YOUR MODERATION BE KNOWN UNTO ALL MEN. THE LORD IS AT HAND. BE CAREFUL FOR NOTHING; BUT IN EVERY THING BY PRAYER AND SUPPLICATION WITH THANKSGIVING LET YOUR REQUESTS BE MADE KNOWN UNTO GOD. AND THE PEACE OF GOD, WHICH PASSETH ALL UNDERSTANDING, SHALL KEEP YOUR HEARTS AND MINDS THROUGH CHRIST JESUS.
あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト·イエスにあって守ってくれます。

イエス様の福音を信じ、救われている私達は、普段どのような人間として他人の目に映っているでしょうか?世の中の常識やストレスに流されて、とげとげしたり、きりきりしたり、嫌な人間になっていませんか?クリスチャンとして、私達が生きるべき姿とは、キリストを模範とした寛容な心と、神様とのつながりをもった祈りのある生活です。

2章3−9節
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト·イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、御自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じ様になられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

もちろん、このような姿勢で生きるためには、毎日、聖書とお祈りを通して神様へ自分の心の内を打ち明け、そして御心を聞く事が欠かせません。

4章8節
FINALLY, BRETHREN, WHATSOEVER THINGS ARE TRUE, WHATSOEVER THINGS ARE HONEST, WHATSOEVER THINGS ARE JUST, WHATSOEVER THINGS ARE PURE, WHATSOEVER THINGS ARE LOVELY, WHATSOEVER THINGS ARE OF GOOD REPORT; IF THERE BE ANY VIRTUE, AND IF THERE BE ANY PRAISE, THINK ON THESE THINGS.
最後に、兄弟達。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判のよいこと、そのほか徳と言われる事、称賛に値する事があるならば、そのようなことに心を留めなさい。

普段、何の気無しに暮らしている時,あなたはどんな事を考えていますか?自分の頭と心を、テレビのドラマの内容とか、職場のストレスで埋めていませんか?聖書に従って、上記のような事を考えていると、神様の平安が本当に心に染み渡ります。まだイエス様の福音の奇跡を信じていない方は、まず自分の魂の永遠の行き先を地獄から天国へと救っていただきましょう。地獄や天国なんて、ありはしないから信じないとお考えの方、もし、地獄や天国が本当のものだったらどうしますか?イエス様の名にすがって救われていないあなたは、確実に地獄への暗闇を毎日一歩ずつ前進しているのです。この世で生きている間に、救いを信じる事に、どのような損があるでしょうか。もう一度考えてみてください。

2009年5月26日

詩編116章

詩編116章

わたしは主を愛する。
主は嘆き祈る声を聞き わたしに耳を傾けてくださる。
生涯、わたしは主を呼ぼう。

死の綱がわたしにからみつき 陰府の脅威にさらされ
苦しみと嘆きを前にして 主の御名をわたしは呼ぶ。
「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」

主は憐れみ深く、正義を行われる。
わたしたちの神は情け深い。
哀れな人を守ってくださる主は 
弱り果てたわたしを救ってくださる。
わたしの魂よ、再び安らうがよい
主はお前に報いてくださる。

あなたは私の魂を死から 
わたしの目を涙から
わたしの足を突き落とそうとする者から助け出してくださった。
命あるものの地にある限り、わたしは主の御前に歩み続けよう。
わたしは信じる
「激しい苦しみに襲われている」というときも
不安がつのり、人は必ず欺く、と思う時も。

主はわたしに報いてくださった。わたしはどのように答えようか。
救いの杯を上げて主の御名を呼び
満願の献げ物を主にささげよう
主の民すべての見守る前で。

主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。
どうか主よ、わたしの縄目を解いて下さい。
わたしはあなたの僕。
わたしはあなたの僕、母もあなたに仕える者。
あなたに感謝のいけにえをささげよう。
主の御名を呼び 主に満願の献げ物をささげよう
主の民すべての見守る前で
主の家の庭で、エルサレムのただ中で。ハレルヤ。

この詩編は、実によく神による個人の魂の「救い」があらわれていると思います。
イエス様による魂の救いは、私達の魂を永遠の死、地獄から救い出してくださいます。そして私達の目の涙を拭い、人間による裏切りなどによって心痛むときも、安らぎを与えて下さるのです。じっくりこの詩編を読んでみて下さい。

2009年5月16日

狭い門

マタイの福音書7:13−14
ENTER YE IN AT THE STRAIT GATE; FOR WIDE IS THE GATE, AND BROAD IS THE WAY, THAT LEADETH TO DESTRUCTION, AND MANY THERE BE WHICH GO IN THEREAT: BECAUSE STRAIT IS THE FATE, AND NARROW IS THE WAY, WHICH LEADETH UNTO LIFE, AND FEW THERE BE THAT FIND IT.
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

神様は、私達に二つの道を示して下さっています。ひとつは、広々としていて真っ直ぐで、多くの人が向かって行く滅びに通じる門。もう一つは、細い道から続く狭い門で、少数の人だけが見つけることができる、命に通じる門です。滅びか、命か、その二つです。

詩編1:6
FOR THE LORD KNOWETH THE WAY OF THE RIGHTEOUS: BUT THE WAY OF THE UNGODLY SHALL PERISH.
神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。

二つの道とはまた、神様に従う人の道と神様に逆らう人の道です。では、神様に従う事、とはどういう事でしょうか?

箴言 21:2
EVERY WAY OF A MAN IS RIGHT IN HIS OWN EYES: BUT THE LORD PONDERETH THE HEARTS.
人間の道は自分の目に正しく見える。主は心の中をはかられる。

世の中には様々な宗教が存在しますが、それらの形式的な儀式を追う事が、神様に喜ばれることでしょうか?それは違います。神様は、私達人間の心の中をご存知です。キリストはマタイの福音書23章でこれらの人々についてはっきりと批判しています。23章全部を読んでみてください。

マタイの福音書 23:25
WOE UNTO YOU, SCRIBES AND PHARISEES, HYPOCRITES! FOR YE MAKE CLEAN THE OUTSIDE OF THE CUP AND OF THE PLATTER, BUT WITHIN THEY ARE FULL OF EXORTION AND EXCESS.
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。

形式ばかりの宗教やカルトは、神様に従う道ではありません。

マタイの福音書22:36、37
THEN ONE OF THEM, WHICH WAS A LAWYER, ASKED HIM A QUESTION, TEMPTING HIM, AND SAYING, MASTER, WHICH IS THE GREAT COMMANDMENT IN THE LAW? JESUS SAID UNTO HIM, THOU SHALT LOVE THE LORD THY GOD WITH ALL THY HEARTM AND WITH ALL THY SOUL, AND WITH ALL THY MIND.
律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい.』

イエスは、神様を心から愛すること、それが最も重要であると言っています。ではどうしたら、神様を愛することができるのでしょうか?それは、救われることです。私達は、救われると内側から清められ、新しく生まれ変わります。

パウロは、コリント信徒への手紙2でこのように述べています。 

5章17節
THEREFORE IF ANY MAN BE IN CHRIST, HE IS A NEW CREATURE: OLD THINGS ARE PASSED AWAY; BEHOLD, ALL THINGS ARE BECOME NEW.
キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

人間の心は、誰しも汚いものです。しかし、それを清らかにしてくれるのが、イエス·キリストの救済の奇跡なのです。罪により神様から離れてしまった私達と神様との中を仲介してくださる方、それが唯一、イエス·キリストです。パウロはこうつづけます。

5章18−20節
AND ALL THINGS ARE OF GOD, WHO HATH RECONCILED US TO HIMSELF BY JESUS CHRIST, AND HATH GIVEN TO US THE MINISTRY OF RECONCILIATION; TO WIT, THAT GOD WAS IN CHRIST, RECONCILING THE WORLD UNTO HIMSELF, NOT IMPUTING THEIR TRESPASSES UNTO THEM; AND HATH COMITTED UNTO US THE WORD OF RECONCILIATION. NOW THEN WE ARE AMBASSADORS FOR CHRIST, AS THOUGH GOD DID BESEECH YOU BY US: WE PRAY YOU IN CHRIST’S STEAD, BE YE RECONCILED TO GOD.
これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問う事なく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。

あなたは、イエス·キリストに神様と和解させていただけるように、もうお願いしましたか?道は二つしかありません。破滅か、命か。永遠の炎に自ら身を投じないでください。私達のこの肉体は、今日死ぬかもわからないのですから!

ヨハネの福音書14章6節
JESUS SAITH UNTO HIM, I AM THE WAY, THE TRUTH, AND THE LIFE: NO MAN COMETH UNTO THE FATHER, BUT BY ME.
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行く事ができない。」