2009年6月12日

考える事

今日は、新約聖書のフィリピ信徒への手紙から。この書は、パウロが信心深いフィリピの信徒達へかき送った励ましの手紙です。つまり、救われていて、熱心にイエス·キリストの福音のために活動している人達へ宛てたものです。

第4章4節
REJOICE IN THE LORD ALWAYS: AND AGAIN I SAY, REJOICE.
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

4章5−7節
LET YOUR MODERATION BE KNOWN UNTO ALL MEN. THE LORD IS AT HAND. BE CAREFUL FOR NOTHING; BUT IN EVERY THING BY PRAYER AND SUPPLICATION WITH THANKSGIVING LET YOUR REQUESTS BE MADE KNOWN UNTO GOD. AND THE PEACE OF GOD, WHICH PASSETH ALL UNDERSTANDING, SHALL KEEP YOUR HEARTS AND MINDS THROUGH CHRIST JESUS.
あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト·イエスにあって守ってくれます。

イエス様の福音を信じ、救われている私達は、普段どのような人間として他人の目に映っているでしょうか?世の中の常識やストレスに流されて、とげとげしたり、きりきりしたり、嫌な人間になっていませんか?クリスチャンとして、私達が生きるべき姿とは、キリストを模範とした寛容な心と、神様とのつながりをもった祈りのある生活です。

2章3−9節
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト·イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、御自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じ様になられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

もちろん、このような姿勢で生きるためには、毎日、聖書とお祈りを通して神様へ自分の心の内を打ち明け、そして御心を聞く事が欠かせません。

4章8節
FINALLY, BRETHREN, WHATSOEVER THINGS ARE TRUE, WHATSOEVER THINGS ARE HONEST, WHATSOEVER THINGS ARE JUST, WHATSOEVER THINGS ARE PURE, WHATSOEVER THINGS ARE LOVELY, WHATSOEVER THINGS ARE OF GOOD REPORT; IF THERE BE ANY VIRTUE, AND IF THERE BE ANY PRAISE, THINK ON THESE THINGS.
最後に、兄弟達。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判のよいこと、そのほか徳と言われる事、称賛に値する事があるならば、そのようなことに心を留めなさい。

普段、何の気無しに暮らしている時,あなたはどんな事を考えていますか?自分の頭と心を、テレビのドラマの内容とか、職場のストレスで埋めていませんか?聖書に従って、上記のような事を考えていると、神様の平安が本当に心に染み渡ります。まだイエス様の福音の奇跡を信じていない方は、まず自分の魂の永遠の行き先を地獄から天国へと救っていただきましょう。地獄や天国なんて、ありはしないから信じないとお考えの方、もし、地獄や天国が本当のものだったらどうしますか?イエス様の名にすがって救われていないあなたは、確実に地獄への暗闇を毎日一歩ずつ前進しているのです。この世で生きている間に、救いを信じる事に、どのような損があるでしょうか。もう一度考えてみてください。