そんなわけで、ばたばたしていたので更新が滞ってしまい失礼しました。また少しずつ書いていきますので、今後もよろしくおねがいします!
2009年7月28日
2009年7月2日
よい読み方
ヨハネの福音書15章1−4節
I AM THE TRUE VINE, AND MY FATHER IS THE HUSBANDMAN. EVERY BRANCH IN ME THAT BEARETH NOT FRUIT HE TAKETH AWAY: AND EVERY BRANCH THAT BEARETH FRUIT, HE PURGETH IT, THAT IT MAY BRING FORTH MORE FRUIT. NOW YE ARE CLEAN THROUGH THE WORD WHICH I HAVE SPOKEN UNTO YOU. ABIDE IN ME, AND I IN YOU. AS THE BRANCH CANNOT BEAR FRUIT OF ITSELF, EXCEPT IT ABIDE IN THE VINE; NO MORE CAN YE, EXCEPT YE ABIDE IN ME.
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたは、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
今月は、ヨハネの15章を旦那様と暗記することにしました。いまのところ3節まで覚えました。ところで、こうやって毎日一節ずつ、少しずつ覚えていくと、じっくり聖句の意味を調べたり、考えたりしながら学ぶ事ができるのでとてもよいです。ヨハネの15章は、イエス様が使徒達にぶどうの木のたとえを用いて教えているところです。J. Vernon McGee による、Thru the bibleという解説書によると、このシーンでは、夜イエス様と使徒たちが月明かりの中、ぶどう畑を歩いていて教えているところが想像される、と書いてあります。具体的にシーンを頭に思い浮かべると、美しい風景です。
ここでいう農夫である父とは、天の神様のこと。まことのぶどうの木とは、イエス様御自身を指します。枝とは、イエス様を信じている私達のことで、細い枝はぶどうの木自体につながっていなければ、実を結ぶ事はできません。イエス様に繋がるには、まずイエス様の言葉を信じ、罪から洗い流され、救われなければなりません。ここには、「わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている」とありますので、この話は救われていて、イエス様につながっている信者たちに向けられているものでしょう。細く弱々しい枝である私達は、たとえ救われても、日々「まことのぶどうの木」であるイエス様につながっていなければ、実を結ぶことはできません。では、どうしたらイエス様につながっていることができるのでしょうか?それは、日々の聖書を読む事と、お祈りをすることです。聖書を読む事は、ないがしろにされがちですが、実は一番大切な事なのです。なぜなら、私達は聖書の教えを通して、学び、イエス様の木に結ばれていることができるからです。私自身、聖書を自分できちんと読む様になってから、キリスト教の本当の教えを理解するようになりました。また、他の宗教との絶対的違いや、神様からの深い愛、そして、クリスチャンとしてどのように社会で生きるべきか、一つ一つ書かれています。まだ聖書をちゃんと読んでいない人は、まず新約聖書から読み始めてみてください。これはまったく個人的な意見なのですが、私はこんな順番で読むと内容が理解しやすいと思います。
1、マタイ/ルカ/ヨハネ (基本的には同じ内容がそれぞれの筆者の視点からかかれています。イエス様の生涯をまず知りましょう。とくに十字架の意味を理解するためには不可欠です。)
2、使徒言行録 (イエス様が復活して、天に戻ったあとの使徒達の伝道の様子がかかれています。)
3、ローマ章(救いの福音がはっきりと示されています。)
4、ペテロ1.2,エフェソ(クリスチャンとしての心構え、生き方など毎日の生活における必要な教えです。)
これと同時並行で、旧約聖書の箴言を毎日一章ずつ読むと、目からうろこがおちます。また、詩編をよんで心励まされてください。さらにやる気をだして、創世記に手をだせば、神様の偉大さがよく理解できますので、是非がんばってみてください。毎日、朝おきてから20分だけ、聖書の時間に当てることを初めてみましょう。驚くくらいたくさん読み進められるものですよ。少しずつ、毎日続ける事が一番大事です!
I AM THE TRUE VINE, AND MY FATHER IS THE HUSBANDMAN. EVERY BRANCH IN ME THAT BEARETH NOT FRUIT HE TAKETH AWAY: AND EVERY BRANCH THAT BEARETH FRUIT, HE PURGETH IT, THAT IT MAY BRING FORTH MORE FRUIT. NOW YE ARE CLEAN THROUGH THE WORD WHICH I HAVE SPOKEN UNTO YOU. ABIDE IN ME, AND I IN YOU. AS THE BRANCH CANNOT BEAR FRUIT OF ITSELF, EXCEPT IT ABIDE IN THE VINE; NO MORE CAN YE, EXCEPT YE ABIDE IN ME.
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたは、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
今月は、ヨハネの15章を旦那様と暗記することにしました。いまのところ3節まで覚えました。ところで、こうやって毎日一節ずつ、少しずつ覚えていくと、じっくり聖句の意味を調べたり、考えたりしながら学ぶ事ができるのでとてもよいです。ヨハネの15章は、イエス様が使徒達にぶどうの木のたとえを用いて教えているところです。J. Vernon McGee による、Thru the bibleという解説書によると、このシーンでは、夜イエス様と使徒たちが月明かりの中、ぶどう畑を歩いていて教えているところが想像される、と書いてあります。具体的にシーンを頭に思い浮かべると、美しい風景です。
ここでいう農夫である父とは、天の神様のこと。まことのぶどうの木とは、イエス様御自身を指します。枝とは、イエス様を信じている私達のことで、細い枝はぶどうの木自体につながっていなければ、実を結ぶ事はできません。イエス様に繋がるには、まずイエス様の言葉を信じ、罪から洗い流され、救われなければなりません。ここには、「わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている」とありますので、この話は救われていて、イエス様につながっている信者たちに向けられているものでしょう。細く弱々しい枝である私達は、たとえ救われても、日々「まことのぶどうの木」であるイエス様につながっていなければ、実を結ぶことはできません。では、どうしたらイエス様につながっていることができるのでしょうか?それは、日々の聖書を読む事と、お祈りをすることです。聖書を読む事は、ないがしろにされがちですが、実は一番大切な事なのです。なぜなら、私達は聖書の教えを通して、学び、イエス様の木に結ばれていることができるからです。私自身、聖書を自分できちんと読む様になってから、キリスト教の本当の教えを理解するようになりました。また、他の宗教との絶対的違いや、神様からの深い愛、そして、クリスチャンとしてどのように社会で生きるべきか、一つ一つ書かれています。まだ聖書をちゃんと読んでいない人は、まず新約聖書から読み始めてみてください。これはまったく個人的な意見なのですが、私はこんな順番で読むと内容が理解しやすいと思います。
1、マタイ/ルカ/ヨハネ (基本的には同じ内容がそれぞれの筆者の視点からかかれています。イエス様の生涯をまず知りましょう。とくに十字架の意味を理解するためには不可欠です。)
2、使徒言行録 (イエス様が復活して、天に戻ったあとの使徒達の伝道の様子がかかれています。)
3、ローマ章(救いの福音がはっきりと示されています。)
4、ペテロ1.2,エフェソ(クリスチャンとしての心構え、生き方など毎日の生活における必要な教えです。)
これと同時並行で、旧約聖書の箴言を毎日一章ずつ読むと、目からうろこがおちます。また、詩編をよんで心励まされてください。さらにやる気をだして、創世記に手をだせば、神様の偉大さがよく理解できますので、是非がんばってみてください。毎日、朝おきてから20分だけ、聖書の時間に当てることを初めてみましょう。驚くくらいたくさん読み進められるものですよ。少しずつ、毎日続ける事が一番大事です!
登録:
コメント (Atom)
