2009年4月28日

目からうろこ

聖書を読んでいると、よく使うことわざの語源を発見することが多いです。今回は「目からうろこ」について。

使徒言行録9:17、18
AND ANANIAS WENT HIS WAY, AND ENTERED INTO THE HOUSE; AND PUTTING HIS HANDS ON HIM SAID, BROTHER SAUL, THE LORD, EVEN JESUS, THAT APPEARED UNTO THEE IN THE WAY AS THOU CAMEST, HATH SENT ME, THAT THOU MIGHEST RECEIVE THY SIGHT, AND BE FILLED WITH THE HOLY GHOST. AND IMMEDIATELY THERE FELL FROM HIS EYES AS IT HAD BEEN SCALES: AND HE RECEIVED SIGHT FORTHWITH, AND AROUSE, AND WAS BAPTISED.
そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへくる途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元通り目が見える様になり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元通り見える様になった。そこで身を起こして洗礼を受けた。

サウロとは、新約聖書のコリント信徒への手紙、ガラテヤ信徒への手紙、エフェソ信徒への手紙などを書いたパウロの事です。聖書がお手元にある方は、使徒言行録の9章を読んでみてください。サウロはユダヤ教徒としてイエスの弟子達を迫害していました。(使徒言行録8章3節:一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。)そして、さらに迫害をしようと旅をしていた時、イエス様御自身がサウロに語りかけます。

9章3節−8節
サウロが旅をしてダマスコに近づいた時、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人達は、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。

こうして、サウロはイエス様御自身により目をみえなくされます。そして言われた通り、同行の者たちに手をひかれてダマスコの町に入りました。ダマスコには、イエスの弟子のアナニアがいました。イエス様は彼にサウロの元に行く様に命じます。アナニアは、サウロがキリスト者達を迫害する者だと知っていたので尻込みしますが、イエス様の命じられたとおり、彼のもとに向かい、冒頭の聖句のように、サウロの上に手を置きました。サウロは、その瞬間、目からうろこのようなものが落ち、視力が戻り、イエス様の力が真実であると知り、回心し、キリスト者となりました。

このサウロの回心の話は、聖書の中で好きな話のうちの一つです。彼は、目からうろこのようなものが落ちて、目が見える様になったのです。ですから、目からうろこ、とは、視野が開け物事の実態が理解できるようになることを意味するわけです。また、自分の誤りを悟り、迷いから目覚めるという意味もあります。まさに、サウロは自分の誤りをイエス様御自身によって悟らされ、そしてパウロとして、多くの異邦人たちに告げ知らせるため活躍し、新約聖書にある多くの手紙を書いたのでした。一般的に日本に普及しているこういうことわざも、出典が聖書だということを聖書を読んでいて気がつき、福音の力ってすごい!と思いました。またいろいろご紹介します!

2009年4月22日

小さな事

先週風邪をひいていたので、更新が久しぶりになってしまいました。子育てしながら風邪ひいてるのってつらいですね。旦那の実家に住んでいるので、おじいちゃん、おばあちゃんが息子の面倒を見てくれるので助かりましたが、いやはや、健康第一。

詩編111章
PRAISE YE THE LORD, I WILL PRAISE THE LORD WITH MY WHOLE HEART, IN THE ASSEMBLY OF THE UPRIGHT, AND IN THE CONGREGATION.THE WORKS OF THE LORD ARE GREAT, SOUGHT OUT OF ALL THEM THAT HAVE PLEASURE THEREIN. HIS WORK IS HONOURABLE AND GLORIOUS: AND HIS RIGHTEOUSNESS ENDURETH FOR EVER.
ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝をささげる。正しい人々の集い、会衆の中で。主の御業は大きく、それを愛する人は皆、それを尋ね求める。主の成し遂げられることは栄え輝き、恵みの御業は永遠に続く。

HE HATH MADE HIS WONDERFUL WORKS TO BE REMEMBERD: THE LORD IS GRACIOUS AND FULL OF COMPASSION. HE HATH GIVEN MEAT UNTO THEM THAT FEAR HIM: HE WILL EVER BE MINDFUL OF HIS COVENANT. HE HATH SHEWED HIS PEOPLE THE POWER OF HIS WORKS, THAT HE MAY GIVE THEM THE HERITAGE OF THE HEATHEN.
主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み、主を畏れる人に糧を与え、契約をとこしえに御心に留め、御業の力をご自分の民に示し、諸国の嗣業をご自分の民にお与えになる。

THE WORKS OF HIS HANDS ARE VERITY AND JUDGMENT; ALL HIS COMMANDMENTS ARE SURE. THEY STAND FAST FOR EVER AND EVER, AND ARE DONE IN TRUTH AND UPRIGHTNESS. HE SENT REDEMPTION UNTO HIS PEOPLE: HE HATH COMMANDED HIS COVENANT FOR EVER: HOLY AND REVEREND IS HIS NAME.
御手の業はまことの裁き、主の命令はすべて真実。世々限りなく堅固に、まことをもって、まっすぐに行われる。主はご自分の民にあがないを送り、契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。

THE FEAR OF THE LORD IS THE BEGINNING OF WISDOM: A GOOD UNDERSTANDING HAVE ALL THEY THAT DO HIS COMMANDMENTS: HIS PRAISE ENDURETH FOR EVER.

主を畏れる事は知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。

この詩編、流し読みしてしまうと、ふーん、っていう感じですが、一文ずつゆっくり読んでみて下さい。世の中にはいろいろな奇病とかがあって、普通に、五体満足で暮らしていることだけでも、神様からいただいている奇跡なんだな、とつくづく思います。近頃、本当に麻薬やアルコールで身を滅ぼしている人々が多くて、健康な体を神様からいただいているのに、その贈り物をなんて無駄にしているんだろう、と悲しくなります。また、鬱病とかヒステリーとかストレスに自分の身をコントロールされてしまうのも危険ですよね。だけどそういうヒステリーとかって、神様への感謝が足りないから起きるんだろうと思います。世の中はいろいろな生き方があるので、自分の境遇を嘆こうと思えば、どんな暮らしをしていたってマイナス思考になれるのです。あなたは、自分の生活を、今日洋服を着て、食卓には食事があり、健康な体があるという神様への感謝に溢れて過ごしていますか?それとも、それらの恵みを無視して、何か足りないものへの文句ばかりに溢れて過ごしていますか?自分の周りを見回してみて下さい。どれだけ、神様に感謝することがあるでしょうか!

2009年4月10日

イースター

マタイの福音書28章5、6節
AND THE ANGEL ANSWERED AND SAID UNTO THE WOMEN, FEAR NOT YE: FOR I KNOW THAT YE SEEK JESUS, WHICH WAS CRUCIFIED. HE IS NOT HERE: FOR HE IS RISEN, AS HE SAID.
天使は婦人達に言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」

イースターは、イエス·キリストが十字架にかかって死んだあと、三日後によみがえった復活を祝う日です。上の聖句では、イエス様は死ぬ前から、自分は死んだら三日後によみがえることを言っていた、とかかれています。その箇所をみてみましょう。

ルカの福音書9章21−22節
AND HE STRAITLY CHARGED THEM, AND COMMANDED THEM TO TELL NO MAN THAT THING; SAYING, THE SON OF MAN MUST SUFFER MANY THINGS, AND BE REJECTED OF THE ELDERS AND CHIEF PRIESTS AND SCRIBES, AND BE SLAIN, AND BE RAISED THE THIRD DAY.
イエスは弟子達を戒め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」

神様の御言葉には、嘘や間違いはありません。イエス様は死ぬ前から、神様のご計画をご存知でしたので、弟子達に三日目に復活することを前もって伝えていました。もちろん、人間である弟子達は、当時はとても信じられなかったのですが、イエス様が埋葬されたお墓に三日目にマリアたちが行ってみると、その御言葉どおり、復活されてすでにお墓にはいませんでした。

神様が、聖書を通して人間に伝えている預言や御言葉はすべて真実であり、確かに起こる事です。今、たくさんの人が神様の存在を信じなかったり、惑わす偶像たちを信仰したり、カルトに傾倒したりしています。それは、皆が神様の約束を信じず、神様への信仰が消失していることから起きていると思います。聖書は、神様が人間達に向けて、人間を用いて綴ってくださった真実のメッセージです。聖書にある通り、イエス様は罪の一点もない、神聖な小羊として、全人類の罪を担って精神的、肉体的に父なる神様から引き離され、死を体験されました。そして、復活することにより、死を支配し、私達人間が自分たちの罪を認め、イエス様の名にすがる時、救いの手を差し伸べてくださるのです。

使徒言行録16章30、31節
SIRS, WHAT MUST I DO TO BE SAVED? AND THEY SAID, BELIEVE ON THE LORD JESUS CHRIST, AND THOU SHALT BE SAVED, AND THY HOUSE.
「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」

この言葉は、イエス様が天にお戻りになった後、使徒であるパウロとシラスが宣教している際にフィリピで投獄された時、看守たちにどうしたら救われることができるのか、と質問され答えている所です。イエス様を信じる事が、救いへの唯一の道です。それは、御言葉にこうあるからです。

ヨハネの福音書 14章6節
JESUS SAITH UNTO HIM, I AM THE WAY, THE TRUTH, AND THE LIFE: NO MAN COMETH UNTO THE FATEHR, BUT BY ME.
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行く事ができない。」

ここで、イエス様ははっきりと、父なる神様の元へは、イエス様を通してのみ、行く事ができると言っています。世の中の偶像崇拝では、自分たちがトランスすれば神様と交信ができるとか、どれだけ献金すれば、どれだけ善い行いをすれば、自分を捨て去って無になれば、、、、とか、神様になんとか近づこうとするいろいろな方法を教えます。けれど、それらは決して、必ず神様のもとへいかれるという約束はしていないのです。そんなばかな!と思う方は、自分が信じている方法論、または無神論をもっと研究してみてください。すぐに、そこには神様のもとへたどり着けるという確実の約束はされていないことがわかるはずです。けれど、イエス様は違います。はっきりと、私達が自分達の罪を認め、イエス様の十字架の上での死、そして復活により死を支配した奇跡を信じ、イエス様が十字架の上で流されたその血によって罪を洗い流していただけば、この肉体の朽ちる時、魂は神様の身元、天国へと救われる事ができると書かれています。

使徒言行録 4章12節
NEITHER IS THERE SALVATION IN ANY OTHER: FOR THERE IS NONE OTHER NAME UNDER HEAVEN GIVEN AMONG MEN, WHEREBY WE MUST BE SAVED.
ほかの誰によっても救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。

ヨハネの福音書 5章24節
VERILY, VERILY, I SAY UNTO YOU, HE THAT HEARETH MY WORD, AND BELIEVETH ON HIM THAT SENT ME, HATH EVERLASTING LIFE, AND SHALL NOT COME INTO CONDEMNATION; BUT IS PASSED FROM DEATH UNTO LIFE.
わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。

イエス様はまた、再び地上に戻ってこられると言っています。あなたは、その時、救われていてイエス様の再来を心待ちにしていますか、それとも、永遠に続く炎に飛び込みますか。。。?

ヨハネの黙示録 22章12−13節
AND BEHOLD, I COME QUICKLY; AND MY REWARD IS WITH ME, TI GIVE EVERY MAN ACCORDING AS HIS WORK SHALL BE. I AM ALPHA AND OMEGA, THE BEGINNING AND THE END, THE FIRST AND THE LAST.
見よ、わたし(イエス)はすぐ来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。

2009年4月3日

行き先

今日Mixiを見ていたら、「ゴルフ場で突然できた穴に転落死」っていう記事があって、ものすごい考えさせられました。きっと日本じゃニュースになっているから皆知っていると思うけれど、家族四人で仲良くゴルフしていたら、突然ゴルフ場にできた深さ5mもの穴に奥さんが転落してお亡くなりになった、っていう話。春の気持ちいい日に家族で仲良く過ごしていた時に、本当に予想外の悲劇ですよね。まだお若いし、お子様も小さいのに、本当にこれからご家族もショックから立ち直るのが大変だと思います。いろいろな心の支えや恵みがあるようにお祈りします。

でも、この記事を読んで、死っていうのは、本当に誰も予想しなかった時にやってくるものだと、つくづく思いました。私達は日々生きていて、普通に健康だと、自分の死や家族の死について考えることってほとんどないと思います。しかし、こういうニュースを見ると、いまこうして呼吸をして元気にしていることだけでも、ものすごい神様からの恵みなんだなぁと感じます。私達人間は、誰しもがいつでも死と隣り合わせに生きているからです。

私は、このような不意の事故で亡くなった方達は、一体何人の人が「死ぬ準備」や「死ぬ心構え」ができていただろうか、と思います。きっとほとんどそんな人はいないでしょう。少数の救われていた人達以外は、気がついたら奈落の底で、暗闇と痛みにもがいている自分を発見することになる、そういうことです。

今日、あなたは死んでからの自分の行き先がわかっていますか?イエス様の福音は、今も昔も真実です。万が一、この身に何かがあって、この世を大切な人達誰にも会えずに去ることがあったとしても、「天国で会おうね」と言えるように、しておきたくはありませんか?

ヨハネ14:6
JESUS SAITH UNTO HIM,I AM THE WAY, THE TRUTH, AND THE LIFE; NO MAN COMETH UNTO THE FATHER, BUT BY ME.
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行く事ができない。」

天国への道は、たった一つです。十字架にかかり、人類の罪を洗い流してくださったイエス様に、今日より頼んでください。イエス様は、まったく罪をもたずこの世に人間として存在なさった神様御自身です。そのイエス様が、人間達によって十字架にかけられ死に、三日後に預言通りに生き返り、死を支配しました。父なる神様のもとへ、この肉体の死後私達が行かれる様に、その唯一の道であるイエス様の救いの奇跡を、今日信じましょう。自分の持つ罪を反省し、洗い流していただき、天国への道へと続く、神様の道を是非選んで下さい。

ローマ章6:23
FOR THE WAGES OF SIN IS DEATH; BUT THE GIFT OF GOD IS ETERNAL LIFE THROUGH JESUS CHRIST OUR LORD.
罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト·イエスによる永遠の命なのです。

エレミヤ書17:7
BLESSED IS THE MAN THAT TRUSTETH IN THE LORD, AND WHOSE HOPE THE LORD IS.
祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。

まだ救われていない人は、どうぞイエス様にお祈りしてみて下さい。いままでの自分の犯した過ちを反省し、赦していただき、肉体の死後に天へと帰る事ができるように、イエス様の御名を通して神様を呼べば、その声は必ず、聞き届けられます。

さて、もうすぐイースターです。イースターは、イエス様の復活をお祝いする日です。次回はイースターのお話をしましょう。