2009年3月31日
「もう少しで」では意味がない
「あと少しで確信できそうだ、という者は、あと少しで救われる事ができそうな人のことである、しかしあと少しで救われる事ができそうだ、ということは、まったく救われていない、ということである。」
イエス·キリストの福音は、「何となくわかる気がする。」や、「賛成はするけれど、、、」「もう少しで納得いきそう」というような曖昧な立場では、その救いを受けることはできません。それは、信じると決めるか、信じないと決めるか、白黒はっきりとしたものなのです。上の言葉は、1800年代のBrundage牧師の言葉です。テストでもそうですが、70点以上が合格のテストで、69点を取った場合、「あと少しで合格できそうだった」ということはつまり、「落第だった」ということです。救われる、というのは、それと同じ様にはっきりとしたことです。しかし、テストと違い、努力したけれどだめだった、ということは無いのです。なぜなら、それは私達がこの世で善い事をできるだけしたら合格、などというものではなく、自分が信じると心を決め、今までの自分の罪をイエス·キリストを通して赦していただき、神様と共に歩むことを決め、救いを求めれば誰でも救われるからです。(ローマ章10章9−10節:なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。13節:「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。)
Almost persuaded
By Philp, P Bliss
“ Almost persuaded” now to believe;
“Almost persuaded” Christ to receive;
Seems now some soul to say,
“ Go, Spirit, go Thy way, Some more convenient day On…Thee I”ll call.”
“ Almost persuaded,” come, come today;
“ Almost persuaded” turn not away;
Jesus invites you here, Angels are ling’ring near
Prayers rise from hearts so dear, O…wand’rer, come
“ Almost Persuaded” harvest is past!
“Almost persuaded” doom comes at last!
“Almost” cannot avail ”Almost” is but to fail!
Sad, sad, that bitter wail, “ Almost” but lost.
「もう少しで確信できそうだ」今が信じる時である
「もう少しで確信できそうだ」イエス·キリストを受け入れるのは
どうやらある魂はこう言っている
「聖霊よ、あっちへ行ってくれ。また都合のいい時に、あなたを呼び求めよう」
「もう少しで確信できそうだ」さあ、今日おいでなさい
「もう少しで確信できそうだ」背を向けないで
イエスがあなたを招き、天使達が周りに飛び交っている
心からの祈りが天に向かう 迷い子達よ、おいでなさい
「もう少しで確信できそうだ」収穫の時は過ぎた!
「もう少しで確信できそうだ」終わりの時がとうとうやってくる!
「もう少しで」は意味がない。「もう少しで」はすなわち失敗だ!
悲しい、悲しい、痛恨の嘆きが聞こえる 「もう少しで」しかし救われなかった者達よ。
この聖歌は、そんな「もう少しで」信じることを拒んだ者達は、終わりの時がやってきた時、悲しい悲痛の叫びをあげることになる、と歌っています。今日、イエス·キリストの招きを受け入れて下さい。あなたを止めているものはなんですか?人間たちが創り出した神々は,あなたを天国へ導いてはくれません。たとえこの世が幻で、すべて夢であったとしても、今天国への道を確信し、あなたの永遠の行く先を決めておく事に何の間違いがあるでしょうか。あなたをとどめているのは、悪魔です。あなたを永遠の暗闇、痛みと熱に燃え盛る炎で苦しむ姿を喜ぶのは、悪魔以外に誰がいるでしょう。選択は、あなたの手中にあります。イエス·キリストの偉業を信じ、罪を洗い流してもらい、天国で多くの勝利者達と集いましょう。けっして、「あと少し」のところで、永遠の暗闇に落ちないで下さい。
2009年3月25日
心の中心
箴言23:4
LABOUR NOT TO BE RICH: CEASE FROM THINE OWN WISDOM.WILT THOU SET THINE EYES UPON THAT WHICH IS NOT? FOR RICHES CERTAINLY MAKE THEMSELVES WINGS; THEY FLY AWAY AS AN EAGLE TOWARD HEAVEN.
富を得ようとして労するな。分別をもって、やめておくがよい。目をそらすや否や、富は消え去る。鷲のように翼を生やして、天に飛び去る。
箴言 13:7
THERE IS THAT MAKETH HIMSELF RICH, YET HATH NOTHING:THERE IS THAT MAKETH HIMSELF POOR, YET HATH GREAT RICHES.
富んでいると見せて、無一物の者がいる。貧乏と見せて、大きな財産を持つものがある。
箴言 28:22
HE THAT HASTETH TO BE RICH HATH AN EVIL EYE, AND CONSIDERETH NOT THAT POVERTY SHALL COME UPON HIM.
貪欲な者は財産を得ようと焦る。やってくるのが欠乏だとは知らない。
お金は、手に取ると消えてしまう泡のような存在です。毎日変わるエコノミーも、安定せず、そこには何の確実性もありません。また、お金を手に入れようとして起こる犯罪も絶えません。あなたの心の中心には何がありますか?
エレミヤ書 9:23,24
THUS SAITH THE LORD, LET NOT THE WISE MAN GLORY IN HIS WISDOM, NEUTHERE LET THE MIGHTY MAN GLORY IN HIS MIGHT, LET NOT THE RICH MAN GLORY IN HIS RICHES: BUT LET HIM THAT GLORIETH GLORY IN THIS, THAT HE UNDERSTANDETH AND KNOWETH ME, THAT I AM THE LORD WHICH EXERCISE LOVINGKINDNESS, JUDGMENT, AND RIGHTEONSNESS, IN THE EARTH: FOR IN THESE THINGS I DELIGHT, SAITH THE LORD.
主はこう言われる。知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい 目覚めてわたしを知る事を。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事 その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。
第一テモテ6:7-10
FOR WE BROUGHT NOTHING INTO THIS WORLD, AND IT IS CERTAIN WE CAN CARRY NOTHING OUT. AND HAVING FOOD AND RAIMENT LET US BE THEREWITH CONTENT. BUT THEY THAT WILL BE RICH FALL INTO TEMPTATION AND A SNARE, AND INTO MANY FOOLISH AND HURTFUL LUSTS, WHICH DROWN MEN IN DESTRUCTION AND PERDITION. FOR THE LOVE OF MONEY IS THE ROOT OF ALL EVIL: WHICH WHILE SOME COVETED AFTER, THEY HAVE ERRED FROM THE FAITH, AND PIERCED THEMSELVES THROUGH WITH MANY SORROWS.
なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去る時は何も持って行くことができないからです。食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、全ての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。
聖書の言葉は、この世で誇る富は、一瞬にして消えてしまうもの、そして金銭の欲は全ての悪の根だと、言っています。神様は、イエス様を信じ、救いを求めた人達には、そのひとつひとつの願いを聞き、人生の荒波を乗り越えて行く手助けをして下さいます。あなたは神様にその声が聞き届けられるように、イエス様にお願いしましたか?心の中心に、いつもイエス様がいてくださり、一歩一歩を導いてくださるように、毎日お願いしたいですね。
2009年3月22日
知恵のはじめ
THE FEAR OF THE LORD IS THE BEGINNING OF THE WISDOM: A GOOD UNDERSTANDING HAVE ALL THEY THAT DO HIS COMMANDMENTS
主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。
主を畏れること、ってどういうことでしょうか?上記の英語の方を見てみて下さい。日本語訳では「これ」と代名詞化されている語は「COMMANDMENTS」です。つまり、神様を畏れ、その戒めを守り行う人は、優れた思慮を得る、ということです。聖書を通して、神様は様々な教えや戒めを私達人間に与えて下さっています。箴言は、ソロモン王が記した教えの書で、特にわかりやすいものです。また、これらの戒めは、旧約聖書の時代にモーセに託された十戒だけでなく、新約聖書にあるイエス·キリストの教え、また、使徒達を通して綴られた神様からの御言葉に生き生きと伝えられています。
毎日聖書を少しでも読む事の大切さは、その読んだ少しの部分から、毎日ほんの少しずつ神様の戒めを学び、そして思慮を得て人間として成長することにあるのです。偉大な思想家達の本を読むのは結構な事ですが、人間の思想と神様の戒めは比べ物になりません。私達人間は、神様の手によって創られた創造物だからです。
第一コリント1:25
BECAUSE THE FOOLISHNESS OF GOD IS WISER THAN MEN; AND THE WEAKNESS OF GOD IS STRONGER THAN MEN.
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
第一コリント3:18−21
IF ANY MAN AMONG YOU SEEMETH TO BE WISE IN THIS WORLD, LET HIM BECOME A FOOL, THAT HE MAY BE WISE.
FOR THE WISDOM OF THIS WORLD IS FOOLISHNESS WITH GOD. FOR IT IS WRITTEN, HE TAKETH THE WISE IN THEIR OWN CRAFTINESS.
AND AGAIN, THE LORD KNOWETH THE THOUGHTS OF THE WISE, THAT THEY ARE VAIN. THEREFORE LET NO MAN GLORY IN MEN.
もしあなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。「神は、知恵のある者たちをその悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、また、「主は知っておられる、知恵のある者たちの議論がむなしいことを」とも書いてあります。ですから、だれも人間を誇ってはなりません。
神様は、聖書を通して私達にイエス·キリストの救いの大切さ、神様からの恵みである事を繰り返し教えてくれています。しかし、私達人間は、その神様からの教えを無視して、自分たちの知識の方が勝っていると思いがちです。神様は、私達人間一人一人の髪の毛の本数までご存知な、全知全能の神です。まだ、イエス·キリストの救いの奇跡を受け入れていない人は、自分の知識と神様の知識と、どちらを信用するべきか、考えてみて下さいね!
第一コリント1:18−19
FOR THE PREACHING OF THE CROSS IS TO THEM THAT PERISH FOOLISHNESS; BUT UNTO US WHICH ARE SAVED IT IS THE POWER OF GOD. FOR IT IS WRITTEN, I WILL DESTROY THE WISDOM OF THE WISE, AND WILL BRING TO NOTHING THE UNDERSTANDING OF THE PRUDENT.
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」
2009年3月19日
困ったときの。。。
THE NAME OF THE LORD IS A STRONG TOWER: THE RIGHETOUS RUNNETH INTO IT, AND IS SAFE.
主の御名は堅固な塔。正しい者はその中に走って行って安全である。
自分の身に危機が迫っている時、あなたは何により頼みますか?上にあげた箴言は、「困った時の神頼み」でもないですが、主であるイエス·キリストの元に走って行くことを示しています。ではなぜ主により頼むと安全なのでしょうか?
詩編19:7ー9
THE LAW OF THE LORD IS PERFECT, CONVERTING THE SOUL: THE TESTIMONY OF THE LORD IS SURE, MAKING WISE THE SIMPLE.
主の律法は完全で、魂を生き返らせ、主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
THE STATUTES OF THE LORD ARE RIGHT, REJOICING THE HEART:THE COMMANDMENT OF THE LORD IS PURE, ENLIGHTENING THE EYES.
主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清らかで、目に光を与える。
THE FEAR OF THE LORD IS CLEAN, ENDURING FOR EVER: THE JUDGMENTS OF THE LORD ARE TRUE AND RIGHETOUS ALTOGETHER.
主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。
神様のお定めになる律法には何一つ不公平な事も、間違いもありません。そしてそれは罪に親しんでいた魂を清め、正しさに導くことにより、魂を生き返らせてくれます。神様の御心は私達の心に日々喜びを与え、その清い教えは暗闇を歩いていた私達に光を与えてくれます。
19:13−14
KEEP BACK THY SERVANT ALSO FROM PRESUMPTUOUS SINS; LET THEM NOT HAVE DOMINION OVER ME: THEN SHALL I BE UPRIGHT, AND I SHALL BE INNOCENT FROM THE GREAT TRANSGRESSION.
あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、重い背きの罪から清められ、わたしは完全になるでしょう。
LET THE WORDS OF MY MOUTH, AND THE MEDITATION OF MY HEART, BE ACCEPTABLE IN THY SIGHT, O LORD, MY STRENGTH, AND MY REDEEMER.
私の口の言葉と、私の心の思いとが、御前に受け入れられますように。我が岩、わがあがない主、主よ。
今日、あなたの心は世の中の罪に染まって暗闇の中にいますか?それとも、自分の罪深さを認め、イエス様の名により頼んで、その安全な塔の中に逃げ込み、魂を生き返らせていただくようにお願いしますか?選択は、私達一人一人がしなければいけません。イエス様は、あなたが心から罪を認め、清らかさと正しさを求めるなら、その限りない愛であなたを救ってくださるのですよ。
2009年3月17日
永遠の約束
詩編16章7節
I WILL BLESS THE LORD, WHO HATH GIVEN ME COUNSEL: MY REINS ALSO INSTRUCT ME IN THE NIGHT SEASONS.
わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし、わたしの心を夜ごと諭してくださいます。
8節
I HAVE SET THE LORD ALWAYS BEFORE ME: BECAUSE HE IS AT MY RIGHT HAND, I SHALL NOT BE MOVED.
わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし、わたしは揺らぐ事がありません。
9節
THEREFORE MY HEART IS GLAD, AND MY GLORY REJOICETH: MY FLESH ALSO SHALL REST IN HOPE.
わたしの心は喜び、魂は踊ります。からだは安心して憩います。
10、11節
FOR THOU WILT NOT LEAVE MY SOUL IN HELL; NEITHER WILT THOU SUFFER THINE HOLY ONE TO SEE CORRUPTION.THOU WILT SHEW ME THE PATH OF LIFE: IN THY PRESENCE IS FULNESS OF JOY; AT THY RIGHT HAND THERE ARE PLEASURES FOR EVERMORE.
あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず、命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びをいただきます。
詩編の言葉は、本当に美しいなあ、といつも思います。ここには、神様への感謝や、救いの喜びがとても生き生きと綴られています。神様の慈しみの元で生きていると、神様は確かに命の道を示して下さいます。それは、第一にイエス様による永遠の魂の救いであり、私達の魂は陰府(地獄)に渡されることはありません。次に、イエス様を通して神様にお祈りをする事で、神様の意志に添う祈り、つまり自分勝手な欲や罪に傾いた事でない希望は、神様の時間割に添って必ず成し遂げられます。心の不安や、焦燥をどうやって解決しようとしていますか?人間の手による占いやまじないは、あなたを助けてくれる事はありません。それらはすべて朽ちてゆくまやかしに過ぎないからです。
イザヤ書40章7、8節
THE GRASS WITHERETH, THE FLOWER FADETH; BECAUSE THE SPIRIT OF THE LORD BLOWETH UPN IT: SURELY THE PEOPLE IS GRASS.THE GRASS WITHERETH, THE FLOWER FADETH: BUT THE WORD OF OUR GOD SHALL STAND FOR EVER.
主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。だが、私達の神の言葉は永遠に立つ。
世の中や人間の心は常に移り変わりますが、神様と神様の御言葉は永遠に変わる事がありません。果てしなく移り行く世間の常識や流行を、空を掴む様に追うのではなく、神様の変わらない豊かさに心を休めてみませんか?それは、あなたが予想もしなかった程に、平安と確かさに満ちたものです。生活の困難や選択に追い迫られる時、イエス様の名によって、神様に通信をとってみましょう。きっと答えが見つかるはずです。
2009年3月15日
短気は損気
箴言14章17節
HE THAT IS SOON ANGRY DEALETH FOOLISHLY
短気な者は愚かなことをする。
箴言14章29節
HE THAT IS SLOW TO WRATH IS OF GREAT UNDERSTANDING: BUT HE THAT IS HASTY OF SPIRIT EXALTETH FOLLY.
怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。
聖書の言葉は難しい、と思っている方が多いですが、聖書って割合シンプルに直球勝負的な箇所も多いですよね。「短気は損気」って昔からよく言いましたが、今朝箴言を読んでいて聖句にあったのでご紹介。
近頃の若者は短気になっているとか、落ち着きがなくなっている、なんていう調査をよく耳にしますが、今時のメディアを赤ん坊の頃から見続けていたらそうなるよね、というのはあまり深く考えなくてもわかります。コンピューターグラフィックがどんどん進化しているので、事物のスピードも速くなっているし、見ているだけで頭がくらくらしてくるような映像ばかりです。ついでに、子供用アニメの内容も殺人とか犯罪とかをジョークにしたようなのが流行ったり、、、夢も希望もないですよね。人間同士のコミュニケーションよりも、テレビやパソコンのゲームや映画、音楽と過ごす時間が多いと、人間が歪んでくるのは当然でしょう。子供ってセンシティブな生き物だから、いろんな所から影響をどんどん吸収してしまう。小さなお子さんやティーンエイジのいる家庭では、特にメディアの影響には注意したいですね。
第一ヨハネ2章15、16節
LOVE NOT THE WORLD, NEITHER THE THINGS THAT ARE IN THE WORLD. IF ANY MAN LOVE THE WORLD, THE LOVE OF THE FATHER IS NO IN HIM. FOR ALL THAT IS IN THE WORLD, THE LUST OF THE FLESH, AND TE LUST OF THE EYES, AND THE PRIDE OF LIFE, IS NOT OF THE FATHER, BUT IS OF THE WORLD.
世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父(神)を愛する愛はありません。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、生活のおごり(プライド)は、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。
17節
AND THE WORLD PASSETH AWAY AND THE LUST THEREOF: BUT HE THAT DOETH THE WILL OF GOD ABIDETH FOR EVER.
世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。
特にクリスチャンの皆さん、あなたの家庭では、神様が第一ですか?それとも、この世や偶像が第一ですか?一度考えてみて下さいね!
詩編44章20、21節
IF WE HAVE FORGOTTEN THE NAME OF OUR GOD, OR STRETCHED OUT OUR HANDS TO A STRANGE GOD; SHALL NOT GOD SEARCH THIS OUT? FOR HE KNOWETH THE SECRETS OF THE HEART.
もし私達が私達の神の名を忘れ、ほかの神に私達の手を差し伸ばしたなら、神はこれを探り出されないでしょうか。神は心の秘密を知っておられるからです。
2009年3月6日
常識
もう三月!春の訪れもすぐそこですね。日本では春休みが近づいて来た頃でしょうか。さて先日、こんな本を買いました。今行っているゲツセマネ教会の図書館にあって、興味深いと思いアマゾンで注文しました。これからティーンエイジになるお子さんがいる方は、ぜひご購入をお勧めします。古い本なのですが。"Teenager, Someone Does Care!"by Pastor Fletcher A Brothers, Sword of the Lord publications 1984
この本は、麻薬、飲酒、婚前交渉、中絶、悪い音楽、ポルノ、同性愛など様々な問題について、神様はなんと言っているのか聖書から御言葉を照らし合わせてみせてくれます。モラルの乱れきった現代社会に、もっとこういう本が必要だと思いました。著者であるフレッチャー牧師は、ニューヨークで上記のような問題を抱え行く宛てのなくなった問題を抱えた青少年少女のための施設Freedom Viledgeの創設者でもあります。本の最後には、イエスの救いをこの施設で受け、まさに生まれ変わった若者達からの手紙が乗っています。なかなか考えさせられる本ですよ!
今日はこの本から「友人の選び方」についての聖句をご紹介します。22頁からです。
出エジプト記 EXODUS 23:2
THOU SHALT NOT FOLLOW A MLTITUDE TO DO EVEIL; NEITHER SHALT THOU SPEAK IN A CAUSE TO DECLINE AFTER MANY TO WREST JUDGEMENT
あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない。法廷の争いにおいて多数者に追随して証言し、判決を曲げてはならない。
詩編 PSALM 1:1−2
BLESSED IS THE MAN THAT WALKETH NOT IN THE COUNSEL OF THE UNGODLY, NOR STANDETH IN THE WAY OF SINNERS, NOR SITTETH IN THE SEAT OF THE SCORNFUL.BUT HIS DELIGHT IS IN THE LAW OF THE LORD; AND IN HIS LAW DOTH HE MEDITATE DAY AND NIGHT.
いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。
箴言 PROVERBS 4:14
ENTER NOT INTO THE PATH OF THE WICKED, AND GO NOT IN THE WAY OF EVIL MEN.
神に逆らう者の道を歩くな。悪事を働く者の道を進むな。
第一コリント 1CORINTHIANS 5:11
BUT NOW I HAVE WRITTEN UNTO YOU NOT TO KEEP COMPANY, IF BE A FORNICATOR, OR COVETOUS, OR DRUNKARD, OR AN EXTORTIONER; WITH SUCH AN ONE NO NOT TO EAT.
わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の者を奪うものがいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。
第二コリント 2CONRINTHIANS 6:17
WHEREFORE COME OUT FROM AMONG THEM, AND BE YE SEPARATE, SAITH THE LORD, AND TOUCH NOT THE UNCLEAN THING; AND I WILL RECEIVE YOU
あの者どもの中から出てゆき、遠ざかる様に、と主は仰せになる。そして汚れたものに触れるのをやめよ。そうすればわたしはあなたがたを受け入れる
子供が悪い事をするのは「皆がやっているから」とか「テレビでみたから」「漫画で読んだから」など、他人のやっている事を見て、流されてやっているという事は結構多いですよね。現代は、子供達が親の見ていない所でインターネットや携帯電話、テレビその他様々なメディアから情報を吸収し、自分なりの「常識」を組み立てていってしまいます。世の中は年々、モラルがなくなって来ています。私も親として、これからの子供達に必要なモラルを、世の中の悪い常識に流されず、きちんと教えて行きたいと思います。テレビやインターネットの、マスメディアが創り出す「常識」から子供達を守ってあげてくださいね。。。!

