詩編116
1−2節
I LOVE THE LORD, BECAUSE HE HATH HEARD MY VOICE AND MY SUPPLICATIONS. BECAUSE HE HATH INCLINED HIS EAR UNTO ME, THEREFORE WILL I CALL UPON HIM AS LONG AS I LIVE.
わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。
3−4節
THE SORROWS OF DEATH COMPASSED ME, AND THE PAINS OF HELL GAT HOLD UPON ME: I FOUND TROUBLE AND SORROW. THEN CALLED I UPON THE NAME OF THE LORD; O LORD, I BESEECH THEE, DELIVER MY SOUL.
死の綱がわたしにからみつき、陰府の脅威にさらされ 苦しみと嘆きを前にして 主の御名をわたしは呼ぶ。「どうか主よ、わたしの魂をお救い下さい。」
5−7節
GRACIOUS IS THE LORD, AND RIGHTEOUS; YEA, OUR GOD IS MERCIFUL. THE LORD PRESERVETH THE SIMPLE: I WAS BROUGHT LOW, AND HE HELPED ME. RETUREN UNTO THY REST, O MY SOUL; FOR THE LORD HATH DEALT BOUNTIFULLY WITH THEE.
主は憐れみ深く、正義を行われる。わたしたちの神は情け深い。哀れな人を守って下さる主は、弱り果てた私を救って下さる。私の魂よ、再び安らうがよい 主はお前に報いて下さる。
8−11節
FOR THOU HAST DELIVERED MY SOUL FROM DEATH, MINE EYES FROM TEARS, AND MY FEET FROM FALLING. WILL WALK BEFORE THE LORD IN THE LAND OF THE LIVING. I BELIEVED, THEREFORE HAVE I SPOKEN: I WAS GREATELY AFFLICTED: I SAID IN MY HASTE, ALL MEN ARE LIARS.
あなたはわたしの魂を死から、わたしの目を涙から、わたしの足を突き落とそうとする者から助け出して下さった。命あるものの地にある限り、わたしは主の御前に歩み続けよう。わたしは信じる。「激しい苦しみに襲われている」と言うときも、不安がつのり、人は必ず欺く、と思う時も。
人間生きていると、おそらく人生に少なくとも一度位は、詩編116に自分が重なる体験があると思います。この詩編は、イエス·キリストが十字架にかかっている時の様子を表している、とあるコメンタリーには書いてありました。しかしそれだけでなく、この地上で生きていると、自分の弱さや絶望、裏切りや嘘に直面し、傷ついたり、悲しんだり、心痛む思いすることはたくさんあります。そんな時、わたしたちには正義をもって裁いてくださる神様がいます。四方八方を見回しても、誰も助けてくれそうにない時、あなたはどこを向きますか?
世の中には弱っている人を捕まえるいろいろなキャッチがありますが、本当の救い、魂の救済は唯一イエス·キリストにより頼むことによって可能です。私達人間はいつ交通事故や心臓麻痺でこの世から予想もせずにオサラバしなければいけないかわかりません。そうしたら、救われていない魂は一瞬で地獄行きです。死んでからの行く先なんて、死ぬ間際に考えればいいや、などと思わないで下さい。私達は自分の足下が崖っぷちに立っている事すら気がつかないのですから。まだ救いを求めていない方は、こう考えてみてください。あなたは、キリマンジャロの山頂で命綱無しに歩いています。両側は崖で、強い風が吹けば、足を滑らせて落ち、確実に命を失います。そんなとき、天から命綱が降りてきました。その命綱はあなたが残りの山頂を歩く旅の道しるべとなり、危険な時の支えとなってくれます。あなたはその命綱を掴みますか?それとも無視して歩き続けますか?
私達の命綱は、天から降りて来てくださったイエス·キリストです。今日、自分の今までの過ちや罪を反省し、命綱を心から喜んで受け取ってください。そこからの旅路は、まだ救われていないあなたには予想ができない程、まったく違ったものになりますよ。


