2008年6月30日

引っ越し完了!

Psalm 118:24
"This is the day which the Lord hath made; we will rejoice and be glad in it."

詩編118:24 今日こそ主の御業の日 今日を喜び祝い、喜び踊ろう。

先週、ようやくTLF(temporary living facility=ホテル)から住宅に引っ越すことができました!家具も新品のものから、中古品まで、神様が様々に取りそろえてくださいました。とっても可愛い自宅ができて、ダニーと2人で喜んでいます。洗濯機の取り付けなど手間取ることもありましたが、日本からの荷物の第一陣も無事に届き、今週からはまともな生活が送れます。いろいろつつがなく済み、つくづく神様に感謝です☆

このあたりでは、ツバメがほとんどの家の軒に巣を毎年つくるらしく、わが家も例に漏れず、しっかりツバメさんが私たちよりも先に住んでいました。巣を取り除いても、一日で作り直してしまう働き者たちなので、私たちも巣を取り除こうとするよりも、彼らとお友達になることにしました。

さて、今週は毎日Jamesのchapter1(ヤコブ第1章)を読んでいるのですが、そこにはクリスチャンとしての心構えがかかれています。イエス様の血の贖いによる救済を信じて、聖書を神様の生きる御言葉だと信じていたら、次は神様の言葉を聞いて、実践しなければいけませんよね。救われているSaved Christianの私たちは、その仲間達に対して、また、まだ救われていない人たちに対して、どのように接するべきでしょうか?また普段の生活の心構えはどうあるべきでしょうか。ヤコブの手紙は、イエス様の半兄弟であったとされるヤコブによる、イスラエルの12部族の人たちのなかで救われている人たちに宛てて書かれた手紙です。

ヤコブ1:19-21 わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しないからです。だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
Wherefore, my beloved brethren, let every man be swift to hear, slow to speak, slow to wrath; For the wrath of man worketh not the righteousness of God. Wherefore lay apart all filthiness and superfluity of naughtiness, and receive with meekness the engrafted word, which is able to save your souls.

ヤコブ1:22-25 御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。
But be ye doers of the word, and not hearers only, deceiving your own selves. For if any be a hearer of the word, and not a doer, he is like unto a man beholding his natural face in a glass: For he beholdeth himself, and goeth his way, and straightway forgetteth what manner of man he was. But whoso looketh into the perfect law of liberty, and continueth therein, he being not a forgetful hearer, but a doer of the work, this man shall be blessed in his deed.

ヤコブ1:26-27 自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。
If any man among you seem to be religious, and bridleth not his tongue, but deceiveth his own heart, this man's religion is vain. Pure religion and undefiled before God and the Father is this, To visit the fatherless and widows in their affliction, and to keep himself unspotted from the world.

両親や人のよいアドバイスを聞くだけで実行に移さないことってありますよね。聖書の御言葉は、神様からの成功のための指示とアドバイスに溢れています。また、神様は私たちがどのような人間として生きたら、喜んでくれるのかが書かれています。巷にたくさんいる妙なカウンセラーやら怪しい占い師などに多額のお金を払ってその言葉に従う人はたくさんいるのに、なぜ聖書を開いて、毎日溢れる神様からのアドバイスを受け入れて実行できる人は少ないのでしょうか?とくに、救われているクリスチャンである場合、もっと積極的に、自分たちの生活に、神様からのアドバイスを取り入れていきたいですよね。この聖句はそれをずばりと教えてくれます。自分の感情や欲望といったflesh(肉体)に捕らわれず、より神様の神聖さが自分たちの生活を通して現れるようなHoly(清らか)な人になりたいものです。「世の汚れに染まらないように自分を守ること」これはとても大切です。今の世の中は、MTVを初め、漫画やインターネットその他溢れる情報機器を通して、家で1人でいても世の中の汚いものや良くない感情に常にさらされています。自分の生活が、そういったものたちにコントロールされないように、気をつけてくださいね!

私も、救われているクリスチャンの1人として、もっと多くの人にイエス様の救済の真実が分かってもらえたら、と思います。バプテスト用語(?)ではこれをSoul Winningというのですが、福音を広めて、1人でも多くの人がイエス様を信じて天国に行かれるようになることを祈っています。


2008年6月21日

Altusとその周辺

昨日は車で45分程離れた町、Lawtonに行ってきました。Altusよりもずっと大きな町で、小さな空港やショッピング・センターもあります。家具探しの一環で行ったのですが、気になる家具は見当たりませんでした。さて、オクラホマって、どんなところ?と友人に聞かれたのですが、「町」の外にでるとこんな感じです。(写真参照)あまりにも空が広いため、遥か遠くで起こっている落雷やら稲妻やらも見渡せます。帰り道、暗雲が立ちこめていて、稲妻がものすごい勢いで光っては落ちているので、旦那様と一瞬焦りましたが、Altusの上空ではなく、ずーっと遠くの方で起こっていたようで、私たちの町は無事でした。
他には、高速道路をものすごく巨大な農耕用のトラクターなどが走っています。日本の、小さな2階建ての家くらいはあるのではないか、という大きさです。これらのトラクター達は、日本のほとんどの道は通れないこと間違いありません。当たり前のように2車線分使って走っている姿を目撃します。なお、田舎道でこれらのようなトラクターと行き交わなければならない場合、その方法は脇の農地に突っ込んで行きすぎるのを待つ、のが正しいようです。なにしろ相手は巨大でバランスも悪いので、脇を通ることは非常に危険なんですね。この間果敢にも猛スピードのまま、斜めになりながら脇のDitch(雑草の生えた農耕用水路)を走って行き交う車がありましたが、危険なのであまりお勧めできません。そのうちまたこのような場面に出会ったらカメラにおさめたいと思います。

さて、今週私は新約聖書の第一テサロニケ5章を毎日読んでいるのですが、クリスチャンにとってとっても大切な心構えが分かりやすく書かれています。テサロニケ信徒への手紙というのは、パウロがテサロニケに福音を伝え建てた教会へ宛てた励ましの手紙です。5章しかないので、是非読んでください。とくに5章14節から22節までは、学ばなければならない所です。

第一テサロニケ 5:14-22 

兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。"霊"の火を消してはいけません。予言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。
Now we exhort you, brethren, warn them that are unruly, comfort the feebleminded, support the weak, be patient toward all men. See that none render evil for evil unto any man; but ever follow that which is good, both among yourselves, and to all men. Rejoice evermore. Pray without ceasing. In every thing give thanks; for this is the will of God in Christ Jesus concerning you. Quench not the Spirit. Despise not prophesyings. Prove all things; hold fast that which is good. Abstain from all appearance of evil.

ここでいう「兄弟たち」というのは、このテサロニケの教会のメンバーに対して語りかけています。それはまた、救われている人たち皆に対しての助言ということですね。「すべての人に対して忍耐強く接しなさい」というのは、救われていない人たちに対しても、同じように善を行いなさいということです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」って、案外みんなできていないことですよね。きっと皆さんいろいろ毎日大変なことや、嫌な思いをすることがあるかもしれません。でも、今日救われていて、命あることに感謝すること、それを神様は私たちに1番望んでいらっしゃるんですね。

詩編50:14-15にもこうあります。
Offer unto God thanksgiving; and pay thy vows unto the most High: And call upon me in the day of trouble: I will deliver thee, and thou shalt glorify me.
これは、神様に感謝を捧げることで、それを生け贄の代わりの捧げ物としなさい、そうしたら苦難の日にも私たちの祈りの声を聞いて助けてくださるということです。

小さなことや、つまらないことで愚痴を言いぎみになったり、いらいらしたり、落ち込んだりして一日を無駄にしてしまったりすることってよくありますよね。そんなときは、この言葉を思い出して、嫌な気持ちを神様に対する感謝の気持ちで押し出してしまいましょう!

とくに都会に生きていて、毎日忙しく、目まぐるしくばかり過ごしていると心のゆとりを失いがちです。私は東京にいるときもいつも小さな聖書をかばんに忍ばせて、いらいらしたり電車とかで嫌な気持ちになったら読むようにしています。けっこう電車の中って集中して読めたりするのでお勧めですよ!聖書の御言葉は、神様からの生きた言葉です。神様から語りかけてもらいたいときは、聖書を開きましょう。こちらからお願いするときはお祈りしましょう。そうやって少しずつ、成熟した関係を築くことができるといいですね!


2008年6月18日

トルネードの季節

先週末は、隣村のDukeというところに有名な家具屋があると聞いて、いってきました。全長200mくらいしかないのではないか、という小さな村で、100年前から続くというその家具屋のためだけに存続しているようなものらしいです。さてさて、今週はどうやらずーっと嵐が続くようです。といっても、日本の台風のようにビショビショ降り続くというのではなく、毎日からっと晴れていて、いやあ、いい朝だね、なんて言っていると、本当に急激に雲が迫ってきて空にたくさん閃光が走り、風が吹き始めたとおもうと、どしゃーっと雨が落ちてきます。それが過ぎると、また何事もなかったように晴れるんですね。でも、トルネード情報(もはや天気予報という題はついていない)をみると、地域によってはコインからソフトボール大の雹が降ることがあるでしょう、なんて飄々と言ってるんでびっくりします。

さて今日は可愛らしい歌をお届けします。明るいメロディで子供も喜ぶ曲です。

Psalm 144:15  
Happy is that people, that is in such a case; yea, happy is that people, whose God is the LORD.
詩編144:15 
いかに幸いなことか、このような民は。いかに幸いなことか、主を神といただく民は。 


メロディはこちらからどうぞ{Heavenly Midis Songbook}のページです⇒ http://www.my.homewithgod.com/heavenlymidis2/happiness.html

Happiness Is the Lord

By Ira F Stanphill ©1968

Happiness is to know the Savior,Living a life within His favor,

Having a change in my behavior Happiness is the Lord


Happiness is a new creation, " Jesus and me" in close relation

Having a part in His salvation Happiness is the Lord

Real Joy is mine, no matter if tear drops start;
I've found the secret It's Jesus in my heart!

Happiness is to be forgiven, Living a life that's worth the living

Taking a trip that leads to Heaven

Happiness is the Lord.

Happiness is the Lord.


この曲は、本当の「神様」が誰であるか知っているって、なんて幸せなことなんだろう!っていう曲です。聖書の時代から、世の中のひとはいろいろな像や自然を「〜〜神」としてあがめたりしていました。つまり、偶像礼拝ですね。でも、石の像や、金の建物自体は、私たちが困っていても助けてくれるということはないんです。この曲は、幸せであるっていうのは、本当の救世主=イエス様をしっていて、彼の御心にそって生きることだ、と歌っています。2節目の、" Happiness is a new creation"というのは、イエス様の救済を信じて、自分の罪を悔い改め許しをこうと、自分は生まれ変わって新しい存在になる、ということ。"Jesus and me" in close relation といっているのは、イエス様を心に招き入れた瞬間から、神様と自分との親密な関係がはじまることを歌っています。肉体が死んだ跡も、魂はずっと神様のもとにいられる、天国に行かれることを喜んでいるんですね。


以下は、それらが約束されている聖書の御言葉です!(日本語は新共同訳から、英語はKJVからの引用です。)

ローマ章 3:23—24 人は皆、罪を犯して神の栄光をうけられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。For all have sinned, and come short of the glory of God; beung justified freely by his grace through the redemption that is in Christ Jesus.

ローマ章 6:23 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。For the wages of sin is death; but the gift of God is eternal life through Jesus Christ our Lord.

ローマ章 10:9 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。That if thou shalt confess with thy mouth the Lord Jesus, and shalt believe in thine heart that God hath raised him from the dead, thou shalt be SAVED.

ローマ章 10:13 主の名を呼び求める者はだれでも救われるのです。 For whosoever shall call upon the name of the Lord SHALL BE SAVED.

イザヤ書 53:6 わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かっていった。そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。All we like sheep have gone astray; we have turned every one to his own way; and the Lord hath laid on him the iniquity of us all.

第一ペテロ 2:24 そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担って下さいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたは癒されました。Who his own self bare our sins in his own body on the tree, that we, being dead to sins, should live unto righteousness: by whose stripes ye were healed.

2008年6月15日

ウサギ観察

写真には、うつっていないのですが、Altusの基地にはウサギさんがたくさんいます。とくに夕暮れどきに旦那様に付きあってゴルフ場にいくと、あちらこちらでぴょこぴょこ大きいのから小さいのまで跳ね回っています。そのうち、カメラにおさめたいと思います。ピーターラビットのように、長ーい耳で立ち上がると膝上位まできそうな身長です。他の生態系はというと、しっぽの長い鳥たちとリス、またスカンクなどをいまのところ目撃しています。
昨日非常に愉快だったのが、「暑さにへたばるリス」でした。この土地は、午後から夜にかけて、太陽光によって猛烈に気温が上がるのですが、ホテルの周りを歩いていると、1匹のリスが暑そうに日なたを走り抜け、日陰へ飛び込んだかと思うと、右腕を腕枕にして左足を前にだすようにしながら地べたに寝そべりました。夏にへたばって団扇片手に縁側に寝ころぶ人の姿を彷彿とさせ、思わず爆笑してしまいました。

また、昨日は新しい家のための家具を探しに家具屋さんを何件かまわってきました。ついでにお気に入りのくつのヒールが壊れてしまったので、それを治してくれる靴屋をさがしたのですが見当たらず、しかたなく Boots & Saddle Repairという店にいきました。そこは馬の鞍とカウボーイブーツの修理専門店で、完全なカウボーイ・ワールドが広がっておりました。次回靴を引き取りにいくときに写真におさめてきます。

夕べから、ずっと昔の偉い牧師さんR.A.Torreyが1897年に書いた" How to Obtain Fullness of Power"という本を読み始めました。この本には、聖書の御言葉がもつ力、イエスの血の贖いの力、聖霊の力、お祈りの大切さなどがわかりやすくかかれています。まだ読み始めたばかりですが、とてもわかりやすいので少しずつシェアしたいと思います。

聖書の御言葉のもつ力とは?

1.聖書の御言葉は、内在する罪を認識させる。
使徒言行録2:37 「人々はこれを聞いて大いに心をうたれ、ペトロと他の使徒達に、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った。」

この話しは、ちょうどイエスが十字架にかけられて死に、復活して12使徒たちの前に姿を現し、再び天に昇られていったあと、ペテロたちがエルサレムにおいて説教をしているところです。ペトロは言いました。
「イスラエルの人たち、これから話すことを聞いて下さい。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなた方の間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存知のうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。」(使徒言行録2:22-23)「神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父からうけて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。」(使徒言行録2:32-33)「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなければなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシア(救世主)となさったのです。」(使徒言行録2:36)

この、ペテロから聞いた神の御言葉により、自分たちの罪を知ったイスラエルの人たちは、『兄弟たち、私たちはどうしたらよいのですか』と言ったわけです。

「すると、ペテロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼をうけ、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いて下さる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」(使徒言行録2:38-39)

神様の御言葉の大切なことは、自己に内在する罪の認識と、それを悔い改める決意をもつことです。それが、「救い」であり、上でペテロが述べているようにイエス様の御名を通して行われるものなのですね。

他にも例えば使徒言行録16:30をみると、同じことがみられます。ここではパウロとシラスがフィリピで捕まって牢屋にいれられているのですが、祈りながら賛美歌を歌ったりしていると神様が大地震を起こし、牢屋の扉を開きます。そこで囚人たちが逃げてしまったと思い込み焦った看守達は、ローマの王に殺されるとおもって自殺しようとします。しかしパウロ達は逃げていなかったので、自害しようとした彼らをとめました。すると、
「看守は、明かりを持って来させて牢のなかに飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、2人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」2人はいった。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。(使徒言行録16:29-32)

人間には、罪のまったく無い人というのはいません。「正しい者はいない。1人もいない。」(ローマ信徒への手紙3:10) けれど、その罪を自覚している人、というのは少ないのですね。上に挙げた話しでは、イスラエルの人たちは、イエスを神の人とは知らずに殺してしまい、その後、神の御言葉を通して自分たちの罪を認識します。そこでどうしたらいいのですか?とペテロに尋ねるわけです。そうすると、ペテロは救いへの道をのべた御言葉を伝えるんですね。ここではその日に3000人の人が神の御言葉を受け入れ、洗礼を受けたと書いてあります。神様の御言葉は生きる力です。現在も昔も変わらないので、聖書を読んで、自己にある罪を日々思い直していきたいものですね!



2008年6月12日

オクラホマ到着!

皆様、お久しぶりです。オクラホマに着いてから、1週間がたちました。先週の火曜日に到着したのですが、木曜日の夜に嵐があり、基地への送電線をことごとくなぎ倒していったため、金・土・日と気温40度近い中、まったく電気のない生活をしておりました。さすが、トルネード・カントリー。嵐の翌日は、いろいろなところで木が根こそぎ飛ばされており、10本以上の電信柱(木製)が根本から折れていました。

それにしても、ここは本当に何もありません。草原と真っすぐな道、渇いた大地にどこまでも続く青空が広がっています。田舎だけに物事のペースが非常にゆっくりで、毎日のんびりと聖書を読んだり、ギターを弾いたりしています。いまはホテルのようなテンポラリー・ハウジングに住んでおり、基地内のお家が空くのは今月末になるそうです。横田では家具などがすべて基地から借りられたのですが、ここではそういうことはないらしく、他人からもらうか、拾うか、買うかしなければいけないようです。余計な出費をしたくないので、すべての家具がどこからか手に入るように、毎日よくお祈りしています。


ところで私は毎朝聖書を読むのに、きっちりではありませんが法則をつくって読んでいます。だいたい、詩編5つくらい、箴言1つ、新約聖書のお話1章か2章。そして昼頃の空いた時間に旧約聖書を読み進めるようにしています。箴言はちょうど31章あるので、その日にちに合わせてよんでいます。今日はそういうわけで詩編の11,21,31,41と箴言11章、第一テサロニケ4章をよみました。あとでヨハネを1章と歴代誌上を読む予定です。こんな感じで、パターンをつくっていくと、1年間で聖書通読ってできるものなので、皆様もトライしてみてくださいね。


この間読んでいた詩編から、神様の元に生きる者の安らぎを表現したダビデの詩の一部を一緒に読みましょう。心が安らぎますよ。

詩編16:7-11

主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。
測り縄は麗しい地を示し わたしは輝かしい嗣業を受けました。
わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし わたしの心を夜ごと諭してくださいます。
わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし わたしは揺らぐことがありません。
わたしの心は喜び、魂は踊ります。からだは安心して憩います。
あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく
あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず
命の道を教えて下さいます。
わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い
右の御手から永遠の喜びをいただきます。

今回、3日間まったく電力が無かったため、料理もできず、電気もなく、40度の猛暑のなかエアコンもなければ、シャワーもお湯がでないという有り様だったため、日曜日の夜に電力が復活したときは、つくづく神様に感謝しました。普段当たり前のように無駄遣いしている電力のありがたみを心から学びましたよ!

毎日、小さいこと1つ1つ、それを与えてくださっている神様に感謝を忘れずに生きなければいけませんね!!