2011年3月15日

こういう時こそ、、

やはり心揺れる時こそ、神の御言葉に目を向けましょう。
聖書から、救われている者達に対する、神の励ましの御言葉です。
救われていると、神の御手のもと、守られているという確信により
不安に揺れる事無くいられるわけです。

詩編57:1/2
憐れんで下さい
神よ、私を憐れんでください。
わたしの魂はあなたを避けどころとし
災いの過ぎ去るまで
あなたの翼の陰を避けどころとします。

Be merciful unto me, O God, be merciful unto me:
for my soul trusteth in thee: yea in the shadow of thy wings will I make my refuge,
until these calamities be overpast.


詩編34:5-10
私は主に求め
主は答えてくださった。
脅かすものから常に救い出してくださった。
主を仰ぎ見る人は光と輝き
辱めに顔を伏せることはない。
この貧しい人が呼び求める声を主は聞き
苦難から常に救って下さった。
主の使いはその周りに陣を敷き
主を畏れる人を守り助けてくださった。

味わい、見よ、主の恵みの深さを。
いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。
主を畏れる人には何も欠けることがない。


詩編37:39-40
主に従う人の救いは主のもとから来る
災いがふりかかるとき
砦となってくださる方のもとから。
主は彼を助け、逃れさせてくださる
主に逆らう者から逃れさせてくださる
主を避けどころとする人を、主は救って下さる。

第一ペトロ5:7,10
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。

あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通して
あなたがたを永遠の栄光へと招いてくださった神御自身が、
しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、
強め、力づけ、揺らぐ事がないようにしてくださいます。




救われていない、まだキリストの救いを受けていない人は、神と人間の仲介者として私達の罪を洗い流して下さったキリストの偉業を心から信じ、キリストの名によって自分の罪を告白して、神の保護のもとにはいりましょう。それが、我々人間の魂の救済なのです。「救い」とは、神の御心を裏切った人間に、神がもう一度親交を取り戻すためにキリストを通して与えて下さった贈り物です。生と死、そして人間の命とはなんであるのか、肉体の死後に魂はどうなるのか、などを見つめ直してしまう今、自分が信じる神とは誰であるのか、考えてみて下さい。唯一の偉大なる神は、今でも私達が罪に背を向け、キリストを通して神に立ち帰ることを、御手を広げて待っていて下さいます。天国の扉は、キリストを通してのみ、くぐることができるのです。

2011年3月7日

いろいろ

教会の仕事に関わっていると、やっぱりいろいろな人生模様を見てしまう。また、世界情勢とか同性愛の結婚が許されるようになっていく様子とか、そういう事に神経を集中してしまうとどうしてもがっかりしてしまう。人間の力はつくづく限られたもので、何が正しいかわかっていてもそれができなかったり、同じ宗教内でさえいろいろな闘争があったり。だからきっと、自分自身はきちんと聖書と向き合って、神様はどう教えて下さっているのかを学ぶ事が大切なのだと認識する。

Trust in the Lord with all thine heart and lean not unto thy own understanding in all thy ways acknowledge HIM, and He shall direct thy path. (Proverb 3:5)
心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにして下さる(箴言3:5-6)

神様を知らなかった頃は、頼るものが何も無くて、結局頼れるのは自分の判断だけで、自分の人生だしどうにでもなれ、的な無責任さを持って生きていたけれど、聖書という神様の人生の道しるべに出会う事ができて、キリストの救いを理解し受け入れて神のもとに生きて行きたいと決めて以来まったく人生観が変わってしまった。よく「人生180度変わりました」なんて言う人がいるのを聞いて、意味不明と思っていたけれど、今はそれがよくわかる。神様を知って、初めて本当に人を愛し、自分を大切にしてゆく事も学んだ。けれど何よりも、自分の人生に対して、親を含めて友人や小さな事まで感謝できるようになった。いろいろ考えてしまったので、今日はとりとめのない事を書いているけれど、少しがっかりしたときは聖書を読んで元気を出そうと思う。

今日は教会でギターを弾きながら夫と歌を歌った。"How beautiful heaven must be"という歌なんだけれど、先週長男と聖書の勉強をしているときに天国の話が出て来て、頭にずっとこの曲のメロディがまわっていたので歌ってみた。天国は、本当に美しい場所なのだろうと思うと、つくづく天使のラッパがなってキリストのもと、天に高くあげられる日を心待ちにしてしまう。その日を待ち望む事で、この世に生きている間は神様に栄光があたえられるように、多くの人にいろんなかたちで福音をシェアしていきたい。やっぱり、家族や友人達と天国でもう一度会えたら、そんなに嬉しいことはないと思うから。

We read of a place that's called Heaven
It's made for the pure and the free
These truths in God's word He hath given
How beautiful Heaven must be

How beautiful Heaven must be
Sweet home of the happy and free
Fair haven of rest for the weary
How beautiful Heaven must be

("How beautiful heaven must be"by A.S.Bridgewater and A.P.Bland)



2011年2月23日

一日ひとつでも、、、

長男があと半年くらいで3歳になります。最近は英語が主でぺらぺらとよく喋り、日本語も聞く方は普通に理解できるので、毎朝一緒に聖書を読んでいます。少なくとも箴言を一日一章ずつ読むのだけれど、だいたい30節くらいあるので、全部は当然頭にはいりませんよね。そういうわけで、一日に一節でも、心に残るものを一日中考えるようにしています。今日は、箴言22:24,25から長男と一緒にお勉強しました。

箴言 22:24,25 怒りやすい者の友になるな。激しやすい者と交わるな。彼らの道に親しんであなたの魂を罠に落としてはならない。

なんてわかりやすい!おこりっぽい人と常に一緒にいると、自分もそういう感じに感化されちゃう事ってありますよね。聖書は、キリストを信じて救われた者は柔和で寛容で自己自制をきちんと身につけられるようにと教えてくれます。以下は私も常に心がけなければと思わされるパウロによるキリスト者の模範としての教えです。これも一週間毎日よんで、少しでも覚えるようにしたいと思います!

ローマ章12:9-21 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者達の貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすように努めなさい。あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを1つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢いものとうぬぼれてはなりません。誰に対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うようにこころがけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる、と書いてあります。あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼のあたまに積む事になる。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

2011年2月21日

2011年近況


前回の投稿から一年半も経ってしまいました!もうすぐ次男が1歳になります。この2年間本当にあっという間にすぎてしまってびっくりです。神様からの恵みの近況といえば、某キリスト教出版社様の注解書の翻訳をお手伝いさせていただけることになり、聖書の勉強がぐっと進んで心から神様に感謝しています。また、夫も神学校があと2年で卒業なので、そろそろ先の事もいろいろ考え始めました。息子達が日本語も話せるようになってきているため、とりあえず日本語を本気で勉強しよう、といって一念発起してくれました。ロゼッタストーンを使って頑張っています。夫が本気で日本語の勉強をはじめてくれるように祈っていたので、嬉しい限りです。

今は夫の育った教会で日曜学校の4歳クラスをお手伝いさせていただいていて、長年クラスをもっているアメリカ人のヴィッキーさんをよく観察して、よい先生になるために学んでいます。それからAWANASでは5歳クラスを手伝っていて、子供達と楽しく騒いでいます。人前で話す事が苦手で子供の前ですらタジタジしていたのですが、すっかり慣れて楽しくなりました。何事も練習が自信につながるんですね!もちろん、下準備の大切さも学びました。もっと上手に聖書の話や大切な教義を子供達に教えられるように頑張りたいです。

今年の目標はピアノを練習する時間を作る事!やりたいと思っているだけでは弾けるようにはならないわけで、、、。ピアノが弾けたらなあと思う事があまりにも多すぎるので、一日10分でも練習できるように時間を作りたいと思います。

ブログは毎日息子としている短い聖書の勉強をシェアしていきたいと思います。たまに読んでいただければうれしいです。どうぞよろしくお願いします!

2009年7月28日

ご無沙汰

おひさしぶりです。また引っ越ししていました。といっても、再びオクラホマの基地からバージニアの実家に戻って来ただけなのですが。ついに夫が軍でのお仕事が終わったので、本格的に教会でのお仕事&神学校に行く事になりました。カリフォルニアに行く予定だったのですが、いろいろな導きによって、実家のホームチャーチを手伝いながら、車で一時間半くらいのところにある小さな神学校に行く事にしたようです。ということで、ただいままた夫の実家でおじいちゃん、おばあちゃんに息子ともども甘やかされながら生活しています。新居も探しているところです。
そんなわけで、ばたばたしていたので更新が滞ってしまい失礼しました。また少しずつ書いていきますので、今後もよろしくおねがいします!

2009年7月2日

よい読み方

ヨハネの福音書15章1−4節
I AM THE TRUE VINE, AND MY FATHER IS THE HUSBANDMAN. EVERY BRANCH IN ME THAT BEARETH NOT FRUIT HE TAKETH AWAY: AND EVERY BRANCH THAT BEARETH FRUIT, HE PURGETH IT, THAT IT MAY BRING FORTH MORE FRUIT. NOW YE ARE CLEAN THROUGH THE WORD WHICH I HAVE SPOKEN UNTO YOU. ABIDE IN ME, AND I IN YOU. AS THE BRANCH CANNOT BEAR FRUIT OF ITSELF, EXCEPT IT ABIDE IN THE VINE; NO MORE CAN YE, EXCEPT YE ABIDE IN ME.
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたは、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない

今月は、ヨハネの15章を旦那様と暗記することにしました。いまのところ3節まで覚えました。ところで、こうやって毎日一節ずつ、少しずつ覚えていくと、じっくり聖句の意味を調べたり、考えたりしながら学ぶ事ができるのでとてもよいです。ヨハネの15章は、イエス様が使徒達にぶどうの木のたとえを用いて教えているところです。J. Vernon McGee による、Thru the bibleという解説書によると、このシーンでは、夜イエス様と使徒たちが月明かりの中、ぶどう畑を歩いていて教えているところが想像される、と書いてあります。具体的にシーンを頭に思い浮かべると、美しい風景です。

ここでいう農夫である父とは、天の神様のこと。まことのぶどうの木とは、イエス様御自身を指します。枝とは、イエス様を信じている私達のことで、細い枝はぶどうの木自体につながっていなければ、実を結ぶ事はできません。イエス様に繋がるには、まずイエス様の言葉を信じ、罪から洗い流され、救われなければなりません。ここには、「わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている」とありますので、この話は救われていて、イエス様につながっている信者たちに向けられているものでしょう。細く弱々しい枝である私達は、たとえ救われても、日々「まことのぶどうの木」であるイエス様につながっていなければ、実を結ぶことはできません。では、どうしたらイエス様につながっていることができるのでしょうか?それは、日々の聖書を読む事と、お祈りをすることです。聖書を読む事は、ないがしろにされがちですが、実は一番大切な事なのです。なぜなら、私達は聖書の教えを通して、学び、イエス様の木に結ばれていることができるからです。私自身、聖書を自分できちんと読む様になってから、キリスト教の本当の教えを理解するようになりました。また、他の宗教との絶対的違いや、神様からの深い愛、そして、クリスチャンとしてどのように社会で生きるべきか、一つ一つ書かれています。まだ聖書をちゃんと読んでいない人は、まず新約聖書から読み始めてみてください。これはまったく個人的な意見なのですが、私はこんな順番で読むと内容が理解しやすいと思います。

1、マタイ/ルカ/ヨハネ (基本的には同じ内容がそれぞれの筆者の視点からかかれています。イエス様の生涯をまず知りましょう。とくに十字架の意味を理解するためには不可欠です。)
2、使徒言行録 (イエス様が復活して、天に戻ったあとの使徒達の伝道の様子がかかれています。)
3、ローマ章(救いの福音がはっきりと示されています。)
4、ペテロ1.2,エフェソ(クリスチャンとしての心構え、生き方など毎日の生活における必要な教えです。)

これと同時並行で、旧約聖書の箴言を毎日一章ずつ読むと、目からうろこがおちます。また、詩編をよんで心励まされてください。さらにやる気をだして、創世記に手をだせば、神様の偉大さがよく理解できますので、是非がんばってみてください。毎日、朝おきてから20分だけ、聖書の時間に当てることを初めてみましょう。驚くくらいたくさん読み進められるものですよ。少しずつ、毎日続ける事が一番大事です!


2009年6月12日

考える事

今日は、新約聖書のフィリピ信徒への手紙から。この書は、パウロが信心深いフィリピの信徒達へかき送った励ましの手紙です。つまり、救われていて、熱心にイエス·キリストの福音のために活動している人達へ宛てたものです。

第4章4節
REJOICE IN THE LORD ALWAYS: AND AGAIN I SAY, REJOICE.
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

4章5−7節
LET YOUR MODERATION BE KNOWN UNTO ALL MEN. THE LORD IS AT HAND. BE CAREFUL FOR NOTHING; BUT IN EVERY THING BY PRAYER AND SUPPLICATION WITH THANKSGIVING LET YOUR REQUESTS BE MADE KNOWN UNTO GOD. AND THE PEACE OF GOD, WHICH PASSETH ALL UNDERSTANDING, SHALL KEEP YOUR HEARTS AND MINDS THROUGH CHRIST JESUS.
あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト·イエスにあって守ってくれます。

イエス様の福音を信じ、救われている私達は、普段どのような人間として他人の目に映っているでしょうか?世の中の常識やストレスに流されて、とげとげしたり、きりきりしたり、嫌な人間になっていませんか?クリスチャンとして、私達が生きるべき姿とは、キリストを模範とした寛容な心と、神様とのつながりをもった祈りのある生活です。

2章3−9節
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト·イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、御自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じ様になられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

もちろん、このような姿勢で生きるためには、毎日、聖書とお祈りを通して神様へ自分の心の内を打ち明け、そして御心を聞く事が欠かせません。

4章8節
FINALLY, BRETHREN, WHATSOEVER THINGS ARE TRUE, WHATSOEVER THINGS ARE HONEST, WHATSOEVER THINGS ARE JUST, WHATSOEVER THINGS ARE PURE, WHATSOEVER THINGS ARE LOVELY, WHATSOEVER THINGS ARE OF GOOD REPORT; IF THERE BE ANY VIRTUE, AND IF THERE BE ANY PRAISE, THINK ON THESE THINGS.
最後に、兄弟達。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判のよいこと、そのほか徳と言われる事、称賛に値する事があるならば、そのようなことに心を留めなさい。

普段、何の気無しに暮らしている時,あなたはどんな事を考えていますか?自分の頭と心を、テレビのドラマの内容とか、職場のストレスで埋めていませんか?聖書に従って、上記のような事を考えていると、神様の平安が本当に心に染み渡ります。まだイエス様の福音の奇跡を信じていない方は、まず自分の魂の永遠の行き先を地獄から天国へと救っていただきましょう。地獄や天国なんて、ありはしないから信じないとお考えの方、もし、地獄や天国が本当のものだったらどうしますか?イエス様の名にすがって救われていないあなたは、確実に地獄への暗闇を毎日一歩ずつ前進しているのです。この世で生きている間に、救いを信じる事に、どのような損があるでしょうか。もう一度考えてみてください。